「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(2021)
作品概要
- 監督:ジョン・ワッツ
- 脚本:クリス・マッケナ、エリック・ソマーズ
- 原作:スタン・リー、スティーヴ・ディッコ、『スパイダーマン』
- 製作:ケヴィン・ファイギ、エイミー・パスカル
- 音楽: マイケル・ジアッチーノ
- 撮影:シェイマス・マクガーヴェイ
- 編集:リー・フォルサム・ボイド、ジェフリー・フォード
- 出演:トム・ホランド、ゼンデイヤ、ジェイコブ・バタロン、ベネディクト・カンバーバッチ、マリサ・トメイ、ジョン・ファブロー、ウィレム・デフォー、アルフレッド・モリーナ、ジェイミー・フォックス 他
数々のヒーロー映画を送り出すマーベルスタジオのユニバース、MCU第27作品目の映画。
同ユニバースの「スパイダーマン:ホームカミング」、そして「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」に続くスパイダーマンのシリーズ第3作品目になります。
監督はシリーズを担ってきたジョン・ワッツ、主演やメインメンバーも引き続きトム・ホランドやゼンデイヤ、ジェイコブ・バタロンが出演します。
また今回は同ユニバースで活躍のベネディクト・カンバーバッチが共演しています。
さらに、同じマーベルコミックのスパイダーマンの別スタジオ制作の映画からも出演。
2002年から作られたシリーズからそこで悪役として出ていたウィレム・デフォーら、さらに2012年からのリブートシリーズからもジェイミー・フォックスらがそれぞれ同役で出ています。
予告段階からマルチバース(違う世界、次元の同じ人物が存在する設定)を始めることが明かされており、MCUフェイズ4のなかでも重要な作品になることが予期されていました。
今作は満を持して大人気ヒーロースパイダーマンの新作であり、一応はシリーズの採集膜とされている作品になります。
公開前からの期待値の高さも含めて、映画ファン、MCUファンの間ではかなりの厳戒態勢。実は作品自体は2021/12中旬に北米などと同時公開だったのですが、なぜか直前になって日本のみ延期。
とにかく大変だったのは、ネタバレの回避。
内容に若干の予想をするファンが多いため、そこは気を付けている方が多かったですね。SNSを遮断した方も。
確かに海外で公開すると、キャプチャとかなんなら映画本編の動画とかいろいろと出てきてしまうので。
私はネタバレは踏まずに、公開週末に鑑賞できました。通常字幕版でしたけどかなり混んでましたね。久しぶりに予約開始と同時にチケットを取りました。
IMAXのほうはもっと争奪戦だったようです。
【ネタバレ注意】今回のレビューは作品ストーリーにおける重要な要素に触れています。
~あらすじ~
偽りのヒーローであるミステリオのロンドン襲撃を闘ったスパイダーマン/ピーター・パーカーだったが、ミステリオの巧みな術により彼がミステリオを殺害したと容疑をかけられてしまった。
さらに最悪だったのは、秘密にしていた正体を明かされてしまったこと。
そのせいで恋人のMJや友人、メイ叔母さんまでに迷惑が掛かり、念願のMIT出願すら”社会的情勢”を理由にみんな断られてしまう。
責任を感じたピーターはアベンジャーズの仲間であるドクター・ストレンジを訪ね、スパイダーマン=ピーター・パーカーである記憶を全世界の人間から消してくれるように頼みこむ。
しかし魔術の最中にピーターがあれこれと変更を訴えたせいで中途半端になり、術の作用としてマルチバースの混乱が起きてしまう。
ストレンジが後始末をする間にピーターはに直談判を決めるが、見知らぬ敵が襲撃。
なんとそれは別の世界から”ピーターがスパイダーマン”ということを知っている悪人だったのだ。
この世界に侵入してきたすべての別世界からの悪人を見つけ出し、元の世界に送り返す。
そのためにピーターはMJとネッドを加え、別正解の怪人探しを始める。
感想/レビュー
ネタバレなしでまとめると
どこから手を付けていいのか分からない作品で、あまりあれがどうだったとか、その仕掛け自体で評価としていいものではないため、難しい作品です。
まず簡単にネタバレしない範囲でまとめれば、素晴らしいファン映画でありながらも、一貫してジョン・ワッツ監督が描いてきた”容赦のない世界に放り込まれ成長していく子ども”の物語になっていました。
長らくスパイダーマンを愛してきたファンにとっては登場人物たちすべてのやり取りやかかわり、構築されるドラマに喜ぶことと驚くことがあり、それでいてまたMCUとして新たなるサーガの幕開けを感じます。
何にしても素晴らしいのは、一つがMCUの切り開いた世界の広さ、野心と懐の広さ。
そしてジョン・ワッツ監督がどれだけお祭り騒ぎになっても、ピーター・パーカーの葛藤や成長のドラマを止めずに描き切ったことです。
真にスパイダーマンになる
MCUという特殊な環境に生まれ落ちたこのトム・ホランド主演のスパイダーマンシリーズ。
すでに多くのヒーローがいる世界で、誰にあこがれ、誰を手本とするか。
そしてすでにいるどれかのヒーローではなく、自分らしくあることを描いた「スパイダーマン:ホームカミング」。
喪失と重圧の中で過ちを経験しながらも、自分の背負うものに向き合うと選択した「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」。
今回はついにこのユニバースに寄り掛かったスパイダーマンとしての大技を繰り出します。ドクター・ストレンジとの交流もそうですが、他のユニバースからのヴィランたちを相手に。
しかしそれだけではなくて、最大の自己犠牲を払い、どんなに孤独でも、どんなに過酷でも、底抜けに優しい”親愛なる隣人”となる。
真にスパイダーマンであるという証を示しました。
というところまでが、本当に革新的な部分に触れずにいえる簡単な感想になります。
ノスタルジーのつるべ打ちと説明のスムースさ
ここからはネタバレ全開で。
正直ある程度の方々は予想をしていたでしょうけれど、ついにやってのけたMCU。
まさかこんなことが可能になるとは。
アルフレッド・モリーナのドクター・オクタビアスにウィレム・デフォーのグリーン・ゴブリン、そしてトーマス・ヘイデン・チャーチのサンドマン。
そしてリス・エヴァンスのリザード、ジェイミー・フォックスのエレクトロ。
彼らがトム・ホランドスパイダーマンと同じスクリーンに。
このノスタルジーのつるべ打ちにはファンはクラクラしてしまうわけですが、散らばった侵入者を回収するというシンプルなゲーム構造を駆使し整理。
さらに直接元の世界へではなくて、まずは集めてからってところで、自然と各キャラクターの掛け合いを披露する場を作ってしまう腕の良さ。
掛け合いの中で、ヴィランの特性や出自を説明できる構造もうまいと思います。
仮にMCU以外のスパイダーマンを観ていなくても、なんとなくキャラクターを把握できます。
ちなみに私はなんと言ってもウィレム・デフォーに感服です。
「ライト・ハウス」でも思ったのですけど、切り替えとかスゴいんです。
純粋無垢で脆いノーマンからふとすぐに邪悪なゴブリンになれる。特に素晴らしかったのは、”優しいノーマンを演じているゴブリン”を演じるところ。演技の中の演技が卓越してます。
あと、メイおばさんとピーターの背景で、目を盗んでクッキーをポケットに入れてるの芸コマ。
イン・トゥ・ザ・スパイダーバース
そして「スパイダーマン:スパイダーバース」の公開時から期待されていた実写スパイダーバース。
ついに実現されました。
思えばこのMCUスパイダーマン3作目に関してやたらとソニーとディズニーが揉めていた経緯もあったり、予期はできたもので。
それでも、実際にスクリーンにトビー・マグワイア、アンドリュー・ガーフィールド、トム・ホランドの3人のスパイダーマンが揃う光景は、歴史的な瞬間でしょう。
各人思い入れは異なるかと思いますが、私は子どもの頃にはサム・ライミ版でスパイダーマンというヒーローに出会い、大学時にはアメイジング・スパイダーマンの誕生を観ていたので、かなり感慨深いものがありますね。
ネッドがポータルを開いて二人のスパイダーマンを呼び寄せたとき、劇場が驚きと歓喜に包まれる非常に素晴らしい映画体験になりました。
アクションを通しドラマの展開を止めない
しかし前述の通り、ヴィラン側でも上手く構築を進めていたジョン・ワッツ監督。
ここでもスパイダーバースをただ展開してファンサービスするだけではありませんでした。
正直不安なのはそこですよね。
「アベンジャーズ」シリーズを展開してきたMCUならば、ただの”オールスター出しただけ映画”にならないのは分かりますが、いかんせん今回は違うスタジオで過去に作られた映画からの登場です。
シリーズ製作が終わっている以上、他のアベンジャーズメンバーとのクロスオーバーのようにはいきません。
そこで昔を変えずにアクションを通じてドラマを語るというこれは非常に映画的な語りを見せてくれました。
過去のスパイダーマンの2人の贖罪と救い
トビーもアンドリューのピーターも、救えなかったことを抱えています。
トビーは敵(ベンおじさんの仇)を死なせてしまった(殺したと自責している)こと。
そしてアンドリューは彼のMJであったグウェンを助けられなかった。
ここに対して最終決戦の局面で、アクションを通じて彼らの贖罪を描き、救いを与えているのです。
トビーのピーターは自身のシリーズでできなかったサンドマンの治療を達成し、彼を家に帰すことができます。そしてなにより、死なせてしまったノーマンを救う。
復讐にかられたトムのピーターを、復讐心で傷を負ったトビーのピーターが止める。
これだけでも先輩スパイダーマンからの教えとして感動的ですが、それがノーマンを救うというトビーのピーターにとっての贖罪にもなっているんですよ。なんと巧みなことか。
そしてアンドリュー。
くり返すようなMJの落下に今回こそは間に合い、救うことができた。できなかったことをこの世界で達成し、「大丈夫?」と言いながらも「大丈夫?」と聞かれるくらいの表情をするアンドリューのピーター。
アンドリュー・ガーフィールドの役者としてのレベルの高さも相まって私個人的には一番の感動ポイントになります。(そもそも「アメスパ2」のグウェンの死は映画史上かなりつらい部類)
最後の決戦なんて、キャラクターの数からしても多いのですが、それぞれにただ画面共有するだけではないドラマをくれているのが素晴らしいところ。
トム・ホランド版スパイダーマンのオリジンに
私は最後までこの作品をみて、この作品こそがトム・ホランド版スパイダーマンのオリジンであると考えています。
今まさにスパイダーマンが誕生し、スタートを切ったのだと。
既にほかにもたくさんのヒーローがいるユニバースに生まれたこのスパイダーマン。
これまではそういう意味では相対的な存在でした。誰よりは子どもっぽい世界、誰とはどう違う。
しかしそれらもすべて踏まえて、違う世界のピーター・パーカーの人生も踏まえて、ここで真のヒーローとして覚悟を決めた。最大級の自己犠牲を払うのです。
ピーター・パーカーとスパイダーマン、二つの人生を歩めない。
それを知って選んだのはスパイダーマンとしての人生。
ピーターはストレンジに任せて解決できたマルチバースで、ヴィランを全員治療して帰したいとこだわります。
それは元の世界に帰れば、全員死んでしまうから。救いたいのです。
確かに「自分には関係ない」と考える瞬間もあれど、しかしメイおばさんの想いを受け止める。確かに自分のことではない、自分のホームではない。
しかし真に人を想うヒーローとはアメリカにおける隣人の愛を体現するということです。
”親愛なる隣人”であるからこそ、自分に関係のない問題でも全力を尽くし犠牲を払う。
今作のタイトルは、ミステリオによるIDバレによる混迷の中で”クイーンズの家を失う”ピーターを指すとも思えます。
また同時に、彼自身の自己犠牲により拠り所を失うからこそ、そもそも”帰る家をなくしてしまう”という意味になります。
ただ、本当の意味で人知れずとも隣人を救うピーターを見ると、彼にとってはすべてがホームなのかもしれません。
トニーもメイもいない。MJ、ネッド、ハッピーも、ストレンジも彼を知らない。
一人寂しいアパートを借りて、再びスタートするピーターは、こんな状況になってもスーツを自作し、”親愛なる隣人”を続ける。最後のスイングには拍手喝さいを送りましょう。
スパイダーマン=ピーター・パーカーをこれまで見守ってきた観客だけは、彼を永遠に記憶にとどめておくのです。
観客だけが正体を知るヒーロー。こここそ始まりと言っても良い。
非常に切なくもお別れよりも、最高のスパイダーマン誕生を見れたことが誇らしく思える作品でした。
今回はちょっと長めの感想になりました。
ここまで読んでくださった方はほぼ鑑賞済と思います。リピートしてください。何度も目に焼き付けてあげましょう。まだ見ていない方は今すぐ劇場へ。
今回はこのくらいで。
それではまた。
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