「レディ・バード」(2017)
作品解説
- 監督:グレタ・ガーウィグ
- 脚本:グレタ・ガーウィグ
- 製作:スコット・ルーディン、イーライ・ブッシュ、イヴリン・オニール
- 製作総指揮:リラ・ヤコブ
- 音楽:ジョン・オブライエン
- 撮影:サム・レヴィ
- 編集:ニック・ホーイ
- 出演:シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ビーニー・フェルドスタイン、ルーカス・ヘッジス、ティモシー・シャラメ 他
「フランシス・ハ」(2012)や「20センチュリー・ウーマン」(2016)のグレタ・ガーウィグが初監督デビューを果たした作品。
彼女はなんどか脚本を担当したことがありますが、今作も自分で脚本を執筆しています。
主演には「ブルックリン」(2015)などで大注目されている若手女優シアーシャ・ローナン。
彼女の母親役にはロリ―・メトカーフ、さらにボーイフレンドとなる青年として、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」(2016)のルーカス・ヘッジス、「君の名前で僕を呼んで」(2017)のティモシー・シャラメが出演しています。
本作は批評家筋から高い評価を得ていて、2017年の11月頃にすごく話題になっていて、楽しみにしていた作品でした。
役者人も注目の俳優たちがそろっていますし、グレタ・ガーウィグ初監督というのも大きな注目ポイントです。
公開してすぐに観に行ったのですが、題材がそうだからかかなり若い観客が多く、女子高生とかも集団で観に来ていましたね。
~あらすじ~
2002年のサクラメント。高校生のクリスティンは自分に”レディ・バード”という名前を付け、高校では親友のジュリーと一緒に、つまらないカトリック系学校の日々を過ごしていた。
レディ・バードとして躍進すべく、彼女はジュリーと一緒に演劇クラブへ入り、そこで出会った青年ダニーと付き合い始める。
こんな田舎の窮屈で退屈な街を早く出たいと、いろいろ文句をいくクリスティンだが、母は何かとクリスティンの態度を注意し、お互い家では衝突ばかりであった。
感想レビュー/考察
グレタ・ガーウィグ初監督作品は、彼女が歩んできた人生、そして伝えたかった想いをのせた半自伝映画となっていると思われます。
そこには少女が大人に近づいていく成長日記もあり、もちろん友情や恋愛など10代の青春も描かれていますけども、何よりも母への想いが強く感じられました。
監督が83年生まれ、今作は2002年の設定で、やはり彼女がちょうど10代を終える辺りと時代設定も重ねていますから、自伝的なのは間違いないと思われます。
そういう意味ではすごく個人的な作品だと思いますけども、しかし同時にそこかしこに観ている側である自分の欠片が散りばめられていて、とても共感し愛らしいと思える映画でした。
主演のシアーシャ・ローナンは私は「ブルックリン」(2015)の時からとっても好きな女優ですが、今作でも見事に”レディ・バード”という人格を形成したチョイダサ女子を演じています。
とにかく接写が美しいシアーシャですけど、今回はティーンらしい絶妙にニキビっぽいのがあったりする肌感で、ルックも見事だったかと思います。
クリスティンの自分探しみたいな物語には、いろいろなキャラクターが登場します。
クリスティンと同じくらい、彼らと彼らとの関係も嘘がない。
この感覚は「スイート17モンスター」に感じたものに似ていました。
大親友との駄話、陰謀論とか唱えてて、パーティでは隅の方で本読んでる男子、カースト上位のホットな子。
クリスティンは環境の中での自分の立ち位置を模索して、レディ・バードという人格に社会ステータスを付加しようとしているわけです。
とりあえず、これじゃない人生と、私じゃない誰かになろうとする。
絶対に満足できない気持ちは、いかにも”やれることが増えて、なんでもできるんじゃ?”という幻想真っ只中の青春らしくて最高です。
で、その自分を押さえ付けているに違いないという母の存在がとにかく大きく描かれています。
私としてはこの母と娘の関係性こそがなんとも愛しく切なく、一番の見所ではないかと思います。
いつもぶつかり合って、一言多い。
でも、文句言いつつも母がふと取った服を見た瞬間に「これ最高!」とテンション上がっているクリスティンとか、微笑ましいのです。
自力で道を切り開きうとして、違う自分になろうとした。
でもやはり”レディ・バード”は、母の言う”最高のあなた”ではなかったのです。
クリスティンはクールなチャラ男や馴染めない存在とパーティするより、大親友とチーズを食べて、プロムに一緒にいくことを選びます。
一番落ち着く自分、自分でいられる友達を理解する。
一番の理解者が母ではないか、そして”愛しているから気にかける”ことに気づくのですが、今作ではそれによって、カタルシスをあえて与えずに、やはりそれは青春のなかでは気づけなかったまたは伝えられなかったことを描きます。
最後の旅立ちに母と娘は話せなかったのですからね。
そういう点でも、今作の時間軸、というか視点の置かれた時間は現在である気がします。
この映画すべてが、生意気で挑戦的でもがいていた自分と、それを心配しつつもぶつかってばかりいた母とを回想しているような。
過去は変えられないけど、でもずっと想ってくれていた母の気持ちを今なら理解できる。
考えてみるに、一番初めのカットだけは、こうだったらよかったのにと言う願望かもしれませんね。
一緒にねて、起きて。旅立ちの朝を母と迎えるのです。
直接の想いの伝えあいなしにここまで力強いものがあるとは思わなかったですね。
ずっと前からそばにいたような、どこか自分の中に生きているような映画でした。
さらっとしたレビューにはなりますけど、ガーウィグ監督は再びシアーシャやティモシー、またエマ・ストーンなどを迎えて「若草物語」を撮影予定ということで、今後注目のアクター・ダイレクターになっていくのではないでしょうか。
今回はこのへんで。それでは~
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