「心と体と」”On Body and Soul” aka “Testről és lélekről”(2017)

「心と体と」(2017)

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作品概要

  • 監督:エニェディ・イルディコー
  • 脚本:エニェディ・イルディコー
  • 製作:エルヌー・メシュテルハーズィ、アンドラーシュ・ムヒ、モニカ・メーチ
  • 音楽:アダム・バラ-ジュ
  • 撮影:マーテー・ヘルバイ
  • 編集:カーロイ・サライ
  • 出演:アレクサンドラ・ボルベーイ、ゲーザ・モルチャーニ、レーカ・テンキ、エルヴィン・ナジ 他

ハンガリーのエニェディ・イルディコー監督が、身体に不自由を抱える孤独な男性と、人とのコミュニケーションに困難を持つ女性の、スピリチュアルなロマンスを描く作品。

奇妙な関係を築いていく男女を、舞台で活躍するアレクサンドラ・ボルベーイと、実は今作で初めて演技をすることになったゲーザ・モルチャーニが演じています。

67回のベルリン国際映画祭のコンペに出品され、そこで最高賞の金熊賞を受賞しました。

アカデミー賞でも外国語映画賞にノミネートを果たしましたが、その時はチリ、パブロ・ラライン監督の「ナチュラル・ウーマン」に敗れました。

日本公開の際にも見る予定のリストには入れていたものの、なぜだったか結局見に行けなかったんですよね。それでずっと放置状態になっていました。

もともとハンガリー映画はネメシュ・ラースロー監督の「サウルの息子」があったりちゃんと追っていかなきゃいけないのですがね・・・

ということでずいぶんと年数を経てからやっと、配信にて初めての鑑賞に。

「心と体と」の公式サイトはこちら

~あらすじ~

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ブダペストにある食肉工場で、管理職を務めているエンドレ。

彼は片腕が不自由で、それ故に全てに積極的になれずに引け目を感じていた。

彼にとっては、もう人並みの幸せを求めることも終わりであり、ただほんやりと生きている毎日だ。

そんなある日、食肉の検査員として新任のマーリアがやってくる。

全てに正確で几帳面、ロボットのような彼女は優秀ではあるが、周囲の同僚たちとはまったく打ち解けず、ロクに話もしない女性だった。

彼女は周りの人たちと心を通わせるのが苦手で、周囲は変わり者としてみて、揶揄するものもいる。

エンドレはマーリアに会話を試みるがなかなか上手くいかなかった。

しかし職場である事件が起きてから、マーリアとエンドレは毎晩全く同じ夢を見ていることが分った。

夢を通して彼らなりの対話を進めていく二人は、奇妙ではあるが次第に親しくなっていく。

感想/レビュー

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不可思議だが美しく成立したラブストーリー

正直観ていながらなんとも奇妙だと思いましたし、そしてこの舞台設定と人物、脚本からまさかストレートなラブストーリーが完成されてしまうとは思いもよりませんでした。

こんなヘンテコなロマンスは観たことがないと言えるほどに独特で変わっています。

しかしこの作品は間違いなく純愛の物語だと言えるのです。

舞台は食肉工場という、それだけでも描きこみ的には生命倫理とか食物連鎖とかハードな投影ができる場所です。

さらに二人が同じ夢を見ていて、しかもその中では互いに鹿になって冷たい雪の降る森の中で川へ行って水を飲むという内容。

現実パートともなれば、エンドレもマーリアもまあうまく会話できず。正直マーリアの風変わりさはコメディに思えるほど。

観たことのないロマンス。だからこそ唯一無二であり、ここでしかできない体験であり映画という言葉でありました。

まったくこんな作品を成立させてしまうということそれ自体が素晴らしいのです。

機能不全の男女

今作の主点はそのタイトルにもある通り、心と体。

心という点は、マーリアを示します。彼女の心の機能不全ですね。

周囲とのコミュニケーションに困難を抱えている彼女は、圧倒的な没入と執着を見せています。

わずか数ミリ単位の脂肪の厚みの違いを目視だけで確認できたり、人物と過去にした会話をその順番含めて一言一句発言を覚えていたり。

エンドレはともかくとして、マーリアの人形劇とか、会話の反芻と修正作業、はたまたスマホの件に音楽の視聴。すべてがちょっと笑ってしまうおかしさを持っていて楽しい。

アレクサンドラ・ボルベーイはどことなく少女のような、クリッとした目で物事を見つめつつ、どこかすべてに恐れを抱いているようでした。

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画面構成と関係性

彼らの関係性はその構図からまず見て取れます。奥行き含めての前後の配置。どちらかしか映らない会話。

食堂での配膳を待つ際に、移動して映り込む仕切りだったり。

この二人の心の距離感を巧いこと画面構成から語っていきます。

だからこそ、OP時点では意味の分からなかった雪の降る森にいる二頭の鹿のシークエンスの意味が分かってから、この二頭の接触にはなんとも特別な瞬間を感じずにはいられません。

しんみりとした鹿の映像と言ってしまえばそれまでですが、こうしてモンタージュ的に前後に存在するエンドレとマーリカの関係を挟み、あの森ではぐくまれていく愛情がとても美しくなっていきますね。

やがては画面に一緒に収まり、最後はベッドの上完全に画面内に二人だけになる。

聴覚が触覚を刺激する

鹿の夢パートでも現実のパートでも、繊細な感覚は音響デザインに込められています。

しんしんと雪がふるとは言いますが、雪が降り積もっていくその静かながらも空気が確実に揺れ動く音、川の水の音に森の中の静けさという音までも、なんとも没入感があります。

そしてマーリアがポテトをぎゅっとつぶしてみたり、その聴覚に対しての設計から、ここではものに触れるという映画ではできるはずのないものを限りなく見ている側も体感できるのです。

もちろん音の力を借りずとも、スプリンクラーの下りなんかのような、直接水の冷たさに触れる感じを目で見ることも素敵な映像でした。

五感を使って、一生懸命試行して。

エンドレとマーリカの不器用ながらも全身全霊のコミュニケーションを見ていると、人間の関係性とかコミュニケーションとかこんなにも奥深く優しいものであったのかと気づかされることに。

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私たちの持つ素晴らしいコミュニケーション

マーリカはスマホを持っていなくて、それはまさに彼女のコミュニケーションの不全を意味していました。

通話というのはこれもまたコミュニケーション。その道具を持ち合わせていなかった。

なんとも気軽にできるゆえにそのコミュニケーションの重みも繊細さも忘れかけていました。

エンドレは新人として入ってきたシャーンドルに対しての面接で、ここで殺されてしまう動物への同情はあるかと聞き、ないと答えた彼に、それでは仕事は務まらないと言いますね。

イルディコー監督は舞台として殺しが行われる、システマティックに行われる現場を選びましたが、決して恐ろしさや不気味さを出してはいません。

むしろ、動物に対して(食糧確保の仕組みへの批判はなしに)やはり可哀そうだと思わせる。

それも思いやり。

同じようにシャーンドルを犯人んと決めつけて厳しくしてしまったエンドレも、推し量りが足りていなかった。

見て聞いて声に出して触れて、感じ取るうえで相手の身体も心も推し量り思いやる。

この複雑ながらも素晴らしく美しい心と体を、私たちは持っているということ。

弱い部分も傷つきやすいところも、透き通るような素直さで描いて見せたイルディコー監督。

その染み渡る澄み切ったロマンスは、風変わりでありながらも誰の心にも響き渡ることでしょう。

非常に特別な作品に出合ったなというところと、本当に劇場へ行かなかったことを公開することにもなった映画。やはり気になったら行かないとですね。

ということで感想はこのくらいになります。

最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。

ではまた。

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