「約束の地のかなた」(2019)
- 監督:ヴィクトル・リンドグレーン
- 脚本:ヴィクトル・リンドグレーン
- 製作:テレース・ヘーグベリ
- 音楽:アンダース・リンド
- 撮影:ラスムス・ウェスト
- 編集:ヴィクトル・リンドグレーン、ヴィクトル・ヨハンソン
- 出演:アンドレ―ア・ヴァイオレット・ペトレ、エリン・マークルンド、マティアス・フランソン 他
第32回東京国際映画祭のユース部門での上映となった、スウェーデンからの作品。
移民としてスウェーデンに来たルーマニア人の少女と、彼女が出会う地元の少女との友情、そして彼らを取り巻く移民や人種に関する残酷な状況をドラマとして語ります。
監督はスウェーデン人のヴィクトル・リンドグレーン。彼は今作で長編デビューとのこと。
また作品の舞台となっている町ホルムスンドという港町は、監督の出身地だそうです。
主演を務めるのはアンドレ―ア・ヴァイオレット・ペトレとエリン・マークルンド。
今回は上映終了後に監督とプロデューサーのテレース・ヘーグベリさんをお招きし、Q&Aセッションがありました。
あらすじ
スウェーデンの港町ホルムスンド。
ルーマニアから父と兄と移り住んできたサビーナは、彼らの車整備の手伝いをさせてもらえず、ゴミを集めてお金に変え、生活の足しにしていた。
あるときゴミ集めをしていた時、地元の少女エーリンと出会う。
精神的に病んだ父と暮らすエーリンは、どこか力強く自由なサビーナに惹かれ、二人は共に過ごすようになる。
しかし、町はサビーナや彼女の家族を快く思わない。面倒を持ち込む移民に対し、厳しい目そして嫌悪感を示すのだった。
今年の映画祭で観た作品の中ではかなり好きな一本です。
少女たちの友情は痛みと共に語られ、それは辛いのですが、その中で互いに影響しあいはぐくまれる絆がとても美しい映画です。
今作はQAで監督からも発言がありましたが、とにかくメインの二人に大きく依存した作品です。
この二人が素晴らしいケミストリーを生み出し、またそれぞれが真実として自分の痛みと向き合いそれを解放するから素晴らしいのです。
サビーナを演じたアンドレ―アは演技経験がなく、サビーナと同じ背景を持っているんだそうです。母の不在や移民としての苦労。
ボロボロの廃車の中、母へ電話するフリをしたシーン。アンドレ―ア本人の想いがそのまま語られているとのこと。
そしてエーリンを演じたエリン・マークルンドですが、体の傷は実際に彼女が摂食障害や自傷行為で苦しんだ証であるのです。
実際の傷跡をスクリーンでみせる勇気もありますが、二人の掛け合いという点ですと、言語に違いがある点をうまく使っていたのが好きです。
お互いに言葉を教え、歌を通してシンクロする。うまく伝わらなくても人の表情や仕草から相手を推し量る。
二人が理解しようとしたのはお互いの心だったと思います。
そんな二人を囲む環境は残酷でした。
外部に対する敵意というものが、そこかしこにあり、同郷の人ですら、自衛のために突き放さざるを得ません。
それは二人の関係性とは違い、やはり心を理解することのない世界でした。
ちなみに原題は”Till drömmarnas land”、訳としては”夢の国へ”という意味合いとのことで、かなり皮肉が効きながらかつ物語の帰結に必然性をもたらすものになっています。
多くの移民は、アメリカや日本、そしてヨーロッパの先進国を、行けば何か希望がある、人生が良くなる、まさに夢の国としてとらえます。
それが実際にはどうかというものです。
エーリンは結局、サビーナからは夢の国と思えていたスウェーデンから出ていくわけです。
サビーナの幻滅と共に、今度はエーリンも自分にとっての夢に国、より良い場所へと旅立っていくラスト。
ゆくえは分からずとも、希望を求める旅立ちは応援せずにいられません。
この少女の友情や旅立ち、出会った誰かがある意味で自分を自由にし外へ出る力をくれるというのは、前回のTIFFイスラエル映画「赤い仔牛」に近いものを感じました。
切ない友情や、影響しあい前進する人々など、個人的に好きな要素が素晴らしい役者と美しさでスクリーンに描かれた作品。
一般公開は分かりませんが、多くの人に見る機会があるといいなと思いました。
サビーナがOPで「私はここにいる!」と叫ぶように、人々は彼女たちに目を向けなければいけないですから。
感想としてはここまでになります。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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