「モービウス」(2022)
作品概要
- 監督:ダニエル・エスピノーサ
- 脚本:マット・サザマ、バーク・シャープレス、アート・マーカム、マット・ホロウェイ
- 原作:ルイ・トーマス、ギル・ケイン『モービウス・ザ・リヴィング・ヴァンパイア』
- 製作:アヴィ・アラッド、ルーカス・フォスター、マット・トルマック
- 音楽:ジョン・エックストランド
- 撮影:オリバー・ウッド
- 編集:ピエトロ・スカリア
- 出演:ジャレッド・レト、マット・スミス、アドリア・アルホナ、ジャレッド・ハリス、タイリース・ギブソン 他
マーベルコミックのヴィランである同名キャラクターを主人公にそのオリジンを描き出す作品。
特殊な血の病に侵された天才医師が、治療のために吸血蝙蝠の遺伝子を自らに注入したことによるスーパーパワーと、その代償を描きます。
主演は「ハウス・オブ・グッチ」のジャレッド・レト。また「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」のマット・スミスが主人公の兄弟とも言える親友を演じます。
監督は「ライフ」などのダニエル・エスピノーサ。
今作はソニーが展開している、MCUからは「スパイダーマン」、スタジオからは「ヴェノム」と同じユニバースを共有するものとなっており、ちょっと言及は避けたいものの、一応は「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」鑑賞後に観るほうが良いような位置づけの作品になっています。
最近はほとんど作業的にこのあたりの展開を追っている気もしますが、すくなくとも話題の作品を観たいというのは映画を見続けている身では当然のこと。
IMAXでも公開していましたが、公開週末に2D字幕版を鑑賞してきました。
朝一のかなり早い回でしたが、学生が結構いました。
〜あらすじ~
幼い頃から血の難病に苦しんでいたマイケル・モービウス。
同じ病に悩む親友マイロと共に生き延びながら、彼は治療法を探すことに人生を捧げている。
体内に血液を凝固させない機能を持つという吸血蝙蝠に望みを託すマイケルは、その遺伝子を人間のDNAと結合させた血清を作り出すことに成功。
自らに人体実験を行うが、それは病の回復だけではなく特別な力をマイケル与えた。
しかし一方で彼は生き血を欲する怪物へと姿を変え周囲の人間を惨殺してしまう。
マイケルはこの力を制御し怪物を取り除くべく実験を始めるが、マイロはこの力こそこれまでの自分たちの苦しみへの解放だと思い始める。
感想/レビュー
ソニーの思惑
もともとモービウスはスパイダーマンのコミックに登場したヴィランとのことで、非常に吸血鬼ホラーまんまな色合いを持つキャラクター。
今作はそんな彼のオリジンを描くことになる作品ですが、総合的に見るとオリジンよりも製作側の展開に必要なステップでしかなかったように感じました。
背景として無視できないと思うのはソニーが画策するスパイダーマン、ヴェノムなどとのユニバースの拡張。
そこから新しくスパイダーマン映画を始めたいのでしょうか。
ピースを埋めていくことはそれ自体悪いとは思いませんが、遂行は質を問われます。
主人公のドラマが薄い
今作で問題なのはオリジンでありながらも機序が述べられるだけで、マイケル・モービウスのドラマが描かれないことにあります。
マイケルがいかにしてこのモービウスという怪物になるのかは流れとしてしっかりと描写されていますが、心理的な部分で繋がりが持てるとは感じませんでした。
マイケルには生への執着を感じず、医師として人を救っていきたいという強い思いもあまり見えなかった気がします。
ルックの作り込みは年齢を感じさせずまさに吸血鬼かと思うようなジャレッド・レトがすごいと思いましたし、カリスマを振りまくところは流石です。
しかしドラマ性の欠如は痛い。
それはけん引するはずのマイケルに対して、見ている観客が何を期待すればいいのかわからないことにつながり、すべてが散漫になっていきます。
能力を完全に消し去りたいのか、制御していきたいのか。
ハルクのようにこの超人的力を殺す旅ならばその要素が薄く、また吸血鬼のように呪いとして抱えるならば、恋人?のマルティーヌとの関係に支障をきたしていてもいいでしょう。
バランスが悪く感じます。
モービウスとしての力に恐れをなすというならば、最初の虐殺についてはもっと残酷でいいはずです。
ここは「ヴェノム」の時からそうなんですが、キャラクターに必要な設定からの逃げが見えるんですよ。
寄生型生命体なのに浸透するような寄生描写だったのもヒヨっていましたけど、今回も微妙です。
最終的には死んでもいいクズみたいな傭兵だから・・・なんて言い訳までつけていてダサいです。
これは本当にマズイと思わせてくれなければ、単純な話、輸血袋を備えておけばいいだけの話であるのです。
マット・スミスは救い手
今作は何をしたいか根底のテーマがよくわからないんですが(弱者と復讐を絡めようとしているのは分かりますがうまく機能していない)、それを救っているのはマット・スミス演じるマイロの存在です。
彼にこそドラマがあり、今作の主人公は彼でいいです。
マイロの話だったらもっとおもしろくなっていたと感じます。
彼はマイケルと同じ弱者です。生命の危機にさらされながら生きる。それは超人たちという存在を見ると完全に真逆の存在。
DCではあるのですが、フランク・ミラーの「ダークナイト・リターンズ」にはバットマンの印象深いセリフがあります。
それはスーパーマンに向けられたもので、「死に恐怖するとはどんな気持ちか教えてやる。」というものです。
マイロは彼自身が言及するように、これまで虐げられ怪物として扱われ、社会的にも動物的にも下層に追いやられてきた。
だからこそ、彼がずっと抱えてきた”今、明日死ぬかもしれない”という恐怖を人々に植え付けようとする。
社会に対する復讐としてここは味わい深い。
エフェクトがアクションのルックを上げる
さらにマイロには愛されなかった兄弟の側面も(正直唐突ですが)あり、彼こそ興味深いドラマを見せていると思います。
ルックについてもヨレたスーツで闊歩する姿、マット・スミスの骨格(特にやはり大きくでた額)はこの吸血鬼の力やCGデザインと見事に調和していて魅力的でした。
全体のアクションシーンに関して、アクション構築という点では空間的にもあまり整理されていないかもしれませんが、基本的にはエフェクトのクールさがすべてプラスに持って行っています。
エコービジョン?的なところにおける物質の輪郭の揺らめきとか、アクションしている物体の輪郭から発煙したような色付きのエフェクトが出ている点なども魅力です。
視覚的には大いに楽しめることと思います。
オリジンとしての練りこみ不足
だからこそ、このオリジンストーリーが物足りないのが余計に際立ちます。
人格的に問題がある人間がまっとうになるタイプ(アイアンマン、ドクター・ストレンジ)でもなく、持てる力を正しく使い英雄となるタイプ(ブラックパンサー、スーパーマン)でもなく。
その弱者という視点から社会に対しての破壊を通して、痛烈なメッセージを届ける(ジョーカー)までにも至っていません。
なんとも煮詰まっていない緩さはコミック映画が苦戦していたころを彷彿とさせるものですが、もう2022年。
ある程度の方程式にのっとるか、もっと挑戦してほしかったのが本音です。
最後のポストクレジット見ると、やはりやりたかったのってこれでしょうね。と思ってしまいます。
オリジンストーリーもただクロスオーバーの球数増やしじゃなくて、今の社会に必要とされるからこそ誕生してほしいです。
そんなわけで全体には退屈かつ散漫でうまくいっていなかったコミック映画を思い出させる出来の、主人公はマイロだったらよかったなと思う映画でした。
今回の感想は以上。
今作も今後の展開において見ておく必要があるのかな?最近コミック映画は答え合わせのような作品ばかりで疲れてきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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