「運命は踊る」(2017)

  • 監督:サミュエル・マオズ
  • 脚本:サミュエル・マオズ
  • 製作:ミハエル・ベハー、ビオラ・フーゲン、エイタン・マンスーリ、チェドミール・コーラル、マルク・バシェ
  • 音楽:オフィル・レイボッチ、アミト・ボツナンスキー
  • 撮影:ジオラ・ビヤック
  • 編集:アリック・レイボッチ、ガイ・ネメシュ
  • 美術:アサド・サワット
  • 衣装:ヒラ・バルギエル
  • 出演:リオル・アシュナゲージ、サラ・アドラー、ヨナタン・シライ、シラ・ハイス 他

「レバノン」でベネチア国際映画祭金獅子賞を獲得したイスラエルのサミュエル・マオズ監督の最新作。今作は監督の実体験をもとに映画化したものだとか。

主演の父親役であるリオル・アシュナゲージさん、どっかでみたなあと思ったら、去年観たリチャード・ギア主演の「フィクサー」の人でした。

私はイスラエル映画なんてうとくて、監督の作品も発でしたが、楽しみにしていました。何にも知らない状況で鑑賞。

台風が迫る週末だったからか、ヒューマントラスト有楽町でしたけどそこまで混んでなかったです。

テルアビブのアパートに暮らす夫婦の元へ、兵士がやってくる。

「息子さんが戦死しました。」

突然の訃報に妻は失神し、夫は為すすべもなく立ち尽くした。

兵士が帰り、ラビと共に葬儀の段取りや息子の死因について話すうち、夫は役人の態度ややり方に不満を持ち始める。と、その時、兵士が再び家を訪れる。

「大変な間違いでした。息子さんは生きています。」

お話自体は古典の悲劇出しかないのですが、なんとも挑戦的で大胆で、そして見せることで語る素晴らしい作品でした。

3幕構成の本作ですが、その各エピソードとか移り変わりの部分から、かなり説明を省きます。

とにかく台詞や文字による説明が少なく、スクリーンにはすでに始まっていることが投げられ、観客はその中で想像しながら観ていくタイプの作品です。

1幕目はショッキングで目まぐるしいのですが、その中でも一部理解しにくい、というか観客がいろいろ考えることが出てきます。

特にミハエルと妻の間にある”何か”は印象強く、この父に何らかの過去があり、それは決して褒められるものではないとだけ匂わせてきますね。

なぜ熱湯を手にかけたのか。

3幕目でも妻が自傷行為をしますが、どうして自分を罰するのか考えるだけでもおもしろい。

そして施設にいた母の言葉や、弟との関係からも、ミハエルと家族内の歪みが感じられます。

映画の中では個人的に暗黙の了解と思っている、動物の扱い。

犬を蹴るミハエルは明らかに悪が投影されていると思います。

ミハエルは罰を受けるべき罪を背負っているのであろうと思いました。それが具体的にわかる必要はありません。

重苦しい悲劇の中で、監督は少しコメディをいれてくるのも巧みでした。

誰にも来てほしくないと言っていたのに、何故かどんどん来る来客。

おかしさは2幕目が一番で、終わりのない間延びした検問所での日々がなんとも緩くて。

たまに通るラクダのために遮断機を操作するとか、シーンごとの緩急も効いていますね。

しかし一番ショッキングなのは実は2幕目でした。世界の狂気と人間の愚かさが急に画面を支配し、そこから時間が飛んだ3幕目へ。

どの幕でも、そこに起きていることを完全には理解できない作りになっています。

ただ、観ながら時系列を整理し、それによって衝撃を強めていたり、台詞から想像させることで人物の造形が深まっていくのが楽しくてしょうがない。

もちろんしっかりとした答えはないのですが、さまざまな言葉、小道具や現象などに何かメタファーを感じながら、自分で映像とそれらの繋がりによる意味を考えるのは、映画の醍醐味ではないでしょうか。

それらによってこの一家を描きながら、監督は際限ない普遍的な広がりすら感じさせています。

人の生とは。

何をどうしても運命は変えられないのか。

ヨナタンの見せるフォックストロットのステップ。結局同じ場所に戻ってくる、輪廻のようなダンスを、父も見せます。

死が避けられないものだったともとらえられ、そしてヨナタンが起こしてしまった事と父ミハエルの暗示される過去を合わせると、ヨナタンの行為は父の繰り返しと言っているようにも思えます。

とすると、ミハエルはやはり母が精神異常になるほどの罪をおかしたであろうと考えられます。

親の罪が子に伝染し、そして報いを受ける。

まさしく神話ではないでしょうか。

傾いていくコンテナも、ヨナタンが殺してしまった若者たちの車が埋められていくショットの後では、まるで地の底に渦巻く不正と死が、生者を飲み込もうとしているかに思えてきたり。

また、受け継がれてきた聖書と言うのは、まさに何か大切な精神であって、それがセックスに消費され消えていくのは、現代の私たちと私たちの無垢さを失った世界を示すようです。

ショットを、シーンを重ねるごとに厚みが増していくお話。

人物が巡りめぐる運命に翻弄され、この世界がいかに狂っているのかを残酷に描き出しだしていくわけですが、なるほどアパートの窓からのぞく街が死んだようにモノトーンで暗いわけです。なんというか、色がなくて。

とても皮肉に満ちていて、人間の根元的な部分を突きまくる今作。それは最終的には滑稽にすら思えます。

母は息子の訃報が間違いだと知ったとき、こう言います。

「他の人で良かった」

我が子を失うのは失神するほどの悲しみでした。身の裂ける悲しみで起きることもできなかった。しかし、死んだのが息子でなかったと知れば、すっかり安堵し元気になります。

その瞬間に、別のところでまた息子を失った母が生まれるというのに。

しかし批判はできないですね。誰でもこうだと思うんです。

口では世界の悲しみや、無垢な命の喪失を嘆く私たちですが、結局他人事。

ホロコーストの影も今なお続く戦争やそこへ子を送り出すシステムも、実際にイスラエルには残っているのだと思いますが、やはり遠い国のこと、過去のことと考えてしまう。

ただマウズ監督は喪失や人類共通の神話、そして誰しもにある想像力に訴えることで、この一家の話を自分事にさせてくれていると感じます。

常に考えながら観るからこそ、気づいた瞬間の感情の波も大きい。

私たちが生きる狂気の世界を少しでも理解するような、それでいて何も分からないような。皮肉と滑稽さに満ちた素晴らしく大胆な作品で、とてもおすすめです。

感想はこのくらいでおしまい。

最近は「判決 ふたつの希望」も素晴らしかったし、イスラエルの映画にどんどん興味がわいています。それでは。

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