「ザ・ホエール」(2022)
作品概要
- 監督:ダーレン・アロノフスキー
- 脚本:サミュエル・D・ハンター
- 原作:サミュエル・D・ハンター
- 製作:ジェレミー・ドーソン、ダーレン・アロノフスキー、アリ・ハンデル
- 音楽:ロブ・シモンセン
- 撮影:マシュー・リバティーク
- 編集:アンドリュー・ワイスブラム
- 出演:ブレンダン・フレイザー、ホン・チャウ、セイディー・シンク、サマンサ・モートン、タイ・シンプキンス 他
「レスラー」や「マザー!」などのダーレン・アロノフスキー監督が、体重200キロを超える超肥満体型の男が、死期の近い中でかつて捨てた娘と絆を取り戻そうとするドラマ。
主人公は「ハムナプトラ」シリーズなどのブレンダン・フレイザー。
彼は一時心身の不調から一線を退いていましたが、今回大きなカムバックを果たし、大いに演技を称賛され、アカデミー賞主演男優賞を獲得しました。
その他彼の看護をする役で「ザ・メニュー」などのホン・チャウ。娘役には「ストレンジャー・シングス」で有名なセイディー・シンクが出演。
また「アイアンマン3」などのタイ・シンプキンス、「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」のサマンサ・モートンらが出演しています。
ブレンダン・フレイザーの名演が称賛を浴びていることと、アロノフスキー監督の新作ということで実に5年ぶりということで結構楽しみにしていた作品です。
公開週末は予定が合わなかったのですが、そのあと平日で観てきました。
~あらすじ~
チャーリーは超肥満体型で自宅に引きこもり、オンラインでエッセイの授業をしている。
あまりの肥満と不健康により彼の血圧はすぐに入院措置が必要なレベルになっているが、チャーリーは看護師のリズの助言も受け入れず頑なに入院しない。
チャーリーは自分の余命が短いことを知り、ある人物に電話をかける。それは自身の娘エリー。
チャーリーはエリーが8歳の時に、妻と彼女を残して家を出ていた。
自分を見捨てた父に対し憤りを隠さないエリーだが、チャーリーは彼女の宿題のエッセイの手直しを通して絆を取り戻そうとする。
しかし二人の隔絶と過去の心の傷は深く、チャーリーもエリーも負の感情に飲み込まれて行ってしまう。
感想/レビュー
ブレンダン・フレイザーカムバックに対し、作品は追いついていない
ブレンダン・フレイザーの大復活、アカデミー賞受賞。
それがとにかく騒がれている作品でありますが、ダーレン・アロノフスキーの新作っていうのも重要なファクターです。
ちょっと忘れられていた俳優のカムバックを果たすというと、アロノフスキー監督はミッキー・ロークに「レスラー」で同じチャンスを作っていますね。
法則でもあるのか分からんのですが、まあ似たようなことが再び起きた印象。
それで映画を見てまず間違いなく、ブレンダン・フレイザーは期待に応える演技です。
あのファットスーツ自体が良いのかは個人的には疑問ではあるのですが、フレイザーが体現して見せた精神の脆さからの崩壊したバランスを持つ身体。
身体的には動けない分不利でしょうけれど、それを超えて感情表現が豊かで、チャーリーの絶望や悲しさなどが感じ取れます。
悲しみを飲み込んで、その量を体の大きさが表現しているといった感じでしょうか。
メインの演者が良いだけに
また看護師のホン・チャウもチャーリーとの関係性を、ただの患者と看護師ではないという意味でも説得力がありました。
リズは個人としてチャーリーを案じている。
また短い出演時間でもやはりサマンサ・モートンは素晴らしいですね。怒りと愛情が渦巻く妻の役。
ふとした瞬間には元夫から全て絞り出そうというような意地悪さが見え、かと思えばやはり寂しさと恋しさに苦しむようで。
でもそれだけだったという印象です。
演技の点で見応えがある。それに尽きるかな。
あまりに舞台的すぎる
この作品は舞台のアダプテーションですが、もっとどうにかならなかったのかなと。
非常に舞台的で仕方がない。映画ではないんじゃないかと思うくらいに舞台です。
観客に気づかせるための画面構成なんでしょうけどドアと部屋の外の廊下が見える窓と、人影が動いたりのショットが気になります。
誰か来てドアを開けて話して出て行って。
映画らしさを感じなかったんですよね。
これは今作の脚本がどうこうではなく、そもそもの舞台脚本がかなり舞台的な構成なんでしょう。
ただ脚色するというか、映画に落とし込むうえでもう少し何とかならなかったのかなとは感じます。
エリーが動き続けるせいで体を動かせないチャーリーがくるくる首を回したり、隔絶された二人が最後の最後まで同じ画面にピンぼけ無しで綺麗に収まらないなど、画面構成や撮影に工夫はありますが。
あとはそもそものアス比を正方形に近いものとして、チャーリーの心とアパート同様に狭苦しく押し込められた印象を作っている点でしょうか。
宗教との関連
アロノフスキー監督というと、やはりキリスト教との関りを強く持つ点があげられます。
「マザー!」はそのまま世界の創造~キリストの誕生などを落とし込んだストレス映画でしたし、「ノア」も神話、「レスラー」は主人公がキリストのような投影をされていました。
今作ではもろに宗教が人を救うのかを引き合いに出しながら、そこには同性愛とそれを許さない宗教を描いています。
なので宗教的な救いとかには否定的な姿勢に思います。
というよりも、今の生や世界に悲観することや、何か勝手な生まれ変わりへの期待に対しての批判かもしれません。
朧げなトランプ政権誕生の政治背景を置いてるのは正直どうでもいいのですけど、生を悲観するなといったところでしょうか。
最後は人とのつながりだの生きること、生きる上で他者を思いやることとかが集合体としてクライマックスを迎えますが、なんだかあまり響きませんでした。
言及される「白鯨」に対して、チャーリーが寝るときにライトを消すために使う棒が銛の形になっていたり、歩行補助具を用いて歩くチャーリーを真っすぐととらえるところで、彼がクジラのようなシルエットになったりと目くばせが多いです。
自身の闇との対峙の意味もあったり、あとは陸に上がってしまい死を待つだけのクジラが、自分で歩いて海へと還るというメタファーともとらえられます。
ブレンダン・フレイザーやホン・チャウ、そしてサマンサ・モートンらの好演がぐっとレベルを引き上げているものの、脚色段階で舞台を抜け出せていない舞台的な映像という感じになってしまっていて非常に残念でした。
響く人もいるでしょうけれど、私は話や演出に関してはちょっと不足と機能不全があると感じます。
今回は期待値も大きく持ちすぎたのもあるかもしれません。
ブレンダン・フレイザー目当てでも見る価値はあるのかと思うので、気になる方は劇場へ。
今回の感想はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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