「ウーマン・トーキング 私たちの選択」(2022)
作品概要
- 監督:サラ・ポーリー
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脚本:サラ・ポーリー
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原作:ミリアム・トウズ『Women Talking』
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製作:デデ・ガードナー、ジェレミー・クライナー、フランシス・マクドーマンド
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製作総指揮:ブラッド・ピット、エミリー・ジェイド・フォーリー、リン・ルチベッロ=ブランカテッラ
- 音楽:ヒドゥル・グドナドッティル
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撮影:リュック・モンテペリエ
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編集:クリストファー・ドナルドソン、ロズリン・カルー
- 出演:ルーニー・マーラ、クレア・フォイ、ジェシー・バックリー、ベン・ウィショー、フランシス・マクドーマンド、ジュディス・アイヴィー、シーラ・マッカーシー 他
俳優として活躍しつつ監督であるサラ・ポーリーによるドラマ映画。
ミリアム・トウズによる同名小説を原作としており、また小説もボリビアで2009年に起きた連続レイプ事件を題材にしています。
なので、間接的になってはいるものの、実話をテーマとした作品になっています。
事件を受け村の女性たちが選択を迫られ協議する様子を描きますが、「蜘蛛の巣を払う女」などのクレア・フォイ、「ナイトメア・アリー」などのルーニー・マーラ、「MEN 同じ顔の男たち」などのジェシー・バックリー、そして「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドなど豪華な面々が出演。
2022年に各映画祭にて公開されてからすぐに高評価を得ており、評判とシンプルなタイトルで興味があった作品。
アカデミー賞でも作品賞ノミネートもしましたし、北米の年末公開と同じころには上映するかと思ってましたが、日本公開は6月まで伸びました。
公開週末に行ってきましたが、まあ入りはそこそこといった印象。
~あらすじ~
自給自足で生活するキリスト教圏のある村。
そこで連続レイプ事件が起きた。
それはこれまで、「悪魔の仕業」「幽霊のあと」「女の悪い夢」などと男たちに決めつけられていたもので、長きにわたって村の女性たちは暴行され続けてきたのだった。
犯人の男を町の裁判所に突き出すと、村の男たちは彼らの釈放のために村を後にし出かけて行った。
女たちは選択を迫られる。赦し、闘争、そして村を離れること。
男たちが戻ってくるのは2日後。
それまでに女性たちは話し合い、議論し、結論を導いていく。
感想/レビュー
サラ・ポーリー監督がすごくシンプルなタイトルにおいて成し遂げたすさまじい対話。
“Women Talking”=「女性たちが話している」と、そのままでありながらも思っていた以上に幅広い議論と哲学が繰り広げられました。
題材やあらすじを見ても、ここにフェミニズムが置かれているのは想像でき、虐げられてきた女性たちが自立して選択するのだろう・・・とは思えますね。
でも、もっと奥深い思想を語らい、言ってしまえば男女も関係なく、境界線なくすべての人々への癒しとなるような選択の一夜になっています。
色彩が映す人生
今作は非常にモノトーンというかモノクロというか、彩度がかなり落とされていて色合いのない画面作りをされています。
すべてが白っぽいか黒っぽい。実際の衣装などを見ると結構鮮やかな青だったりの衣装を身にまとい、そこには花柄もあるんです。
でも、すべては褪せている。
一見すると彼女たちの衣装や村の世界からして時代劇のようなテイストのためかと思いますが、作中でもわかるように舞台は2010年。
もうiPhoneがある世界ですよ。
しかし彼女たちの精神世界というのは、自分たちの意志も思考も拒絶されるような、色のない人生というわけです。
映画が進むうちにほんのりと外の明かりに色がついてきたりもしますが、全編にわたってのこの画面作りは見事でした。
素朴で美しい音楽
音楽に関しては、「TAR ター」でも見事なスコアを作っていたヒドゥル・グドナドッティル。
またすごいいい仕事してますね。
基本となるメロディ自体がなんというか、少し怖いような印象もありながらも滑らかに流れる、そして踊りのような美しさを持っています。
素朴で決して華々しくはないけれど、そこに穏やかさや温かさがある。
繰り返すそのメロディが終幕には明るくなっていて、そして少ない音色に楽器が加わって盛り上がったりと変化する様は、女性たちの心理にシンクロしていました。
3面でありながらも融合し一つである女優達
今作を見る理由のきっと大きな一つであろう俳優陣。
ルーニー・マーラ、クレア・フォイ、そしてジェシー・バックリー。私が好きな俳優が、一人出てても映画見る理由になる人が3人もいるんです。
しかもここにベン・ウィショーがいて、小さな出番ですが(製作も務めてます)フランシス・マクドーマンドもいる。
キャストの字面だけでも満足な面々が、融合体のような女性たちを演じていました。
クレア・フォイ演じるサロメは怒れる女性です。
彼女は女性たちの怒りの象徴であり、(正直当然ですが)暴力性も見せていく。
ルーニー・マーラが演じているオナは妊娠中であり、彼女は静かに怒りながらも、よりよい世界を、外を目指している気がします。
彼女自身が結婚していない妊婦という位置であったり、ベン・ウィショーが演じているオーガストととの恋仲を見るに、かなり現代的な女性を体現しているとも取れました。
ジェシー・バックリーは抑圧の中耐えるしかなかった女性を演じ、怒りが自分や女性たちというコミュニティの内部へ向いてしまう悲しさを背負います。
納屋の中に祖母、母、娘と脈々と続く女性たちがおりますが、彼女たち全員に代わる代わるスポットライトのように陽光があたります。
娘の中には「退屈」と正直に漏らす様子も。
映画的な豊かさ
一見すると、女性たちが納屋に集まって話すことが主体の映画ということで、舞台的な印象に陥る危険性を感じました。
しかしポーリー監督は多様な映像表現で映画としての豊かさを与えています。
フラッシュバックが使われることもですが、性暴力を直接には映さず、その結果を見せる点もいい判断です。
ルックとして不快さを直には出しません。
それでも、乱された衣服に脚につけられたあざと血の後を見て、そこから惨たらしい犯罪を想像させます。
少年たちに関する議論についてもオーガストの語りに重ねて映像を流す。
ヒエラルキーを表す男子女子の遊び。ほんのりと感じる制御が必要な身体的な旺盛さ。
民主的で平等な国家の誕生
巧みに映像を重ねるのはそれは主体が話すことだからです。
”アクション”は少なくとも、会話と所作に意味がある。
女性たちの議論はフェミニズムにとどまらず、このコミュニティにも収まらないような大きなものです。
自己の価値を決定すること、それを世界に任せてはいけない。
ノンバイナリーの子をどう呼ぶか。アイデンティティの問題。
将来において自分たちがどう見えるかまでを考慮する。
あらゆる境界線を取り払い、本当に多くの人々を多面的に理解し救ってくれる議論には、聴いているだけで癒しとなる力がありました。
投票に始まり、議事録を作りながら賛成意見と反対意見を述べ、メリデメを上げながら皆に声を与えて黙殺もしない。
最後の旅立ちは、一つの理想的な民主国家の樹立を見るようです。
もしかすると、我々はこの村の女性たちのようなシステムと哲学を持つべきなのかもしれません。
想像していた範囲を超えての知見と思想に触れ、素晴らしい映画体験となった作品でした。
今回の感想はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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