「追想」(2017)

  • 監督:ドミニク・クック
  • 脚本:イアン・マキューアン
  • 原作:イアン・マキューアン 「初夜」
  • 製作:エリザベス・カールセン、スティーヴン・ウーリー
  • 製作総指揮:ジョン・オッペンハイマー、べス・パッティンソン、ノーマン・メリー、ピーター・ハンプデン、イアン・マキューアン、トーステン・シューマッハー、ジギー・カマサ
  • 音楽:ダン・ジョーンズ
  • 撮影:ショーン・ボビット
  • 編集:ニック・フェントン
  • 出演:シアーシャ・ローナン、ビリー・ハウル、アンヌ=マリー・ダフ、エミリー・ワトソン、サミュエル・ウェスト 他

イアン・マキューアンの小説をドミニク・クックが映画化。

主演は「ブルックリン」(2015)「レディ・バード」(2017)とハイセンスな作品で高い評価を得る注目の若手女優シアーシャ・ローナン。

そして彼女の夫になる青年役に、「ダンケルク」(2017)のビリー・ハウルが出演。また「未来を花束にして」(2015)のアンヌ=マリー・ダフも出ていますね。

作品自体はあまり知らなかったのですが、まあシアーシャ・ローナンにひかれて観に行ったというのが本音です。しかも、またちょっとレトロな時代設定ですし。

公開日に仕事帰りに行きました。まあそこそこの入りって感じでしたね。

1962年。

歴史学者を目指しているエドワードと、楽団でバイオリニストとして成功を夢見るフローレンス。2人は育った環境は大きく違うが深く愛し合い、結婚した。

そのハネムーンで訪れたホテルで、夕食をとりつつ2人の将来を語る。

夫婦となった今、2人はついにベッドを共にするのだが、今までフローレンスを大切にするがゆえに性を抑えてきたエドワードに対し、フローレンスは性行為に恐怖すら感じていた。

互いを傷つけないようにしるあまり、ぎこちなく振る舞ってしまう2人。それぞれが過去の思い出を振り返っていく。

時代物が似合うシアーシャ・ローナンと若手イギリス人俳優ビリー・ハウルのメロドラマではありますが、ここで描かれるのは無垢さと若さ、未熟さで、そこからくる非常に痛く切ない物語でした。

時におかしく、とても愛しく、しかし悲しく。ただ見終わってみると実際に単純に悲しい話だけではなく、主役の二人の思い出や記憶そして本作で描かれることが、そのまま観客側の人生の一部、記憶として残されるような映画です。

まずリードの二人の演技と相性がすごく良かったと思います。

エドワードとフローレンスの2人は、ぎこちなさは初々しいカップルの純粋さを出しながら、時にコメディのようなおかしさを感じさせてくれています。

シアーシャはオレンジにも見える赤髪にブルーの服、彼女の顔立ち含めて根っこから精練された女性で、対するビリーはスーツを着てもどこか着せられている感じがあります。

ルックの点では、エドワードがちょっと無理していて、フローレンスに合わせているように見えました。それはそのまま二人のちょっした心の距離にも思えます。

エドワードを演じたビリー・ハウルの表面を繕う感じが個人的にはグッときましたね。

なんとかフローレンスに合わせようとしてる意味でも、あと初めて母が母に戻ったときに、思わず涙がでるのを何とかこらえるところ。ああいう泣き方に私は弱い。

ずっと母性の不在にさらされていたエドワードにとっては、ある意味フローレンスもその役割を担っていたのかもしれません。

シアーシャの方は、フローレンスの葛藤をこれでもかと感じさせてくれました。

彼女は厳格な親、というか人間としてどこか触れ合いの少ない環境に育ったようで、そもそも親密さが苦手に思えます。

彼女はエドワードを愛し、彼を喜ばさせたい。そして良い妻にもなりたい。

しかし心の奥底の拒絶が彼女を苦しめています。なんとかこの時を乗り切ろうとする彼女が痛々しく思えます。

ちなみに決定的に狂ってしまう場面のフラッシュバックは、親密さの欠如にも見えながら、ほんの少し男性嫌悪になるおぞましい何かも匂わせて感じましたが、実際はどうでしょう?

とにかく、人物の台詞説明が少なく、メタな部分での言語や所作に入れ込まれた意味合いが丁寧なので、互いに会話が少なくとも、それぞれの思いが汲み取れる作りで巧いなと思って観ていました。

構造としても過去の時間軸、主に人物がその場で話したことや感じたことを過去の出来事に重ねて思い出すことが多いのですよね。

入れ子になった部分で過去を思い起こすと、またより人物の感情を推測させるようになっていて、台詞ではなくスクリーン上の映像とその順場などから語られていく手法が好きでした。

原題でもある海岸なんですが、草、砂浜、海と3つに別れていて、その映し方がおもしろかったです。

まるでビーチが長い一本道のように見えるんですよね。あっちとこっちしかなくて、二人がどちらへ歩くのか、どちらを向くのかまで、これまた丁寧に演出されていました。

二人の別れのシーンでは、画面構成が残酷なまでに関係性を描いていて、特に座り込むフローレンスに対しエドワードが怒りをぶちまける場面は、フローレンスがまるで船に乗っているかのように映されて、完全に二人の隔絶がなされています。

まだ若く、自分のことすら良くわかっていなかった二人。

相手を傷つける気もなく、でも理解もできなかった。持っていたのは過去の記憶だけで、未来は不安ばかりだったでしょう。

何度も過去の記憶を重ねながら、人生は流れていき、もう戻れないところで再び会う。

デミアン・チャゼル監督「ラ・ラ・ランド」(2016)のラストに通じるエンディングです。あったかも知れない人生をただ胸に抱えて生きてきて。お互い認め合うようにそっとうなずく。

終幕に向けての時代の移り変わりの部分とか、ジャンプしていく流れでは若干ですが気が散ってしまいましたけど、それでも一つとても切ないドラマとして良かったです。

今作は邦題が見事だと思います。

追想:過去を想いはせること

この作品の出発点がどこなのだろうかと考えると、作品自体がエドワードの追想のようにも思えますね。そして観客も、この2人のカップルの歩んだ人生をそっと思い出すのです。

非常に余韻の深い作品でした。

感想はこのへんで。

シアーシャ・ローナンは個人的には時代物で色々な女性を演じてほしい感じです。それではまた~

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