「恋する遊園地」(2020)
作品解説
- 監督:ゾーイ・ウィットック
- 脚本:ゾーイ・ウィットック
- 製作:アナイス・バートランド
- 製作総指揮:マリー・ソフィー・ヴォルケナー
- 音楽:トーマス・ルーセル
- 撮影:トーマス・ビュロン
- 編集:トーマス・フェルナンデス
- 出演:ノエミ・メルラン、エマニュエル・ベルコ、バスティアン・ブイヨン、サム・ルーウィック 他
ある女性が遊園地にあるアトラクションに恋をするという対物性愛を描いたロマンス映画。
ゾーイ・ウィットック監督が長編デビューを果たす作品です。主演は「燃ゆる女の肖像」などのノエミ・メルラン。
その他にエマニュエル・ベルコ、バスティアン・ブイヨン、サム・ルーウィックらが出演しています。
今作は実際にエッフェル塔に恋し、結婚したというアメリカ人女性の記事を着想として作られた作品になります。監督ゾーイ・ウィットック自身が脚本も手掛けていますね。
作品は2020年にサンダンス映画祭にて上映されました。批評家の評価はある程度ということで、まあ中程度のレビューが多いですが、自分はその題材がおもしろそうで観てみました。
実際、映画館で予告を見るまでは完全にノーマークだった作品で、ノエミ・メルラン主演というのもまた理由ですね。
緊急事態宣言が出てしまっていることもあって、そもそも人が少なめだったりしますが、今作特に人が少なかった。私入れても7、8人しかいなかったですね。ちょっと寂しい。
~あらすじ~
遊園地が好きなジャンヌは、夜間の遊具整備スタッフとして遊園地でアルバイトを始める。
引っ込み思案で人慣れしていないジャンヌは上司ともあまり話さずに過ごし、母はあきれながらも心配し続けている。
ジャンヌにとっての楽しみは、初めて見た時から一目惚れしている遊具”ムーヴ・イット “の清掃作業。
そんなある夜、そのムーヴ・イットがひとりでに動きだし、ジャンヌは意思疏通できると考えた。
遊具にジャンボと名付けたジャンヌはすっかり恋に落ちてしまい、幸せな時間を過ごしていくが、決心して母親にその事を打ち明けると、頭がおかしくなったと言われてしまう。
感想レビュー/考察
今まで映画において、色々な愛の形が描かれてきました。
友情や親愛はもちろん、性愛を含めても非人間との愛は多く描かれています。
レプリカント(腎臓人間)との恋愛が「ブレードランナー」で、そしてAI(OS)との恋愛はスパイク・ジョーンズ監督の「her/世界でひとつの彼女」で展開されてきました。
そもそもをたどっていけば、神話やおとぎ話、人魚姫とか色々な話で人類は人間ではないものとの愛を追求したと言えるでしょう。
しかし、今回についてはさらに踏み込んだものに感じます。
遊園地のアトラクションとの恋愛、というよりもアトラクションに対して性愛含めて恋に落ちるということで、ここでは対象が完全なるモノになっています。
自我があるとか、人の形をしているとか、または人語を理解ししゃべるとかですらないのです。
金属アームと重油に満ちたこの巨大な機械に対し、真の愛を語っていきます。
ただし、今作は性愛を恥じらわず必要な事項として描く挑戦的な大胆さと題材に対する誠実さを持ち合わせながら、ややファンタジーな描写を行っていることからくる危うさも感じる作品になっていました。
バランスについて、曖昧になっている部分があると感じてしまいます。
まず良いなと思った点は、先述の通り、今作が性愛に強く踏み込んでいくこと。そこに臆病さを感じず、ここまで含めて人間通しの恋愛と変わらないのだと強く訴えている点です。
ここはすごく素直に感じましたし、決してジャンヌをからかうことも穏やかに包むこともしていないと思います。
もちろんその性愛描写について、主演のノエミ・メルランのリード力が大きく貢献していることは間違いないと思います。
「燃ゆる女の肖像」ではクールで強かった彼女が、今回はすごくおとなしく挙動不審。しかし持ち前のあの目の強さ、瞳での感情表現を今作でも余すことなく炸裂させているのです。
非常に繊細で臆病な性格でありながらも、ジャンボへの愛情が本物に見えるくらいの強さを持っています。
ただ、彼女が素晴らしいなと感じるのは、ジャンヌが陥ったジレンマや恐怖までも内包している点です。
今回の愛を見つけたことで、ジャンヌ自身必然的にこれは普通とは違うと感じ、周囲からの拒絶を考え恐れます。そして母に拒まれることが恐ろしい。
それでも苦しくて仕方がないのですね。本物の愛情を殺すことはできないからです。”普通”になってみようと上司マルクとセックスするシーンのあまりの悲しさは見ていて痛かった。
ちょっと危うい点がありながらも、物に愛を感じるという突飛な話に、説得力をくれているのは間違いなくノエミ・メルランだと思います。
そして、危険な感じがしてしまったのはファンタジックさです。これは設定としてどうなのかという部分があるのですが、少なくともジャンヌから見ると、ジャンボは意思疎通ができているのです。
もちろん物に魂を感じるというジャンヌを視覚的に表すこととして、ジャンボが自立して動くことは必要だとは思うのですが、下手をすると本当に非現実的な意味で何かが乗り移った物、もしくはAIのようになりそうで微妙に感じてしまいました。
ジャンヌにとってはジャンボが自分で動いて見えるというのと、実際にジャンヌ相手には自分で動くでは、大きく意味が異なりますので、そこがハッキリしていた方が良く感じます。
それは最終的な母の一瞥で見えたことにも通じます。
また、バルブに唾をつけて磨くとかちょっと露骨な感じがしますし(男性的なのもどうかと思います。物に性別を付与する必要はないかと)、ジャンヌの設定も気になりました。
母が男をとっかえひっかえ、人が信用できずミニチュア作りが好き。ある意味特殊な環境というか、設定にユニークさを与えすぎな気がしました。
元となる実話はエッフェル塔と結婚したエリカ・エッフェルさんなどいろいろあるとは思いますが、一番の難点は、ジャンヌの父の不在を使うこと。
父の不在から、母を通して男女の愛を学ぶことがなく、だから男性ではなく物に惹かれているというロジックが自分にはしっくりきません。
というよりも、ジャンヌはそれで良いとして、今作では”人間関係に問題を抱えた人が対物性愛に目覚めている”ととらえかねない点が気になります。
もっと普遍的に、突然に対物性愛に目覚めることはないのでしょうか。(それこそパートナーがいても起こり得るのでは?)
ちょっと視界が狭いように思えてしまいます。
と、ちょっと気になってしまう設定があるにしても、それでも好きな作品ではありますよ。
対物性愛というものを包み隠さずしっかり真っ直ぐ描くその素直さと情熱を感じますし、ノエミ・メルランのおかげで、ジャンヌの心を共有することができました。完全に共感できなくても、理解ができて、また人間の愛の形を知ることができるのは良かった。
ジャンヌを照らしてくれるのは、ミニチュアとジャンボのネオンライトだけ。日陰な部屋にこもる彼女に光をくれたことは間違いありません。
一緒にいる時、楽しく幸せな気持ちになることもまた真実です。
とてもじゃないけれど聞いただけじゃ、読んだだけじゃ理解もできないこの対物性愛をしっかりとしたロマンスの題材になぞらえている。
ひとめぼれから親の反対とか投げやりな浮気まで、王道展開で題材に誠実に恋愛映画になっていますから。
ゾーイ・ウィットック監督のデビューとして結構難しかったかもしれませんが、この真っ直ぐさは信頼になる気がしますし、またノエミ・メルランは確実にフランス映画を引っ張っていく存在です。
すごく人が少なかったので残念ですが、こちら気になる方は是非劇場へ。
今回の感想はこのくらいになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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