「6月0日 アイヒマンが処刑された日」(2022)
作品概要
- 監督:ジェイク・パルトロー
- 製作:デビッド・シルバー、ミランダ・ベイリー、オーレン・ムーバーマン
- 製作総指揮:モシェ・エデリー、レオン・エデリー、ロン・ゴールドマン、ジェイソン・ベック、エバ・プシュチンスカ、アマンダ・マーシャル
- 脚本:トム・ショバル、ジェイク・パルトロウ
- 撮影:ヤロン・シャーフ
- 美術:エイタン・レビ
- 衣装:インバル・シューキ
- 編集:アイェレット・ギル・エフラット
- 音楽:アリエル・マークス
- 出演:ノアム・オバディア、ツァヒ・グラッド、アミ・スモラチク、ヨアブ・レビ、トム・ハジミ 他
ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の計画と指揮における中心人物、アドルフ・アイヒマン。
今作はそのアイヒマンの最期にまつわる真実を描きだし、彼の遺体処理に関するWikipediaには載らないエピソードを浮かび上がらせていきます。
監督は「デ・パルマ」「マッド・ガンズ」などで知られ、脚本家、俳優でもあるジェイク・パルトロー。
「アイヒマンを追え!」など、戦犯を追いかけて行ったり、戦争後の処刑に関してなどを描き出す映画も結構ありますが、今作はイスラエルでの話をベースということで興味がありました。
今回は週末ではなく平日のサービスデイで鑑賞。
といってもなかなか人が入っていました。
~あらすじ~
1961年、ナチス・ドイツの戦争犯罪人、アドルフ・アイヒマンの裁判で死刑判決が下る。
イスラエルに移住していたダヴィッドの通う学校では授業を中断し、ラジオの報道に耳を傾ける。
放課後、ダヴィッドは父と共に鉄工所へ向かい、ゼブコ社長に仕事をもらうことになった。
ダヴィッドは熱心に働くが、金の懐中時計を盗んでしまい、返し損ねていた。
鉄工所で過ごすダヴィッドは工員たちに可愛がられ、ゼブコも彼を認めはじめた。
しかし、ゼブコの戦友で刑務官のハイムが持ち込んだ極秘プロジェクトが工員たちを動揺させる。
それはアウシュビッツの焼却炉の縮小版を作成し、処刑されたアイヒマンの遺体を焼却する計画だった。
感想/レビュー
そもそもアドルフ・アイヒマンをめぐる流れを観ておきます。
今作の素晴らしいところは、教科書のようにこの流れを追うものではないところにありますが、あまりに情報がないととっかかりにくい方もいるかもしれません。
アイヒマン処刑までの流れ
アイヒマンは第二次世界大戦後、逃亡し、アルゼンチンに潜伏していました。
1960年、イスラエルのモサドによってアイヒマンはアルゼンチンで発見され、イスラエルに連行。
翌1961年、アイヒマンはイスラエルで裁判にかけられ、ホロコーストに関与した罪で有罪判決を受けました。
アイヒマンの処刑は、1962年6月1日に行われました。この映画では6月0日といわれますが理由は後述。
彼は絞首刑にさた後焼却され、遺骨は国外に散骨されました。
この大きな歴史的事実については、調べれば出てきますしもちろん既知の方も多いでしょう。
少しおもしろいのは、ユダヤ教とイスラム教が大多数のイスラエルで、法的には死刑もない国で、死刑と火葬が選択されたことですね。
今作でも肝になる火葬は、行ってしまえばやり返し。
そしてどこかに墓を作らずに散骨したのは、彼の遺骨が何らかの場所に永久に留まらないようにするための措置でした。
で、その辺を背景にはしっかりと置きつつも、ジェイク・パルトロー監督はまさかのヒューマンドラマ、しかも一つの町の工場での少年と親方の物語に落とし込んでいるのです。
あらすじを聞いただけでは、正直それがどうしてアイヒマン処刑と火葬の裏側になるの?と思います。
実際私も予告編との本編の温度差にびっくりしました。
普通の歴史ものとは全然違う視点だからです。
当事者の視点で語ること
今回の題材に興味を持ったパルトロウ監督は、実際にイスラエルに赴いて当時の証言を収集しまています。
特に、鉄工所で働いていた少年ダヴィッドのモデルとなった人物との出会いや、アイヒマンの警護をしていた元刑務官から聞いた “美容師とアイヒマンのエピソード” など、市井の人々の視点から “歴史の裏側” を描くために努力したそうです。
俯瞰視点や”歴史の事実”としての目線ではなくて、ここまで(正直歴史映画とは思えないほどのヒューマンドラマとして)親しみやすいスタイルであるのは、こうした努力のおかげであると思います。
そして、その試み、アプローチのおかげでこそ、観客はこのアイヒマンの処刑と火葬を当事者の視点からのぞき込むことができるのです。
撮影も監督のこだわりで16mm撮影。
画面は良い感じにざらついていて、また時代を感じさせるような手触りが良かったです。
緊張と重圧をどこかユーモラスに描く
そして描き出されていくドラマですが、決してその題材に対して重苦しいものではありません。
やはり親しみやすい。OPからはこれがアイヒマンの処刑とどうつながるのか見えにくいほどにノスタルジーを感じるようなものでした。
少年と親方、町工場のみんなのドラマにも、そしてアイヒマンを収監している刑務所で監視をする警察も、どこかユーモラスに語られます。
ただそれらも、根底にはこのイスラエルでの裁判や火葬というプロジェクトが、市井の人々にとってどれだけ大ごとであるかという背景があるからです。
ある意味で大きすぎる重圧でコミカルに見えるということ。
アイヒマンをあまり正面から映し出さずに、しかしその存在感だけは感じ取らせる演出手法も良かったです。
語ること
この処刑から火葬にかかわったダヴィッド。しかし彼の名は歴史に記されず決して知られていくことはない。
そこにいた皆をこんな体験記のような、記憶をめぐるようなスタイルで語り、少なくとも観客の記憶に残していく。
映画というメディアができることとして素晴らしいですね。
主軸としてはナチス戦争犯罪者を裁くものですが、捉える視点やタッチがユニークな作品で楽しめました。
今回の感想はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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