「ローマンという名の男 信念の行方」”Roman J. Israel, Esq.”(2017)

「ローマンという名の男 信念の行方」(2017)

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作品概要

  • 監督:ダン・ギルロイ
  • 脚本:ダン・ギルロイ
  • 製作:トッド・ブラック、ジェニファー・フォックス、デンゼル・ワシントン
  • 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
  • 撮影:ロバート・エルスウィット
  • 編集:ジョン・ギルロイ
  • 出演:デンゼル・ワシントン、コリン・ファレル、カルメン・イジョゴ、リンダ・グラヴァット 他

「ナイトクローラー」のダン・ギルロイ監督が、社会的正義のために長年刑事弁護人を続けてきた男の人生の転換点を描くスリラードラマ。

主演は「イコライザー」シリーズなどのデンゼル・ワシントン。また彼を引き抜いて採用する大手弁護士事務所の弁護士を「The Batman ザ・バットマン」などのコリン・ファレルが演じています。

その他「エイリアン:コヴェナント」などのカルメン・イジョゴが黒人人権問題と社会問題改善に向け活動するボランティアのリーダーを演じます。

この前作の「ナイトクローラー」で組んだクルーも再集結しており、結構前に観たかった作品ではあります。

主演のデンゼルも今作でアカデミー賞の主演男優賞にノミネートしていました。

作品自体の批評面での評価はそこまで高くないこともあったのか、日本では一般公開はされていなくて、ソフトスルーになっていた作品です。

いつか見ようと思いながらもずっとスルーし続けて、今回やっとネトフリの配信で鑑賞しました。

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~あらすじ~

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ローマン・J・イズラエル・エクスワイア。

彼は自身への告訴分を作成する。原告は彼であり被告も彼である。罪状は彼が身上としてきたすべてに背いたことであり、求めるのは彼の弁護士としての資格そして人権の速やかなはく奪である。

この告訴にまで至ったのは、最近3週間の出来事が原因だった。

振り返る3週間前。人権弁護士として長い間恩師ウィリアムの事務所で働いてきたローマン。

サヴァン症候群の彼は社会的なコミュニケーションスキルに乏しくも、圧倒的な分析力と記憶力で、この意義ある戦いを支えてきた。

しかしウィリアムが心臓発作で倒れ、彼は表に引き出される。

そしてそこで善のため社会的な正義のために戦おうとした彼は、現実の司法制度における歪みと不正義、人種差別的な裁判制度や過重求刑のある司法取引に直面した。

ウィリアムの事務所は解体され、大手事務所を抱えるウィリアムの元教え子ジョージに引き継がれる。

ローマンの才能をジョージは欲するが、商業的なジョージのやり方にローマンは不満を抱えていた。

感想/レビュー

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根底のテーマは作家性に沿っている

ダン・ギルロイ監督の作品として、あまりに好きすぎてやまない「ナイトクローラー」を忘れられない身としては、ちょっと物足りない感じもしました。

この作品の根底にある部分として、歪みのある社会があります。

そしてその社会こそがいわゆる不正義の存在を許容していて、そうした抜け道を利用した倫理としてはアウトな人の方が、成功者になりえることを描いているのです。

これはルー・ブルームと同じかなと。そういう意味で、ローマンはルーとは違って長年正義のために公僕のように働いてきた。

それが裏切られ、現実を目の当たりにして堕ちていく。なんとなく「オール・ザ・キングスメン」(`49)も思い返します。

その社会が腐っているならそれを利用して成り上がってやろうというテイストは、この作品にも感じられます。

ローマンの孤独

ローマンはその性格、性質ゆえに表舞台に立っていなかった。交渉も裁判もウィリアムがやっていたので、あくまで法律のアドバイザーとして活躍してきたのです。

さらに表に立たないという点では彼のスタイルや信念が時代に取り残されて行ってることも示されます。

マヤの事務所こそローマンが残り闘うべき場所でしたが、集会での演説のふとしたところから、彼の思想の原題との差異が出てしまう。

彼は思想も過去のまま、そして常に街の雑踏つまり現実の生の音を遮断し、クラシックなソウル=昔の黒人社会の叫びを聞き続けているわけです。

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正義の眼差し

その正義に無力さを感じる彼のシーンで、ナイトクローラーでも同じ演出がありましたが、上空を飛行機が飛ぶ。

あの轟音がまさに天命とも思えます。

ローマンは孤独な死を避けようと彼が身元証明人となろうとするのに、警察(公的機関、社会)はそれを許さず身元不明者として葬ることを選ぶ。

その死すらもぞんざいに扱うところで、彼の方向が変わるのです。

そこから静寂と安らぎを手に入れ、物質主義的な世界に飛び込むローマン。

そこで機能していくのは画面に移りすらせずとも、正義の最後の砦のごとく存在する象徴ブルドック

ローマンはそれを事務所に置き、彼を監視するような画面構成が撮られます。

重圧に耐えかねさらに背いたことに苦悩するローマンはそれをマヤに託していく。

中心軸としてつなぎとめたデンゼル・ワシントン

とまあ正義の揺れ動き、一度ダークサイドに堕ちた男が本当の意味で裁くという行為に及ぶまでを描いていますが、今作は散漫になっているのです。

そもそも手を伸ばした方向が多すぎるのですね。

ローマンの正義と不正。さらにジョージに対する影響から、そこで見えてくるアメリカ司法制度そのものを相手取る告訴資料の作成。

マヤの方には現代における黒人の人権活動もあり、さらに微妙なロマンスまで展開されます。

さらに最終パートへ向かう中で、ローマンの不正から巻き起こる命の危険というスリリングな要素までもが加えられていきます。

正直多すぎます。何となく全体が分散して薄くなっていると思うのです。

それでもそれぞれが退屈せずに、最後まで零れ落ちずにいたのは、主演デンゼル・ワシントンのおかげです。

彼の演じるローマンの実在性、真実味というものが一つ中心にあることで、どのプロットにもアクセスできるのです。

電話口でのどもり具合とか、愛想スキルゼロとか、髪形を気にしてるとこ。

服装やスタイルを変えていってもローマンがそこにいる。この中心の強さが映画全体を支えていたと言えます。

やりたいことが多すぎている印象もあるのですが、試みとしては面白いものであったと思いますし、デンゼルを目当てに観てもいいでしょう。

というところで感想は以上です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた。

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