「真昼の決闘」”High Noon”(1952)

「真昼の決闘」(1952)

  • 監督:フレッド・ジンネマン
  • 脚本:カール・フォアマン
  • 原作:ジョン・W・カニンガム
  • 製作:スタンリー・クレイマー
  • 音楽:ディミトリ・ティオムキン
  • 撮影:フロイド・クロスビー
  • 編集:ハリー・ガースタッド、エルモ・ウィリアムズ
  • 出演:ゲイリー・クーパー、グレース・ケリー、ロイド・ブリッジス、リー・ヴァン・クリーフ 他

フレッド・ジンネマンによる西部劇。ある西部の町を舞台に、迫りくる極悪人を前に街の住人の力を借りようと奔走する保安官と彼を取り巻く人々のドラマを描きます。

主演はアメリカを代表する俳優で、「ヨーク軍曹」「オペラハット」などのゲイリー・クーパー。また主人公の若き妻役にはグレース・ケリー。

そして気丈ながらもはかなさあるメキシコ人女性を演じるケティ・フラド。彼女は今作でゴールデングローブ賞を受賞。そのほかトーマス・ミッチェル、そしてあのジェフ・ブリッジスの父であるロイド・ブリッジスが出演しています。

今作でゲイリー・クーパーがアカデミー賞主演男優賞を取っていますね。そして歌の方と編集でも受賞。

これらは納得ですが、監督と作品賞を逃したのは個人的に疑問です。まぁ何やら政治がらみの噂もありますね。

ディミトリ・ティオムキンの”Do not for sake me”はすごく好きです。ホントに素晴らしい。

ジンネマン監督作は「地上より永遠に」(1953)「ジャッカルの日」(1973)なども好きですよ。

丘の上にガンマンが3人集まる。そして彼らは物言わず町にやってくると、駅で正午の列車を待ち始めた。

そのころ町では保安官ウィル・ケインが結婚式を挙げていた。彼は式の後で保安官を引退し、妻エミーと町を出ることになっている。

そこに大急ぎでやってきた駅員。3人のガンマンが待っていたのは、以前ケインが逮捕し投獄されていた極悪人のフランク・ミラーであった。

ミラーは刑務所から釈放され、ケインと町に復讐するためやってくるのだ。

町の人々に説得され、急ぎ町を出たケインだったが、彼はこのまま逃げてはいけないと引き返す・・・

この映画の注目点は2つ。

まずリアルタイムドラマであることです。

映画は90分ほどで、正午の列車を待つまでもその後の決闘含め90分くらいになっています。

つまり映画の作り自体が焦りと緊張を演出しているわけで、無駄が無い流れの編集は素晴らしいです。

映画が進むほど、時計が大きく映され、針の運びがゆっくりとなっていく。そしてしばしば線路が映し出され、その先からやってくる悪を強調します。

カメラも人を前後に受ける形で撮り、観ているこちら側へと向かってくる構図は、より緊迫感を煽ります。

もう一つは保安官のキャラ設定です。

今作においてゲイリー・クーパーが演じる保安官ケインは、それまでの西部劇史においてそれこそジョン・ウェインが演じてきたようなものとは全く異なっています。

ヒーロー然とした西部劇お決まりの人物でなく、暴力を恐れ、他人の助けを求める人間らしい弱さがある人間です。

好みの分かれるところで、映画界でも情けない保安官と評した人もいますね。

しかしここにこそ、この西部劇が持つ普遍性やまっすぐと人間というものを見つめた光景、そしてその先の勇気というものが見える気がします。

ケインは仲間を集めようと、列車の時間まで多くの友人や街の人に働きかけるのですが全然聞いてもらえません。みんな、戦うのが怖い、ミラーの復讐が怖いのです。

口ではケインに感謝してるだの、町の平和を守るだの言いますが結局事なかれ主義。

ケインはどんどんと孤独になっていきます。

クレーンショットでぽつりと浮かぶ一人ぼっちのケインは秀逸な画面ですね。全く町に人がいない、そして全くの孤独。それがあのショットでぐっと観客にも共有されるのです。

またさまざまな理由が町の人にあるのも魅力です。それぞれ結構な数の登場人物がいますが、しっかりとドラマが描かれています。

それは中心点をケインに集中し、あまりそれ以外の人間同士での相互作用をさせない点で非常にうまいことまとまっています。

実は冒頭シーンなど含めて結構セリフが少なく、画面何映すものや人物の目線などから語りの多い作品でもあり、それらも含めて濃厚なドラマがリアルタイム展開されていきます。

ケインの元恋人であったヘレンとケインの助手ハーヴェイ。ヘレンの心が今もケインにあると思いハーヴェイは協力しません。個人的なことが絡んできます。

ヘレンすら、命を危険にしてまで戦おうとするケイン、意地を張るハーヴェイに愛想を尽かして去ってしまう。

嫌味なホテル管理人、酒場や教会の人、老人に少年。様々なひとそれぞれに色々な理由と性格があり、人間ドラマが練られています。

多面性があるのです。完全なる悪というミラーをまだ画面に出さずともに、非常にグレーな部分を見せていく町人たち。

これは盲目的に保安官をたたえるだけの張りぼての背景ではない。そこに生きている人間たちのドラマなのです。

ホテルの受付は、わかりやすくイヤミったらしいですが、ミラーがいた頃のほうが儲かったのだということから彼自身も体制の変化で生活に変化があったことがうかがえます。

また酒場のシーンで一人移された眼帯をした老人は、その後ケインに協力を持ち掛けますが、その意図は自分の人生の再起でした。

ケインはただそれが正しいと思い町に残るわけですが、誰も知らぬふりです。

みんな戦って命を落とすリスクを考え、それならミラーに町を牛耳らせた方がいいと思ってしまう。

心の奥底で分かっていても、しなければいけないことを実際にするのはとても大変です。

嘘偽りなく、ケインにも逃げてしまいたいという場面が与えられる作品。主人公がひそかに逃げようとする描写があるなんて、生々しくもしかしそれが真摯に題材を扱う姿勢として輝かしくも思えます。

結局孤独な戦いが始まり、ケインは唯一自分のために来てくれたエイミーの助けもありミラーを倒します。

Do not forsake me oh my darling 劇中でもエイミーが背を向けるたび鳴るメロディー。ここにきて彼女に救われますね。

女性に助けられて敵を倒す主人公なんて、西部劇にはいなかったでしょう。偶然に運命が左右されます。

そして彼は町に、人に失望し、正義の象徴であり町の信頼のあかしであるバッジを地面に落とす。人々がケインを称えるなか、エイミーを連れ何も言わずに去っていきます。

西部の町でのできごとですが、これは常に人間の直面する問題です。

正しいことをできない。人が困っていても自分は素通り。いじめをみても怖くて助けない。

ケインが見せたのは早撃ちでも、タフな保安官像でも、西部の男らしさでもない。そんな中身のないものでなく、もっと大事で難しい真の強さでした。

私のなかで生涯ベスト級の映画であり、生涯ベスト級のヒーロー。

正しいことをする勇気を与えてくれる、スリルある西部劇です。

感想はこのくらいになります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それではこれで。また次の記事で。

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