「赤い子牛」(2018)

  • 監督:ツィビア・バルカイ・ヤコブ
  • 脚本:ツィビア・バルカイ・ヤコブ
  • 製作:イタイ・タミール
  • 音楽:カルニ・ポステル
  • 撮影:ボアズ・ヨナタン・ヤコブ
  • 編集:ハミン・タバクマン
  • プロダクションデザイン:エウド・ガッターマン
  • 衣装:リル・ゴールドフィン
  • 出演:アビゲイル・コバーリ、ガル・トレン、モラン・ローゼンブラット 他

第31回東京国際映画祭、ワールドフォーカス部門、イスラエル映画の現在2018出品の今作は、長編としては今作でデビューとなるツィビア・バルカイ・ヤコブ監督による作品。

TIFFの前にベルリン国際映画祭にて最優秀デビュー作などにノミネートされるなど各映画祭にて高い評価を得る注目作です。

主演を務めたのは、長編映画はこれが2作目の若手女優アビゲイル・コバーリ、そして彼女の父をテレビシリーズで活躍しているトレン・モランが演じ、主人公と恋に落ちる少女には、イスラエルフィルムアカデミー、エルサレム映画祭で主演女優賞獲得経験もあるモラン・ローゼンブラットが演じています。

今作はイスラエル映画の中で、けっこう田舎が舞台であること、また厳格な宗教下でのLGBTというアイデンティティーに惹かれて鑑賞。

QAには監督と撮影監督、プロデューサーの3人が登壇してくれました。

自身を出産する際に母が亡くなり、敬虔なユダヤ教徒であり尊敬を集める聖職者でもある父と二人で暮らしてきたベニー。

彼女のもとに、伝承において奇跡の兆候であるとされる赤い子牛が生まれ、ベニーは父に言われその世話をすることになる。

子牛の世話の手伝いのためにやってきたヤエルという少女と過ごすうち、ベニーは彼女に惹かれていき、二人の距離はどんどん近づいていった。

しかし、この関係は父にとっては到底受け入れがたいものであり、ベニーは父と自身の想いの間に挟まれ苦しむことになった。

ある厳格なルールのある環境の下、その世界では受け入れられない関係にある女性の物語というと、私は今年観たセバスティアン・レリオ監督の「ディスオビディエンス」を思い浮かべました。

同じくユダヤ教のなかでのレズビアンのお話ですから、似てはいますが、今作は少女の成長という意味でも展開されていく作品でした。

ベニーの寝起きから始まる映画ですが、なにか眠い、だるい、退屈といった感覚がベニーにはあります。

父のいうことを聞いて素直な子ではあるんですが、どこかぼんやりしているんです。授業?もしっかり受けているけれど、やはり友人とタバコを吹かしてダベっているのが心地よさそうです。

物語は俯瞰せず、常にベニーの視点で描かれます。

なので、父のどこか怖いと思ってしまうような狂信的な部分も感じられ、またユダヤ人を入れようとしない聖なる丘での衝突が、少し狂っているとすら思えます。

この作品において、宗教とか信仰それ自体にはジレンマはありません。ベニーは自分の信仰に対して揺れているとは思えなかったのです。

彼女はおそらく人生で初めて恋をしただけです。

ヤエルも言いますが、どこかこのコミュニティで浮いた存在の二人が出会い、互いに惹かれていく。

キスが止まらなくなるベニーは、やはり強く自分の意思を出し始めた成長が見えますし、二人過ごすときは何にも縛られず、世界も広く感じられます。

どこか緊張感のあるベニーと父の関係よりも、ベニーとヤエルの方がよっぽど自然に見えました。

撮影でも画面構成や人物配置で、親子は枠内や壁際の狭苦しさがあり、逆にベニーとヤエルだと横並びに向き合い画面いっぱいになっていたと思います。

でもヤエルは、ちょっと口論になってしまうシーンで分かるように、この世界で二人の将来が見えていません。

あの体の傷は心の傷の具現化なのか。ヤエルの傷の理由は、彼女のアイデンティティーが敬虔なユダヤ教徒の社会では受け入れられなかった証なのかもしれませんね。

一緒にいたいけど、できない。

ヤエルは去ってしまいますが、ベニーにとって彼女との出会いは無駄ではなかったように思えます。

つまり、外へと踏み出す力をもらったのです。

父は愛を失ってから、信仰だけを頼りに生きてきたのでしょう。ベニーのことではないと言いますが、やはり愛する妻を奪ったのはベニーであるとどこか思っていたのかもしれません。

まあ私はお父さんが悪いとも思えませんが。

彼は彼なりの方法で、妻との死別を乗り越えようとして来たでしょうし、最後に目を合わせるだけで娘が去ることを理解し、涙しましたから。

愛は恐怖であり、死である。

失うことを恐れ、失えば自分が少しでも死ぬんです。

ただ、ベニーは、最後に子牛にもしたように、どう生きるかの選択肢を得ました。

彼女の行く末は分かりませんが、最後は少なくとも、赤い子牛の奇跡を信じるだけの父の元へ残るよりはなにか可能性があったと思います。

自我に目覚めていく少女の視点から、周囲を見せていく作品。

田舎を舞台に外の世界へ足を踏み出す少女。きっとどこかに彼女が愛したい人を愛せる場所があるはずです。

この作品は土地柄や宗教、外部の要素に人生がに縛られているようで、それでもすべては自分で選ぶことができることを思い出させてくれます。

QAでもテルアビブはわりとオープンだけど、田舎ではこんな風に宗教が根強いといっていましたけど、確かに、都会もしくは近くに生きていると、アイデンティティーで迷っても受け入れてもらえる、自分でも生きていける場所があると知っているものです。

それが、田舎になると、閉鎖社会しか知らず、そこで拒絶されたら終わりだと感じてしまう。やはり、外へ行ける力、選べることを知るって大切だなと感じました。

レビューはこのくらいです。まだまだTIFF鑑賞作はあるので、順次感想をまとめていきます。それでは~

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