「花嫁はどこへ?」(2023)
作品解説
- 監督:キラン・ラオ
- 製作:アーミル・カーン、ジョーティー・デーシュパーンデー、キラン・ラオ
- 原案:ビプラブ・ゴースワーミー
- 脚本:スネハ・デサイ
- 撮影:ビーカス・ノゥラカー
- 美術:ビクラム・シン
- 衣装:ダルシャン・ジャラン
- 編集:ジャビーン・マーチャント
- 音楽:ラーム・サンパト
- 出演:ニターンシー・ゴーエル、プラティバー・ランター、スパルシュ・シュリーワースタウ、ラビ・キシャン、チャヤ・カダム 他
インドの人気俳優アーミル・カーンが製作を手がけたヒューマンドラマ。ひょんなことから花嫁が取り違えられてしまうという出来事をきっかけに、2人の女性の思わぬ運命が交錯していく様子を描きます。
インフルエンサーとしても活躍する俳優ニターンシー・ゴーエルがプール役を、映画初主演となるプラティバー・ランターがジャヤ役をそれぞれ演じます。
監督は「ムンバイ・ダイアリーズ」などで知られるキラン・ラオ。
キラン監督は製作のアーミル・カーンの元妻だそうですね。夫婦関係は解消したものの、映画界では今も仕事をしていて今回もこのスタジオのもと製作、監督をしているようです。
作品については全然知らなかったのですが、劇場で予告編を見て興味があったので見に行ってきました。平日の仕事帰りだったので夜の回。でも結構人が入っていましたし、終幕は感動して、周りでも泣いている人がいました。
~あらすじ~
インドの大安吉日、まったく異なる環境で育ち、性格も異なる2人の女性プールとジャヤは、それぞれの花婿の家に向かう途中、偶然同じ満員列車に乗り合わせる。
プールの夫ディーパクは電車から降りる際に、同じ花嫁衣装に身を包みベールで顔も隠れていたことから、誤ってジャヤを連れて行ってしまう。プールは違う駅で降りることに。
ディーパクは取り違えに困惑し、必死に妻を探そうとする一方で、ジャヤは自分の名前や素性を隠し、ひそかに電話をかけたり、自分の持参財を売り払いお金をどこかへ送ったりと謎が多かった。
そしてプールは流れ着いた駅の売店の店主と親しくなり、また駅舎暮らしをしている少年たちとも親交を深めていく。
プールは今まで良き妻になるためだけを想って生きてきたが、店主や少年たちを触れ合うことで自立や新しい考え方に触れていく。そしてジャヤは、妻のため奔走するディーパクを見て少しづつ変わっていく。
感想レビュー/考察
感情いっぱいのインド映画
インド映画ってまあ長尺なイメージがありますが、今作は2時間くらいという結構お手ごろな感覚の作品でした。
叙事詩的な要素はないからこそ、まあ少しコンパクトでも納得できます。
軽快さがある前半に比べて終幕に向かっていくほどにドラマチックさは、より現実的なレベルで濃くなっていき、カタルシスに溢れる最高のフィナーレを迎えていきます。
その意味では長編大作の満足感と似たようないっぱいに溢れる感情をもたらしてくれる素敵な作品でした。
インドの文化面の探索
インド映画として生活に寄り添ったような、文化交流的な体験もできる作品だと思います。
作中に出てくる屋台で扱っているパコラ、サモサ、カラカンド。どれも美味しいですよね。映画見終わった後で食べたくなっちゃいます。
あと、今作はもちろん、結婚事情を背景にしています。
インドの伝統文化として形成されている結婚。その形は神聖なものになっており、作中のような田舎町、地方では特に古くからの考え方に則って進められています。親が決めた相手との結婚。
その伝統の形や家族に関しては、美しい愛の部分をもとにして描き出していますが、負の部分も同時に出していて、それは社会的な問題の提起、不平等さを訴えることに繋がっています。
”良い女性”に縛られている社会と女性
一辺倒に古くからの婚礼を批判しているわけではない。ディーパクとプール夫妻の物語だけ見ると、離れ離れになってしまった愛あるカップルのドラマですし。
こうした点から、キラン・ラオ監督のバランスの良さが光っているのだと思います。2人の花嫁を通して両面から広範囲にインドにおける女性を描きこんでいくのです。
プールについては家庭的で女性は花嫁になるために育てられているという世界で育っています。
良い女性になれ。そして良い女性というのはつまりインドの男性にとって、男性社会にとってのいい女性です。
プールは家事の面で料理ができ、だからこそ駅の売店のマンジュのもとで働けます。
しかし、プールは字が読めない。それはきっと、インド男性社会における良い女性に、字が読めることは求められていなかったからでしょう。
それでもプールはマンジュの過去の話を聞いていくことで、女性の生き方の多様性について学んでいく。マンジュは革新的なキャラクターになっていて、この役への称賛も多かったそうです。
複数の女性たちが影響しあった先に
現代でも続いている女性への固定的なイメージ
舞台設定は2001年であり、20年以上前のことではあるものの、しかしプールのような女性像は今も続いているということです。
これは日本でも潜在的にまだまだ良妻賢母が置かれていることにも近しいのかもしれませんね。
家庭内暴力にNOを突きつけ、息子ともども家から追い出したくましく生きているマンジュの姿は、プールにとって衝撃であるとともに、観客にもこの生き方を肯定して届ける意味もありそうです。
実際、今作の製作の背景にはインドの映画業界での女性の参画や、良き女性像に縛られる社会を込めているようです。
取り違えによるコメディトーンも、プールとディーパクの純愛も入れていますが、ジャヤの存在など見るに一番描きたかったのは、フェミニズムや固定観念的な女性像への疑問の投げかけだったのでしょう。
結婚を希望してもいない、DVを繰り返す夫から逃げ出していたジャヤ。彼女は農学の専門性を極めたくて、その道へ進んでいく。
彼女を疑っていた警部補が最後はカッコよくクソ男を追い払って、そこにはジャヤへの敬意がありました。
ディーパクはついにプールと再会する。最終幕でジャヤは大学へ送り出されていきますが、すべてが集約したクライマックスで、みんなが集まっていて感動的でした。
インド映画の中では短めな上映時間に、コメディトーンで見やすく、しかしフェミニズムがキャラクター構築と関係の中でしっかりと感じられて良作でした。こちらおススメです。
感想はここまで。ではまた。
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