「ハウス・オブ・グッチ」(2021)
- 監督:リドリー・スコット
- 脚本:ベッキー・ジョンストン、ロベルト・ベンティヴェーニャ
- 原作:サラ・ゲイ・フォーデン『ザ・ハウス・オブ・グッチ』
- 製作:リドリー・スコット、ジャンニア・ファシオ、ケヴィン・J・ウォルシュ、マーク・ハッファム
- 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
- 撮影:ダリウス・ウォルスキー
- 編集:クレア・シンプソン
- 出演:レディ・ガガ、アダム・ドライバー、ジャレッド・レト、アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、サルマ・ハエック 他
作品概要
「最後の決闘裁判」のリドリー・スコット監督が、サラ・ゲイ・フォーデンによる『ザ・ハウス・オブ・グッチ』を原作として、ファッションブランド「グッチ」創業一族と、その経営権争い、そしてマウリツィオ・グッチ殺害事件を描きます。
主演は「アリー/スター誕生」で演技力も見せつけさらに勢いを増しているレディ・ガガ。また、「最後の決闘裁判」でもリドリー・スコットと組んでいた「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」などのアダム・ドライバーも出演。
その他グッチ一族としてジャレッド・レト、アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、またガガが演じるパトリツィアが相談相手とする占い師役には「エターナルズ」でヒーローチームのリーダーを演じたことが記憶に新しいサルマ・ハエック。
実際の事件をもとに着想を得た映画として、リドリー・スコットは結構まえから企画を温めていたようです。
ただあまりうまいこと配役などが決まらなかったようですね。時にはスコセッシが監督として考えられていたりもしたのだとか。
長い期間を空けてようやくの製作開始ですが、新型コロナ下ということもあり、対策をした上でローマなどで撮影を開始したそうです。
クレジットにもCOVID Productionが入っていて、映画製作も本当に変わったと思いました。
日本公開前に海外で公開し、批評面での賛否両論が耳に。
また、当事者であるグッチ一家や周辺の人物から正確性が指摘されたり、何にしてもイタリアの一族を舞台にしながら、イタリアなまりの英語作品になって点は論点でしたね。
私はリドリー・スコット新作であれば観るよというスタンスで、特にグッチが好きなブランドでもなく。
公開週末に観に行ってきましたが、そこそこ混んでいました。後この句品、2時間40分くらいと長め。
~あらすじ~
イタリアで運送業を営む父のもと働くパトリツィア。
ある晩友人と遊びに行ったパーティで、マウリツィオ・グッチと出会う。
グッチ。それはまさに魅力的で、富と権力、スタイルを象徴する名だった。
2人はすぐに仲良くなり恋人となるものの、労働者階級出身のパトリツィアを現在のグッチ経営権を握っているマウリツィオの父親ロドルフォは快く思っていない。
2人の結婚式にも、グッチ側からはほぼ誰も参列しなかった。
しかしパトリツィアとマウリツィオにも見方はいる。マウリツィオの叔父でロドルフォと兄弟であるアルドだ。
グッチのビジネスを拡大しようと試行錯誤しているアルドへの近づき、徐々にグッチの経営にかかわり始めるパトリツィア。
その一方で、もともと一族の経営にはかかわりたくなかったマウリツィオとの夫婦生活は荒んでいった。
感想/レビュー
印象の薄い実録番組
長尺のドロドロ大河ドラマとして、リドリー・スコット監督自身がトーンを見つけるのに苦労したのではないかと思います。
決してダレルこともなく、的確な演出をする場面もあります。
またやはり演者については主演のレディ・ガガは彼女のやり方を確立してパトリツィアを演じきっていると思いますし、アダム・ドライバーも少年のようであり繊細なマウリツィオを演じています。
しかし全体でいえばあまり楽しい作品にはなっていない気がします。
これだけの尺をとって描くとしてもこの破滅する一家をめぐる話は凡庸に思えますし、実録のTVスペシャル番組みたいな印象を受けます。
トム・フォードの件とか一部には知っている人をニヤリとさせるものもちりばめられていますが。
演出としての分としてパトリツィアの新しい豪邸でのあまりの天気の悪さ(まさに雲行きが怪しい)とか、クリスマスでのマウリツィオのキスする場所とか、細かいところでの描写が効いています。
ただ、総合して印象が薄い。
演技面での難点
ドラマ展開そのものにあまり魅力を感じなかったせいか、逆にあたしには演技に関する悪さが目立って映ってしまいました。
先ほど言ったようにレディ・ガガとアダム・ドライバーは良かったのですが、(ここも意見は分かれるでしょうけど)ジャレッド・レトはいただけない。
実際のパオロ・グッチがあのような人物だったのかが分からないのですが、描き方としても精神疾患を抱えて小児的な大人のようで変でしたし。
そしてジャレッド・レトの演技は周囲との整合性が全くありません。
彼の風貌は禿ていて太っていて、確かにジャレッド・レトが溶けて消えてしまったような変貌ぶりは見えます。
ただしその演技は仰々しく誇張され、賞レースの審査員にスクリーンからアピールするようないやらしさすらも感じました。
終始スーパーマリオみたいなんですよね。特にイタリアなまりの英語という設定もそれを助長してしまいました。
またアル・パチーノや他の演者というシーンですらアンサンブルをせずに一人だけテイストの異なる演技をしているようにも感じました。
ジャレッド・レトは素晴らしい俳優なのですが、ここはかなり残念。
グッチ家の全ては崩壊の一途であったと思います。
それはパトリツィアという外部からの隕石がぶつかるよりも前から。
旧態依然とし、潰えていく様を見ているだけ、もしくは格式を保つことを捨ててファストフードと化そうという兄弟。
突き動かされること以外ない受動的な息子。才覚を持たぬまま名前のみ持つ息子。
パトリツィアが起爆剤としてすべて吹っ飛ばしただけなのかもしれません。
着想とひらめきの不明瞭さ
そこにはパワフルな女性によって男性の帝国が崩れ去るという着想があるのか?
内情としては虚無的にも関わらず、その名前ゆえに人を狂わせるものへの批判か、はたまたある夫婦におけるゆがんだ愛情の行方か。
私には今作を通してリドリー・スコット監督が何を伝えたかったのか。描きたかったのか。根本となる着想やひらめきが見えてきませんでした。
型崩れはそこまで起こさないのがさすがリドリー・スコット監督とは思うのですが、「そういう話か」となることのないままに連続ドラマを展開されて気づいたら終わっていました。
「グッチ」としては今回の件を通して結局は成功しファッション界で最前線に返り咲いたわけですが、グッチ家(ハウス・オブ・グッチ)としては完全に凋落してしまった。
ある程度のワイルドさとエネルギーで悲劇を描いた作品、つまらなくはないものの、しかし157分も時間を使ってみるのかは判断をすべきかなと感じました。
というところで短いのですが、今回の感想はこのくらいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ではまた。
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