「テルマ」(2017)

  • 監督:ヨアキム・トリアー
  • 脚本:エスキル・フォクト、ヨアキム・トリアー
  • 製作:トマス・ロブサム
  • 製作総指揮:シグべ・エンドレセン、ヨアキム・トリアー、エスキル・フォクト
  • 音楽:オーラ・フロッタム
  • 撮影:ヤコブ・イーレ
  • 編集:オリヴィエ・ブッゲ・クエット
  • 出演:エイリ・ハーボー、カヤ・ウィルキンス、ヘンリク・ラファエルソン、エレン・ドリト・ピーターセン 他

「母の残像」(2015)などで知られるノルウェーのヨアキム・トリアー監督最新作。

主演は若手女優のエイリ・ハーボー、そして彼女が恋をする相手になるのが、モデルやアーティストとして活躍するカヤ・ウィルキンス。

今作は批評面での好評を聞いてから少し注目していた作品ですし、最近はこの少女のめざめ系でいいのが多いのか、ホラーと青春の掛け算の可能性に期待しております。

いつもは有楽町のHTCに行くのですが、なんか夜遅くしかなかったので、恵比寿ガーデンシネマへ行きました。

朝の回だからかそんなに混んではいなかったかな?

ノルウェーの田舎町、敬虔なキリスト教徒の家庭で育ったテルマは、大学入学のためオスロへと越し、一人暮らしを始める。

ある日、図書館で勉強しているところ、隣に一人の女性が座る。思わず彼女に見とれてしまうテルマだったが、その直後てんかんの発作のようなものを起こし倒れてしまった。

後日同じ女性にプールで会い、そのアンニャという女性に恋心を抱くようになる。

しかし、アンニャへの想いが強くなるとき、同じような発作を起こし、そしてそのたびに不可思議な現象が起こりはじめるのだった。

初恋により、少女の秘められた超能力が発現する。

少女が女性へと変化していく境目や、超人的な力をホラーとして組み込んでいるので、やはりブライアン・デ・パルマの「キャリー」(1976)を彷彿とさせますが、現代的な学校の描写や、やはり北欧の少し寒色でかつスタイリッシュな映像から、独特の空気を確立していると感じました。

この作品は、ジャンルの融合体として、見事にまとまっていました。演出としてはホラーへと重きが置かれるようで、その一方、青春映画としての何か輝く部分も同時に織り込まれています。

全編通して静かで、台詞というものこそ少ないのですが、映像から来る語りが大きな役割を果たして、感情を伝えながら観客が抱く印象も操作しています。

テルマがバレエ?の舞台をアンニャと見に行くシーンがあります。

そこでアンニャがテルマの腿をさわり始める場面。

とても印象的で、もっとも今作が持つ不思議なジャンル調和というか、同時に二つの方向で揺さぶりをかけて語るスタイルがよく現れていると感じました。

一つ青春映画であれば、公共の場でのエロティックな触れ合いとしてドキドキする場面です。その緊張はもちろん好きな相手に大胆にも迫られる、言ってしまえば悦びの側にあるもの。

ただ、それと同時に、テルマの持つ”何か”が存在することで、もう一つの緊張が感じられます。アンニャの行為によって危険が迫ることになるので、恍惚とした中に恐怖による緊張も走るのです。

テルマの心のように乱れ揺れ動く大きな照明。

その下にはテルマとアンニャ含め多くの観客がいて、大惨事が脳裏に浮かび、テルマにとってはとても幸せと言って良い瞬間なのに、このままだとマズイという危機にもなります。

恐怖と官能的な映像が、同時に繰り広げられる。

その後のパーティでの酩酊状態でのファンタジックなシーン。失楽園の悪魔を思わせる蛇が体内へと入るおぞましいイメージを見せつつ、アンニャに愛撫される感覚も、やはり恐怖と官能の融合でした。

青春映画での親からの自立と、ホラーとしてのテルマの能力の目覚めもよく相互に作用しています。

父と会話する場面でのSNSはバカらしいとか、若干他人を蔑む発言は、ティーンならではの強がりに感じられつつ、同時にテルマの潜在意識が、本能的に自身よりも劣った一般の人間を語るようです。

また、親、特に父からの抑圧的な態度は王道です。親が作るテルマではなく、テルマが自分自身で形作るテルマになりたい。

青春映画では当たり前の描写で、酒やパーティ、タバコなど友人と楽しむ時間は自由と生きている感触に溢れています。テルマとアンニャとのやり取りは美しくどこかセクシーですね。

しかしそこに重なる父の抑圧的な態度は、オープニングから撒かれている何か危険を感じさせ、回想が重なる度に、テルマを自由にしていけないという恐怖が溢れてもくるのです。

観客もジレンマに陥って、少女の自由を応援すべきかと思えば、あまりに残酷な過去を見ると、解き放ってはいけない何かへの恐ろしさも感じます。

エイリ・ハーボーも少女が解放されていく悦びと、その戸惑いも怒りも繊細に表現し、誰しも大人になる際に感じる”力”を

バランスの取り方が絶妙で、魔女を押さえ込むような宗教ホラーでも見れて、親の異常な強権というサイコスリラーにもなり得ます。

何度も繰り返されるテルマと水や、「地獄ではいつもこうだ」という父と炎の伏線が回収されていくなかで、あえてハッキリとさせないのが、テルマの力の本質。

何か力がある。しかし、監督はそれを明確に何ができて何ができないのか描きません。

それゆえに私はエンディングが多面的に捉えられ、人によっては青春ラブストーリー、または恐ろしい魔女誕生の物語にもとれると思います。

テルマは途中でアンニャが”あなたがメールをくれた”というように、幻想あるいは精神にまで影響を及ぼしコントロールすることができるのか?

父が”彼女はお前を愛していない。お前がそう仕向けたんだ。”と言うのは、虐待的抑圧なのか真実なのか。

曖昧な感覚に重なり、首筋にアンニャがキスをするイメージの後、同じことが起こる。予知なのかコントロールなのか。

果たして結ばれた二人なのかそれとも、超能力者と奴隷にされた女性が歩いているのか、答えのないままに雑踏に消えていくラストは、救いとも魔の解放ともとれて 、味わい深さと少しひんやりとした怖さ残す見事なものでした。

映像で語りながらも、幾重にも解釈できる深みが大変おもしろい作品。

ヨアキム・トリアー監督はスタイリッシュな映像で、危険で美しい語りを見事に完成させています。

湖の底の闇へ深く潜った先に、愛する人と出会ったプールの水面がある。不吉ながら美しい映像体験でとても感動しました。

青春を扱う作品としても、ホラーとしても、それぞれが個別にではなく同時に繰り広げられる素晴らしい融合をみせてくれるおススメの作品です。

自分になれると同時にその本質が世界にとって恐ろしいという少し切ない感覚は、ジュリア・デュクルノー監督の「RAW~少女のめざめ~」に通じるところがありすごく好きでした。

今回は少し長くなりましたが、このくらいで。それでは~

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