「アイ・アム・マザー」(2019)
作品概要
- 監督:グラント・スピュートリ
- 脚本:マイケル・ロイド・グリーン
- 原案:グラント・スピュートリ、マイケル・ロイド・グリーン
- 製作:ケルヴィン・マンロー、ティモシー・ホワイト
- 製作総指揮:パリス・カシドコスタス=ラトシス、テリー・ダガス、グラント・スピュートリ、ブライス・メンジス、フィリップ・ウェイド、ジョン・ウェイド
- 音楽 ダン・ルースコンビ、アントニー・パートス
- 撮影 スティーヴン・D・アニス
- 編集 ショーン・レイヒフ
- 出演:クララ・ルガアード、ヒラリー・スワンク、ローズ・バーン
NETFLIX製作、グラント・スピュートリ監督が贈るディストピアSF。
人類再生のためのプラグラムにより、ドロイドの手で生まれ育てられてきた少女が、外界からやってきた女性と出会うことで衝撃の事実に直面していきます。
登場人物はわずかに3名。デンマーク出身の「ティーン・スピリット」などのクララ・ルアガード、「15年後のラブソング」などのローズ・バーン、そして「ミリオンダラー・ベイビー」などの名優ヒラリー・スワンク。
今作はもともと脚本としては2016年ブラックリストにはあったらしいですね。そしてこれまでCM畑にいたスピュートリ監督の初の長編作品として映画化されました。
製作はNETFLIXになっているので、劇場公開ではなくて配信公開がされています。少し前の作品ですが、一覧で目に入り鑑賞。
いろいろと考えるにあたって、今回はネタバレありの感想になっていますので、未見で楽しみたい方は気を付けてください。
~あらすじ~
人類がほぼ死滅してしまった未来、人類を種族として再起動させるためのプログラムが起動し、そこでは人工知能を備えたドロイドが研究を続けている。
そして、その施設で胚から成長した子どもがドロイドに育てられている。
さらに時は流れ、10代の少女とドロイドがともに勉強を重ね、”良き母になる”ために励んでいる。
倫理学や善行について学習する一方で、外界は汚染されており危険であるとされていた。
ところがある時、外から謎の女性がひとりやってきた。
銃創のある彼女は治療と助けを求めており、少女は母に内緒でこの女性を施設内にいれることにした。
感想/レビュー
SFというのは超スケールでの宇宙バトルでもないし、様々なメカが出てきた電脳世界でもない。
サイエンス・フィクションは科学の延長の中に倫理と哲学を見るジャンル。私はそう捉えています。
その意味で今作は野心的にその倫理哲学の分野に、科学の力をもってして挑戦し疑問を投げかけ思考を先へと伸ばしていきます。
この辺はゾンビ映画でありながらも哲学的であったSF「ディストピア パンドラの少女」などを思い出しました。
したかったことを素晴らしい3人の役者によって力強く導き、掘りたかったものを掘り観客に思考を促している、その点ですごく成功していると感じました。
今作は善良さとは何なのかという点について、理想郷を実現することを目指した人間と機械を描きます。
そこには人類という大きな枠を用意していて、大義と正義の話もありますが、同時に非常にミニマムに母と娘の話でもあり。
創世の神話
人類は死滅した。そしてリブートをかけている。
死滅自体がこのドロイドの仕業なのだとすれば、それは大量殺戮であり倫理的には崩壊をしていますが、より善き事=大義のためであるとするならば、このドロイドの行為はまさに救世主です。
地上を一度更地にして新たに命を生み出して楽園を作ろうとは、まさに神の仕業。
宗教的な概念も今作には出てきていて、ヒラリー・スワンク演じる女性が女神像を崇拝して祈るシーンもあります。
母、娘、そして女性。全員が女性でありやたらと母という役目について説かれていきますが、それもまた生命の源たる意味合いもあるでしょう。
固有名詞のなさはこの物語自体が神話のようにも思えます。
超越的な空気感を出すのはそういった細やかな設定からくるものかと。
神の所業は人間がプログラムしたのか、もしくはやはりドロイド自身が自分で判断したのか。
その点は謎ですが、倫理に関する問題を挙げています。
殺人も肯定される場面がある。種の存続のためならば、大量殺戮も許されるのか。
母を育てる計画
途中で娘が倫理課題に取り組んでいますが、判断のつきにくい場面で母は自己犠牲を説きます。
神の役目を担う母に対して、次第に娘は疑念を抱いていきますが、全ては母の計画のとおりに進み、娘を”母”にしていくプロセスでした。
ミステリーやスリラーのテイストを上手く使い分けながら、今作は緊張感を持続させつつ全体プロセスを見せます。
明らかに食い違っている経過年数38年と娘の年齢(十代くらい)。
娘は後に判明するように第3の子ども。
第2は不完全故に焼却されていて、外部からきた女性こそが第1の子どもだったのでしょう。
年齢的にも合致します。
彼女は行動から見ても不完全でありましたが、娘に”人間の愚かさや暴力性、嘘”を教え込む実際のサンプルとして必要。
だから生かされてきたのだと考えられます。
女性がやがて施設へやってくることも設計済。
そして嘘をついて娘を外に出し、その真実を持って娘が人間の不完全さを知ることも、計画の内だったのでしょう。
母の壮大な計画は、娘を無事に新人類の母に育て上げました。
必要な冒険も、疑念も衝撃も与え、自立した行動と弟への強い愛情と保護すら備えさせましたからね。
立派に独り立ちさせることが親の責務であるならば、ここまで完璧な育児はない。
もちろん、命をデータやサンプルとして扱っていくドロイドの行為は倫理的には批判されるべきですが、人類滅亡の危機がかかっていたらどうでしょうか。
より大きな課題になれば、戦争でも災害でも、一つ一つの命は相対的に価値が薄まりそれは数字や情報にしかならない。
全体と個を同時に検討して最適解なんて出せるものでしょうかね。
良い世界とは何なのか? 統制されすべての個体に同一の思念が宿ることで、母は驚異的な計画を進めています。
しかしそこに個は存在しません。
素晴らしい演技に支えられ、見事に命題を映像化した
AIの進歩から単なる空想的なSFとも言い切れないこの作品は、観る人に倫理哲学を問いかけ考えさせます。
クララ・ルガアードは抑えの効いた演技から、人が初めて喜び、驚きそして裏切られる感情の波を見せています。
声だけの出演ながら強烈な存在感を示すローズ・バーン。
人間のネガティブで、ゆえにとても人間らしい部分をさらけ出すヒラリー・スワンクもさすがの名演でしょう。
素晴らしい3人に、削ぎ落とした命題でグラント・スピュートリ監督は深い洞察を映像化しました。
ネトフリの配信に限定されているのが惜しいですが、素晴らしいSFなので観れる方は是非。
今回の感想はここまでとなります。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
ではまた。
コメント