「マトリックス」(1999)
作品解説
- 監督:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
- 脚本:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
- 製作:ジョエル・シルバー
- 製作総指揮:バリー・M・オズボーン、アンドリュー・メイソン、アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー、アーウィン・ストフ、ブルース・バーマン
- 音楽:ドン・デイヴィス
- 撮影:ビル・ポープ
- 編集:ザック・ステンバーグ
- 出演:キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、ローレンス・フィッシュバーン、ヒューゴ・ウィーヴィング、グロリア・フォスター、ジョー・パントリアーノ 他
アンディ&ラリー・ウォシャウスキー兄弟(当時)による仮想現実を舞台に繰り広げられるSFアクションシリーズの第1作目。
主演は「ジョン・ウィック」などのキアヌ・リーブス。また「メメント」のキャリー=アン・モス、「アントマン&ワスプ」などのローレンス・フィッシュバーンが出演しています。
そして有名な敵役をヒューゴ・ウィーヴィングが演じていますね。
作りこまれた世界観やそのVFXとワイヤーアクションの融合とアクションは話題となり、アカデミー賞にても技術部門で受賞。
この後2つの続編が製作され、またゲームなどもつくられました。PS2のゲームめっちゃ遊んだなあ。
私は今作を実際に観たのは実はテレビ放送で、その後の2作は映画館へ観に行きました。
~あらすじ~
ソフトウェア会社に勤めるトーマス・アンダーソンは、真面目で物静かな普通の男であるが、天才ハッカーでありネット犯罪に長けたネオというもう一つのアイデンティティーを持っていた。
彼はある日、自宅のPCがハッキングされ、モニターに「目覚めろ、ネオ」と表示されるのを見る。
彼はトリニティと名乗る謎の女性と出会い、さらにモーフィアスという男が接触してきた。
彼らはネオが見ているのは夢であり、本当の現実を知りたくないかと持ち掛け、彼に選択を迫った。
このまま夢を見続けるか、目覚めるか。
感想レビュー/考察
今だに褪せることのない世界観、ユニークな映像とアクション。
ちょうど20年経った現在(2019)でもマトリックスは唯一無二だなと感じます。
その後「リローデッド」「レボリューション」と続編が続きますが、やはり1作目が一番好きかな。
この作品以降にはアクションや世界設定などのオマージュからパロディから模倣作品が多く生まれ、この作品以前・以後というラインすらできた気がします。
もちろんこの作品自体が、カンフーやジョン・ウー、西部劇、ゼイリブなど多種多様な作品の影響下にあることは観ればわかるのです。
でも、そういった色々な素晴らしいものを、いかにフレッシュに魅せるか、ユニークさを与えるか、そういう意味で素晴らしい完成度だと思っています。
そうした集約の上に、360度ぐるっと回ってのスローモーションショットが素晴らしい映像体験を与えてくれます。
この回転する視点のショットは、とにかくアイコニック。
バレットタイムという銃弾の螺旋軌道が見えながら人物がスローでアクションするカットはどれもカッコいい。
あの有名なものすごい後ろにのけぞるシーンは、その後いろいろなオマージュもあり、私も当時小学生でしたが、学校でみんな真似していました。
どこか夢中になる、この世界に入り込んで遊びたくなる感覚がありますね。
あとは各キャラクターがそれぞれ魅力的なこともあります。
人物自体は意外にも少なめでスケールはこじんまりしているのですが、それぞれが導き手や愛する者、裏切り者にハンターなどハッキリしてて分かりやすい。
ヒューゴ・ウォーヴィング演じるエージェント・スミスですが、プログラムというわりに人間臭い感じもあったり、その強さとクールさも映画史に残るヴィランだと思います。
真っ直ぐネオたちを狩り、ザイオンを潰すために突き進んできて、エージェントが来たらとにかく逃げるという積み立ても効いていて脅威です。
その前振りが、ネオ覚醒時のカタルシスを高めてもくれるんですけれどね。
NEO(ネオ)=ONE(唯一の者)のアナグラムです。
トーマスとしての生の、この現実と思っている世界の真実を知ることにしたネオ。全ては選択と信念です。
この映画のような過酷な現実であるザイオンは存在しないし、私たち観客はいわばマトリックスに生きています。
ただそれを知っているのと知らずにバッテリーとして生きるのでは可能性が違います。
現実は憂鬱で退屈で、自分が何者かであると実感することもない。
脳からの信号がなきゃ味もせず、触っても感覚はなく空虚。
残酷な仕組みに思えて実は、無限の可能性を秘めている。脳から信号さえ出せば、なんだって認知され存在するということですから。
すべては選択なのです。自分に何かできると信じるか。ビルを飛び越して渡れると、銃弾を止められると。
それらは普通に言って無茶ですし、ファンタジーですが、でもこの映画はそういうあり得ない可能性を、信じようと思わせてくれます。
自分にだって何かできるのかもしれないと。
自分自身を信じる力さえあれば、この世界でできないことはないのだと。
ウォシャウスキー兄弟(今は姉妹)が作り上げた世界は、それぞれの要素こそ過去の偉大なレガシーですが、すべてが集約されて一つの完成形となっています。
SFが可能なのは、ファンタジーを信じようという力をくれること。自分で無理だと思えば、それは無理ですからね。
ちょっと昔の作品ですが、今見直しても、むしろ今作られたように感じる作品です。観る機会がなかったという方は一度是非鑑賞を。
今回はこのくらいになります。最後までありがとうございました。また次の記事で。
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