「ワーキング・ウーマン」(2018)
- 監督:ミハル・アヴィアド
- 脚本:ミハル・アヴィアド、シャロン・アズレイ・イヤル、ミハル・ヴィニク
- 製作:レオン・エデリー、モシェ・エデリー、アミール・ハレル、エイレット・カイット
- 撮影:ダニエル・ミラー
- 編集:ニリ・フェラー
- プロダクションデザイン:イヤル・エルハダッド
- 出演:リロン・ベン・シュルシュ、メナシェ・ノイ、オシュリ・コーエン 他
第31回東京国際映画祭、ワールド・フォーカス部門、イスラエル映画の現在2018にて上映された作品。監督はイスラエル映画ベテランのミハル・アヴィアド。
今作は職場のセクハラを扱う作品ですが、監督は以前にもレイプ被害者の女性同士の交流を描いた”Invisible”(Lo Roim Alaich)(2011)など、女性と取り巻く社会や権利を描いた作品を撮られているようです。
主演はリロン・ベン・シュルシュ。
今回上映はQA付きでしたが、脚本を手掛けた一人であるシャロン・アズレイ・イヤルさんが登壇しお話してくれました。QAも素晴らしかったので少し触れたいと思います。
イスラエルの不動産業界で働くオルナ。優秀な彼女は上司のベニーと共に、欧州の富裕層をターゲットにした海岸沿いの高層マンション建設プロジェクトに挑む。
家では自身のレストラン経営をする夫と、愛する子供たちがおり、オルナは彼らのためにも必死で頑張る。
ある日、プロジェクトが軌道に乗りそれを祝った際、ベニーがオルナにキスをした。
拒絶したオルナに対し、翌日ベニーは謝罪をし、2人はプロジェクトに取り組むのだが、ことあるごとに冗談交じりに迫るベニーに対しオルナは恐怖を覚えていった。
女性の性被害を描く作品も、社会的抑圧を描く作品も多くあり、ある程度見てきました。
社会的に変えなければいけないとも思うし、怒りを覚えるばかりです。そして意識をしなければと思うわけですが、今作で何を感じたかと思えば、”恐怖”です。
正直私にとっては、自分でも想像していなかったのですが、ホラー映画でした。
恐怖というのは、オルナを通して、女性がただ仕事や日常生活で感じているのかもしれない怖さを感じたということです。
初めてのセクハラのあと、職場に再び行きベニーが謝罪をするあたりから、怖かったです。
音楽を排し、長回しを多く使いオルナに寄り添うスタイルは気づかないうちに私を行ってしまえばオルナと同化させるほどの没入感を持っていました。
普段、変態野郎やレイプ魔、最低なクズが映画や小説、ドラマなどの作品に出てきたとき、怒りを感じます。
そして意識的に、そのキャラクターを自分だったら殴りつけてやるとか、なんなら殺してやると思うことがあります。怒りと攻撃性が出てくることが多いのです。
ただ、今作は違いました。
私はベニーが怖くて仕方がなかった。
ベニーは別に、筋骨隆々だとか、ギャングだとかではありません。普通にそこらにいるサラリーマンのオッサンです。おそらくやはり、リアルでこんなことをしていたら、殴りつけてやると思います。
でも、今作はオルナが感じるすべてを観客にも肌で感じさせるほどの空気を作り出していたんです。
だから彼が画面に出てくるたびに、焦りや怖さと緊張で体が苦しかった。
ガラス越しの廊下を歩く姿が映る、夫と踊っているときに、ピントも合わないけど奥にベニーがいるのが分かる。
楽しいはずのものも何も楽しくない。ベニーがいる、いると思うだけですべてが最悪でした。
この感覚こそが大事なのだと思いました。
これこそが、女性がただ社会生活をしている中で、時に、いや常に感じている恐怖や不安なのだと。
問題を外から聞くのではなく、体感する。
疑似体験ホラーとして素晴らしい。
QAではラストに関して、ある意味女性が黙殺されている、そして男性社会に迎合するような間違ったメッセージにならないかという質問に、「間違っている。でもそれが現実。理想ではなくその間違った現実を描いた。」とお答えされており、オルナのこの残酷な状況こそが現実で、映画の外ではこれが毎日続いているのだと思うとさらに怖くなりました。
明らかに破壊されていく家庭。傷つくのは本人だけではなく、その周囲の人すべてです。
自分で自分の推薦状を作成するシーンは、心の裂ける思いでした。
そして自分を責めるのも悲しいです。
夫もそうですが、なぜか疑念を持たれてしまうのは、被害者の女性です。
日本でも何かセクハラや痴漢の話題には「そんな恰好をしている女性が悪い」「男ならそうなって仕方がない」などの声が聞こえてきます。
今作では女性の視点で見る男性も明確に描かれていて、犯罪者ベニーだけでなく、理解の足りない男性にも警鐘を鳴らしていました。
夫はどうしても、妻の身になることができず、自分として裏切られたという思いにとらわれてしまいます。
結果としてそれがさらにオルナを追い詰めたわけですが、現実私も夫のように振る舞ってしまうかもしれません。
QAではMETOO運動についても触れられましたが、今作はそれよりも何年も前から構想され、運動の最中には撮影をしていたと語られました。
それって、つまりMETOOはあくまで表面化に過ぎず、こういった問題はやはりもっと前から長く存在していたという証明です。
大切な人が傷つけられたことにいかにして気付けるか、そして支えられるか。
女性の感じるすべてを共有し、そして自分が何をすべきかを考えさせられる。体感型として観客を放り込むだけでなくて次に動いていこうとさせる力をもった作品です。
是非日本公開をお願いしたいですね。多くの男性にこれを観てほしい。
何ができるのか、しかし確実にこれは変えなくてはいけないと強く訴える作品です。
イスラエルのことと、他人事には思えませんね。
自分のこととして考えさせてくれるのは貴重な作品です。感想はこれくらいで終わります。それではまた。
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