「アルカトラズからの脱出」(1979)
- 監督:ドン・シーゲル
- 脚本:リチャード・タークル
- 原作:J・キャンベル・ブルース
- 製作:ドン・シーゲル
- 製作総指揮:ロバート・ベイリー
- 音楽:ジェリー・フィールディング
- 撮影:ブルース・サーティース
- 編集:フェリス・ウェブスター
- 出演:クリント・イーストウッド、ラリー・ハンキン、ロバーツ・ブロッサム、ポール・ベンジャミン、パトリック・マクグーハン 他
「白い肌の異常な夜」(1971)、「ダーティハリー」(1971)でも有名なドン・シーゲル監督とクリント・イーストウッドコンビの作品。
実際のアルカトラズ島刑務所脱獄事件を題材にした、J・キャンベル・ブルースによる小説をリチャード・タークルが脚色しています。
脱獄系ドラマの映画は数多くあれど、これは大好きなうちの一本です。
ここではイーストウッドも好きですが、何よりもドン・シーゲル監督のスタイルがとても気に入っている作品です。
サンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズ島に、要塞のごとく構えるアルカトラズ刑務所。
ある日そこに移送されてきたフランク・モーリスは、ここが絶対に脱獄のできない完全な刑務所であると署長から聞かされる。この中で目指すのは、更生し良き市民にあることではなく、良き囚人を作り上げることであった。
だがある囚人から、各部屋にある通気口へ入り込むことさえできればそこから外へ出られると聞いたフランクは、密かに仲間を集め脱獄計画を練っていく。
シーゲル監督の作風としてはこちらは異常なまでに押し出された作品と言えましょう。
心に訴えるとか、感傷的なドラマ性を高めず、淡々と話が進んでいく。
今作では音楽はオープニングとクライマックスにのみしかかからず、全編通して無音いや、行動音のみが流れていますね。
非常に実録的な作りになっていまして、脱獄への過程に関してはこの囚人たちと同じく看守の足音や自分たちの作業音を体感していきます。
ここは個人的にはスリルがあって本当にドキドキしました。
なんというんでしょう。職人的?この落ち着いた作り、というよりも音楽も流せず、行動の一つ一つに少しの怖さを覚えてしまう作りは、内容とも重なっていて非常に重要かつ巧いと思いましたね。
映画全体が抑圧されたような作りになっているのは、この刑務所が体現しているものがそのまま投影されているからに思えます。
完全なる人間の飼育。外界との関係を断ち切り、何かをするということを全て排除し、時間だけを与えるこのアルカトラズ。外の世界も、外の人間もほとんど出てこないのです。
所長は鳥かごを部屋に置いていまして、フランクに説明しながらそれを眺めますね。閉じ込めの強調される部分です。
個人というものを排していこうという恐ろしさが伝わる場面も多いですね。
面会の電話のシーンなんかは唸ります。個人的な(家族などの)話をするところで、囚人と面会者を隔てるガラスが消え、それぞれの顔がなにも隔てずに画面に映るのですが、会話を監視する看守の割り込みが入った瞬間、またガラス越しの閉鎖的な画面に戻ってしまう。
撮影監督ブル―ス・サーティース、お見事。
またあのドクを中心にした花の件は分かり易く、今作ではかなりドラマチックなところ。
自由な心を示した花はドクから離れてフランクへと渡されるのですが、あの所長自ら文字通りにひねり潰されてしまうんです。落ち着いたシーゲル監督の作風の中、ここは静かな感情の爆発点ですね。
最後まで一貫した抑えにより、今作は細やかな要素に対しての集中と緊張を観客に引き出させていると思います。
そしてそれがこの閉鎖的な刑務所の環境そのものと重なる、映像と感覚の共鳴も感じられます。この脱獄事件を外から見るのではなく、フランクらと共に内側から見る。
この抜け出すというスリルを大変楽しめるのは間違いないのですが、それだけにとどまらない。
今作はこれだけドライな作りにも関わらず、何か反体制的もしくは統制社会への反抗のような魂を感じさせてくれました。
最後の菊の花。ドクの心であり自由の象徴。一度潰され、また再び所長に潰され海へと投げられますが、この自由な精神は決して絶えることはなく、どれほど圧しようと叩き潰そうとも、再び咲くのです。
実録の脱獄劇に完璧なトーンを与えつつ、沸き起こる自由への希望までも見せるドン・シーゲル監督の傑作。是非見てほしいものです。
抑えているから、地味だから語りが少ないとか興奮できないとか、そんなことは決してないのですね。感服です。
というところで感想はおしまいです。
イーストウッドはシーゲル監督の撮り方を受け継いでいるようで、彼の早撮りはシーゲル監督の有名なスタイルだったようです。うん、良い師匠に出会ったんですね。それでは~
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