「マリア」(2023)
作品概要
- 監督:メヘディ・アスガリ・アズガディ
- 出演:カミャブ・ゲランマイェー、パンテア・パナヒハ、サベル・アバール
感想/レビュー
映画作りの話であり、演技とは何なのかを詰めていく物語でもあり。
イラン国内の複雑な民族問題を、宗教を背景にしながら、ときに野心的でときに熟練した技工で語られる映画。
なんとも落ち着いていながら退屈じゃないのですが、上映終了後のQAで、監督はまだ28歳だと知って驚きました。
監督作品が、いい意味で荒削りじゃないというか。なんともしっかりしていました。
全体のストーリーはミステリーなんですが、その中で疾走した女優と主人公の映画の中の人物とが重なり、幻視のように少女が出てきたりとファンタジックな部分もあります。
QAでヒッチコックの「めまい」が言及されていましたが、ヒッチコックの倒錯した中の謎解きは大いに参考になってるでしょうね。
映画の編集室には「裏窓」のポスターが飾ってあったりと、目配せがあります。
ミステリーにはスリリングさも混ぜられていて、そこは撮影がおもしろい。
長回しがよく使われているのが印象的で、カットまでの緊張感を強めていましたし、ぐるっと車内カメラが動き回って、観客も運命共同体のように感じさせる演出が巧かったです。
撮影面は画面構成と色彩も特徴的。
この事件を通して、みんなが表面の事実だけではなくて自分の裏側に、内面に直面していく。
窓ガラスが遮っていたり、窓枠で夫婦が区切られたり、主人公はやたらに鏡の前にいて自分と対峙する。
目の前に起きること、その裏を探る。
今作ではイランのテヘランに暮らすバルーチ人たちが鍵になっています。
彼らは南東部に住んでいて、マジョリティになっているシーア派に対してどちらかといえば反対的な立場を取ってきた経緯があるようです。
彼らは干ばつや砂嵐、飢饉に見舞われてしまい、イランやパキスタン、アフガニスタンへと避難するように移住しているとか。
映画でもマリアの一家はそういった経緯でテヘランに来ていて、マリアのご両親は災害で命を落としてしまったようです。
アウトサイダーであり変える場所もない中で、アイデンティティとして持つは宗教と伝統。
しかしそれが不幸な方向に働いてしまった。
演じるということはもちろん娼婦も演じるし犯罪者になったり人間ではないものになったりすることです。そこから芸術は生まれていく。
演じることがそのまま本人ではないですが、それにも厳しい目を向ける考え方があるということ。
現実と虚構は仕分けなくてはいけません。
逆に言えば虚構、決まったルールの中でのお話って、現実にどれだけ持ち込んで良いのでしょうか。
法律が国ごとに違うように、考え方というものはみんなの頭の中で同じではない。
このお話が実話に着想を得ていることと、若い世代の監督が描き出したことをしっかりと受け止めなければいけないと感じました。
キャラってありますよね。芸能関連の人ならマーケとして選ぶもの。
それを真正面から受け取って、自身の思考と照らしバッシングするようなことは日本でも見受けますから、このマリアに関しての話は決して他人事ではないのだと思います。
今年もイラン映画を、そしてこれからもさらに期待できる監督の作品を見ることができました。
所感はこのくらいです。
ではまた。
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