「ダイブ」(2022)
作品概要
- 監督:ルシア・プエンソ
- 製作:カーラ・ソウザ、アナ・ラウラ・ラスコン、ラミロ・ルイス、アクセル・クシェバツキー、アリアナ・アレドンド、ホセ・ナシフ
- 原案:カーラ・ソウザ
- 脚本:ルシア・プエンソ
- 出演:カーラ・ソウザ、エルナン・メンドーサ、デヤ・エベルゲニ 他
アルゼンチンのルシア・プエンソ監督が描き出す、オリンピック出場に向けて練習する高飛び込み選手と、彼女のコーチに巻起こったセクハラの告発。
主演はメキシコの俳優であり「殺人を無罪にする方法」などのカーラ・ソウザ。
その他、エルナン・メンドーサ、デヤ・エベルゲニなどが出演しています。
事実から着想を得て作成された作品であり、私が調べた限りは具体的にどれだというものは見つけることができなかったのですが、逆に言えばスポーツにおけるハラスメントは例示が不要な程に溢れていますね。
作品に関しては全然知らず、アマプラを眺めていたらおすすめに表示されました。
実話に基づいた重苦しい内容ではありますが、スポーツ映画において「クリード」とか「ダンガル」のような熱いものは観ていても、その業界や体質に関しての映画は観たことがなく興味がわいて鑑賞しました。
~あらすじ~
メキシコの高飛び込みの選手であるマリエル。
15歳にしてオリンピック銅メダルを獲得した彼女は、長年彼女を指導してきたコーチ、ブラウリオと共に最後のオリンピック出場を目指し練習に励んでいる。
しかしある日練習中にペアの選手が負傷してしまい、ブラウリオは14歳の若手選手ナディアを連れてきてペアを組めという。
子どもに自身のキャリア最後のオリンピックをかけることに不満だったマリエルだが、ブラウリオの提案を飲まなければ練習もできない。
ナディアを受け入れて練習を再開しようとするが、ブラウリオが停職処分を受けてしまう。彼に対し、ナディアの母がセクハラの告発をしたのだ。
人望が厚く実績もあるブラウリオは周囲に支えられ、マリエルも彼を擁護することを頼まれるが、マリエルは自身の過去に向き合わざるを得なくなった。
感想/レビュー
スポーツ業界の闇に一人称視点で入り込む
スポーツ映画ですが、これは業界の闇タイプの作品。
主題としては性的な搾取と暴行、未成年に対する洗脳。題材については「バーズ・オブ・パラダイス」に似た感じかもしれません。
その世界での成功やキャリアが、指導者への肉体関係の提供に依存している。
そしてそれが隠蔽されていく、しかも最も醜悪な形で。
今作に関するレビューがあまりなく、英語表記のモノはあらすじの解説ばかり、スペイン語のモノは読めず。
実際にどんな事実、実話に基づいているのかはわかりませんでした。
しかし、オリンピック協会や各種スポーツの種目の中で、コーチやその他指導者側が選手へ性的虐待をしていた、またはあらゆるハラスメントをしていたという報道は、残念ながら珍しくないものになっています。
そしてこの作品はその事実に対して、重苦しくも精神の傷跡を抉り出し血を流しながらも人生をもってその罪を暴き出していきます。
カーラ・ソウザの魂と覚悟
原案を主演であるカーラ・ソウザが出しているようですが、彼女自身がこのような性的暴行の被害者のようです。
彼女がまだキャリア駆け出しのころ、監督から圧力をかけられそしてレイプされた(※)と告白しています。
この作品を観ればビジュアルやフィジカルの面でも一切の妥協をしないカーラの姿と、そしてマリエルの内面の悲痛さを圧巻の演技で見せる彼女がいます。
そこに相当の覚悟があるのは、カーラ自身が本当につらい思いをしたからでしょう。彼女にとって、このマリエルの物語は個人的なのだと思います。
カーラ・ソウザがどれほど打ち込んだのか分かりませんが、肉体改造はしているでしょう。
無駄のないしなやかな身体で筋肉もしっかりとついています。
映画ではマリエルが柔軟体操をしたり、振り付けしたりしていますが、その動きやキレもすごいです。
正直彼女のことを知らないと、本当に高飛び込みの選手だと間違えるでしょうね。
入魂の演技からそれを余すことなく映す撮影。
顔面の接写多用にも応えるカーラ・ソウザが、他人事ではなく一人称視点のようにハラスメントが奪った人生を伝えます。
人生を奪い去るハラスメント
彼女自身がオリンピックこそが最優先事項としている。だからこそ自分で自分を追い詰め続けている。その不安と葛藤の中で、ナディアの告発があり激しく動揺します。
マリエルだけを始め客観視していると、露骨な性描写も相まってセックスには奔放にも見えます。
しかしこの破滅的な行動の裏には、幼い頃からその性に関する破壊を受けて歪んでしまった事実が見えてきます。
ナディアが今作の中では現在進行形の被害者に見えます。ただ、実際にはここで示されるようにマリエルも今なお被害者であり続けているのです。
マリエルがたびたび炎症を起こしてしまうこと。次第にその背景に、幼い身体への性行為が原因であるかとほのめかされ吐き気がします。
深く根付きシステムと化す加害
ナディアは完全に洗脳されている。
それは幼いがゆえに見えていない現実と、大人の世界の中で近くにいて自分を認め自己の存在意義をくれる男性がいるという体制に紐づきます。
聞こえはいいですが、その男性によってあらゆる面でナディアの価値が決められてしまうのです。
なので何をされても言われても受け入れるし、少しでも認められればそれでいい。あまりに毒があり歪んでいて危険な構造です。
成長していけば、それまでのキャリアの恩を盾にされ、そして脅される。コーチが絶対。誰のおかげでここまでこれたのだ。
そして問題なのは幼い未成年がターゲットとなることで、必然的に家族をも巻き込むこと。マリエルは完全に家族ぐるみでブラウリオとかかわっている。
そうなることで少女には一切安全な場所は無くなります。
訴えを起こすことも難しいですし、そしてナディアのように性的搾取を”愛”と認識させられていれば自ら折れる。
マリエルが真実を伝えたとき、母は拒絶しあろうことかブラウリオへ謝罪するようにすら求めます。
こんな状態で声を上げることって本当に過酷です。しかしそれこそが現実に起きていることだということですね。
自分の意志で
「私はここに実力で来た。」
これまでプールサイドという上からプールの中の下にいて怒鳴られていたマリエルが、今度は高みからブラウリオを見下ろして言い放つ。
マリエルとナディアの間にシスターフッドの絆が生まれたようなとき、二人の水着のカラーがそろっていました。
マリエルの最後の行動は、まさに大会、システムへの最大の抗議。それはそのルールを拒絶する。
彼女がより広く自由で、人を閉じ込める箱のようなプールではなく、すべてを包み込むような海に入るのは、象徴的であり清々しい。
重苦しい作品ではありますが、問題提起についてかなり主観での体感をくれて、精神的な疲弊や人生そのものの引き裂かれ具合をカーラ・ソウザが素晴らしい名演で伝えてくれます。
彼女に最大の拍手と称賛を。
これは結構お勧めの作品です。
今回の感想はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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