「サウスポー」(2015)
- 監督:アントン・フークア]
- 脚本:カート・サッター
- 製作:トッド・ブラック、ジェイソン・ブルメンタル、スティーヴ・ティッシュ、ピーター・リッシュ、アラン・リッシュ、アントン・フークア
- 製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、ジリアン・チャオ、ゲイリー・チェン、ジョナサン・ガリソン、カート・サッター、デヴィッド・ブルームフィールド、デヴィッド・レイネス、ディラン・セラーズ、エズラ・スワードロウ、ポール・ローゼンバーグ、スチュアート・パー、デヴィッド・シフ
- 音楽:ジェームズ・ホーナー
- 撮影:マウロ・フィオーレ
- 編集:ジョン・ルフーア
- 出演:ジェイク・ギレンホール、レイチェル・マクアダムス、フォレスト・ウィテカー、ウーナ・ローレンス 他
「イコライザー」や「マグニフィセント・セブン」のアントン・フークア監督が絶望から立ち上がるボクサーを描くスポーツドラマ映画。
ボクサーを「ナイトクローラー」などのジェイク・ギレンホール、トレーナーには「ブラックパンサー」などのフォレスト・ウィテカーが演じています。
また妻にはレイチェル・マクアダムス、福祉施設の職員としてナオミ・ハリスも出演。
当時はジェイク・ギレンホールの肉体改造がかなり話題を呼んでいた作品ですね。
フークア監督は好きですから、公開当時意識してはいました。しかし見逃してます。何故だったか理由を思い出せない。
ビリー・ホープはその攻撃的なスタイルで知られるボクシング世界チャンピオン。
カードやドッジをせず、パンチを受けながら流血しそれをパワーに変える選手だ。
美しい妻と愛する娘に支えられながら幸せな日々を送るビリーだったが、若手選手の挑発から乱闘に発展。
誰かが発砲し、妻が流れ弾に当たり命を落としてしまうのだった。
絶望の中のビリーにさらに災難が降りかかる。
財政難から家を手放す危険性があり、ビリーの薬物依存や暴力生から娘と引き離されてしまうのだ。
立ち直り、父としての勤めを果たすべく、ビリーはトレーナーを探し再びリングに立つことを決意する。
フークア監督が描くボクシング映画ですが、まずそのルックを支えているジェイク・ギレンホールには圧倒されますね。
「ナイトクローラー」でのぞっとする痩せこけた顔から一転し、ムキムキの鍛え上げられた身体を見せています。
しかし、単に体を作っただけではなくそこに攻撃性や凶暴性などの怖さを感じさせる作りになっています。
特にタトゥーもありますが、血ですね。
血を流し、浴びることで高揚する獣のようなビリーをよく表す体作りになっていると感じました。
またトレーナーとなるフォレスト・ウィテカーの味わい深さも良いですね。含蓄ある人物を良く演じていると思います。
私が中でも良かったのは、ナオミ・ハリスが演じた福祉施設の職員でした。
この作品で内面的な苦悩こそ抱えている描写はないですが、マチズモ的な部分なしで描かれる中でかなり良かった。
実は途中までは相当に好きな作品です。
チャリティ・ファイトまでですね。
それまでこの作品は、ある男の地獄落ちと魂の旅だったと思うんです。
身よりも頼る相手も持たずに施設で育ち、ボクシングこそが人生や人間としての成長を形作ってくれた存在だったビリー。
彼は再び、何もない男に戻ることになったわけで、娘という”得たもの”を取り戻そうともがくわけですが、フークア監督は孤児や貧困という要素を大いに取り込んでいるんです。
ここは非常におもしろく、ユニークなカタチです。
ジムの役割はプロボクサーを育てることではなく、子どもたちが成長し、人間として大切なことを学ぶことなのです。
しかし、50セントの演じているボクシングプロモーターがいますけれど、彼がチャンプ戦を持ち掛けてからはなんというか、よく言えば王道スポーツ映画、悪く言えばありきたりなマッチョ映画。
特訓してタイトルマッチ。試合の組み立てとしても良くも悪くも普通な感じになっています。
ビリーは妻を失ったことでより父としての役目を意識せざるをえなくなり、また社会的なダウンフォールを経験したことでルーツからもう一度出発することになる。
彼の怒りや激しい感情はバーでも爆発してしまい一度は外へ出ますが、落ち着いてもう一度相手、つまり現実と対峙することを学んでいくのです。
ですが、そうした内面の訓練が、どうにもラストのファイトにはつながっていない気がしました。やはり感情的になりますし、勝利に関してもその感情の抑制が勝利につながったとも思えません。
そもそも、再びチャンプになるというゴールが、ビリーにとって最善の、ふさわしい目的だったでしょうか。
入れ込んだテーマは興味深いもので、ルックの点でジェイクが貢献する点は大いにあり、またナオミ・ハリスという強力なサポートもあったのですが、行き着く先には説得力がなかったです。
結局妻の死の真相は”謎の多い事件”で片づけられてしまっているのも、しこりが残るものとなります。
もっと理不尽でどうしようもない理由による死だったら、なおのことやり場のなさに共感できたんでしょうけれど。
感想としては以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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