「パージ」(2013)
- 監督:ジェームズ・デモナコ
- 脚本:ジェームズ・デモナコ
- 製作:ジェイソン・ブラム、セマスチャン・K・ルメルシエ、マイケル・ベイ、アンドリュー・フォーム、ブラッドリー・フラー
- 音楽:ネイサン・ホワイトヘッド
- 撮影:ジャック・ヨーフレット
- 編集:ピーター・グヴォザス
- 出演:イーサン・ホーク、レナ・ヘディ、アデレイド・ケイン、マックス・バークホルダー 他
ジェームズ・デモナコ監督がブラムハウス制作で送り出す、近未来における全犯罪解禁のイベントを描いたスリラー。
主演はイーサン・ホーク、レナ・ヘディら。監督はもともと「交渉人」(1998)など色々な脚本を手掛けてきた方で、今作でも監督と脚本を両方手掛けています。
本作はそのヒットから続編も製作されていますが、どれも観たことがなく、今回初めて1作目の鑑賞となりました。
一部の映画ファンにて結構人気を博していたようで、当時も話題には上っていたのを覚えています。
近未来のアメリカ。経済の崩壊を経験した国家は立て直しとして”新たなる建国の父”と呼ばれる集団に統治され、彼らの”パージ”政策が成功していた。
犯罪率、失業率ともに1%を切っており非常に安定し平和なアメリカが実現した。
そのパージとは、1年の内の1日だけ、殺人を含めてどんな犯罪行為も許されるという政策。
パージ当日、裕福なサンディン家は堅牢なセキュリティシステムのもと家で大人しくしていたが、ケガをした男をかくまったことから、パージ参加者の集団に襲撃を受けることになってしまう。
サタイア、政治風刺を盛り込んでスリラーと融合させようとしたコンセプトは割とはっきりした作品でした。
しかし、そのコンセプトから深堀出来るところには至らず、ずいぶんと浅く、描きたいという要素は多く感じられるものの、それらを本気で打ち出そうという心意気も感じませんでした。
総じてとても薄い作品になっています。
失業率、犯罪率などのキーをモロに扱って、貧富の差を投入して。
アメリカにおける格差につて、分かりやすく持てるもの側に有利なシステムを登場させて、現在の体制を皮肉るのはアイディアとしては普通にあることです。
歴史上にも似たような残酷なカタルシスを生む仕組みがあったり、もちろん現在もシステマティックに人を殺している事(支援政策や財政・都市計画などもろもろ)ありますが、だからこそ分かり切った設定すぎる。
ではパージの描かれ方に何か特殊性があるのかといえば、そこも足りません。
合法殺人ゲーム。なんだか聞き飽きたものです。特殊なルール下での人の変貌を描いているということでもなく、むしろ異常者は最初からおかしい。
そして今作は密室スリラーでもありますが、それもわかりづらさが目立ってしまい、スリリングさも物足りません。
ひとつの家で、半ばまでは男の捜索があり、そこからパージャーたちが家に侵入してからは、闘いが始まりますが、ロジックが不明。
家の構造も活かすことはなく、仕組みとして機能する男の存在も投げやりです。
彼が一度逃げ出すプロセスも雑ですし、最後の役割のために準備も不足しています。
平穏から不安分子の侵入と凄惨なサバイバルと切り替わっていくのに、前にあるパートがあまり活かされていないんです。
結局は選択して、人を殺めない事をすすめますが、それは教科書です。誰しもわかっている。
ここで描くべきは社会問題ならば、斧を振り回さずに、あくまで法にのっとって人を社会的に追い込み死に至らせることとの対比。
また、このような限定条件下で人が変貌することを体感させるべきかと思います。父は娘の恋人を殺しますが、これは事故。その他正当防衛。
個人的にはパージがあったら自分は本当に気に入らないものを殺したり、やりたい放題の野獣になるのかということ。外側からお利口さんで観ていても面白くはないです。
サタイアとしてもスリラーとしても中途半端で、浅く薄い作品でした。
感想はこのくらいになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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