「僕らの世界が交わるまで」(2022)
作品概要
- 監督:ジェシー・アイゼンバーグ
- 製作:デイブ・マッカリー、エマ・ストーン、アリ・ハーティング
- 製作総指揮:ベッキー・グルプカンスキー
- 脚本:ジェシー・アイゼンバーグ
- 撮影:ベンジャミン・ローブ
- 美術:メレディス・リッピンコット
- 衣装:ジョシュア・J・マーシュ
- 編集:サラ・ショウ
- 音楽:エミール・モッセリ
- 出演:ジュリアン・ムーア、フィン・ウルフハード、アリーシャ・ボー 他
「ソーシャル・ネットワーク」、「ビバリウム」などで知られる俳優ジェシー・アイゼンバーグが初めてメガホンをとったヒューマンドラマ。
アイゼンバーグ自身がオーディオブック向けに制作したラジオドラマを基にし、自ら脚本を手がけ、母と息子のちぐはぐな人間模様を描きます。
「アリスのままで」のジュリアン・ムーアが母エブリンを、ドラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」シリーズのフィン・ウルフハードが息子ジギーを演じています。
製作には「ラ・ラ・ランド」、「クルエラ」の俳優エマ・ストーンも名を連ねています。製作はA24も関わっているのですね。
今作は2022年サンダンス映画祭でワールドプレミア上映され、第75回カンヌ国際映画祭批評家週間のオープニング作品に選出されました。
そこまで注目していた作品ではないですが、アクターディレクターの道を行く俳優ならやはり気になるということで鑑賞してきました。
公開週末がすっごく寒い日で、そもそも外に人が出歩いてなかったのもありあまり混んでいませんでした。
~あらすじ~
DV被害者向けのシェルターを運営するエブリンと、YouTubeのライブ配信で人気を得ている高校生の息子ジギー。
社会奉仕に情熱を燃やす母とフォロワーに夢中なZ世代の息子は、お互いの価値観を理解できずにいた。
しかし、お互いに求めていた相手をを見つけ、少しずつ変化し始める。
感想/レビュー
ジェシー・アイゼンバーグが初監督した作品。
正直散らかった印象もありますけど、懐の深さと言うか優しさみたいなものですべて包み込んでいる気がします。
中心に描き出されているのは親子で、1階と2階、別の部屋、カットバックでの映し出しと隔絶されています。
母のエヴリンは息子というか彼の世界を理解できないし、息子のジギーは干渉されたくない。
危険なほどの嫌悪ではないけれど、ぎこちなくてうまくいっていない関係性です。
互いに対しての嫌味も衝突も、深刻すぎずどこか笑ってみていけるような余裕が持たれています。
その余裕はそれぞれが独りよがりに動き出してしまう、ナルシストっぽい行動に対しても向けられ、ちょっとからかってはいるものの酷く批判もしない緩やかさにつながっていると感じました。
私は見ていてけっこう笑っていました。
アイゼンバーグ自身がよくコメディの中でフィジカルを伴う、それは滑って転ぶような類ではなくて所作やキョドり方ですが、アクションが感じられます。
今作も親子どちらも所作に焦燥や恥ずかしさが落とし込まれたように感じます。
ジギーはインフルエンサーになっていくことを重視し、一方でライラに惚れ込んでいる。
ただここで今どきの世代の感じが出ている気がして、ジギーがただライラと寝たいって感じがしません。
仲良くなりたいのか、本当に彼女のように政治的に精錬されたいのか。同化したい憧れもあるような?
また私としてはライラ周りの政治的な発言や興味を持つ姿勢も今の世代らしいのかと。
政治に興味があるという点ではなくて、世界は滅亡したかのように悲観的である点です。
現代の欺瞞に敏感で、過去の悲しい歴史をあえて反芻している。
そこも良い悪いの判断なく描いているのは映画のあり方として好きでした。
ジギーは自分にはないものである知性あふれる存在に傾倒していく一方で、母親のエヴリンも、まるで理解できなくなった息子の代わりのようにカイルに入れ込んでいく。
母親とともにシェルターに避難してきた17歳の少年に、母性爆発です。
こちらもまた距離感バグってないものねだり。一人で突っ走って行きすぎるんですが、ジュリアン・ムーアはやはり良いですね。
嫌いになれない抜けたかわいさがあり、息子の代わりを求めてしまうところに共感できます。
でもこっちもまたジギーと同じで相手に求めすぎて空回り。
子どもの独立したいけど結局親に頼ってたりするところも、親も子供のこと理解できないって言いつつやっぱ寂しかったりするところ。
そんなところをダサさもバカさも露呈して、滑稽にしつつも”みんなこうだよね”ってまとめ上げる。
いろんな感情がカオスを作ってるのに、アイゼンバーグ監督は優しさで包んで見せたって感じの作品でした。
今回の感想はここまで。
ではまた。
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