「ネットワーク」(1976)
- 監督:シドニー・ルメット
- 脚本:パディ・チャイエフスキー
- 製作:ハワード・ゴッドフリード
- 音楽:エリオット・ローレンス
- 撮影:オーウェン・ロイズマン
- 編集:アラン・ハイム
- 出演:ピーター・フィンチ、ウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、ロバート・デュバル 他
私の大好きなシドニー・ルメット監督作。テレビ業界をリアルタッチ風に見せたどちらかと言えば戯画化の部類に入るものです。
批評家の支持を得て、作品賞含む10部門にノミネート、主演男優、主演女優、助演女優そして脚本と、演技部門をほぼ総なめに、4つのオスカーを受賞です。「ロッキー」に負けましたが、作品賞の価値だってあると思いますよ。
ちなみに主演男優賞受賞のピーター・フィンチ氏は受賞前に亡くなり、死後受賞となりました。
そして助演女優賞のもらったのはベアトリス・ストレイトですが、ものすごく短い時間しか出演していません。おそらく5分ほどでしょうが、その素晴らしい演技が認められました。
この映画での「I’m as mad as hell, and I’m not gonna take this anymore!!!」という台詞は有名ですね。
報道部に勤めてきたハワードとマックス。しかしハワードがキャスターを務める番組の視聴率は落ち込み、彼は解雇されることに。
ハワードを励ますマックスだったが、テレビに人生をささげてきたハワードは絶望していた。
そしてその週の放送中に「私は次週で番組を降りる。その放送中に拳銃で自殺する。」とハワードは言い放つ。大量の苦情に困惑する当局だったが、このハワードが大きな役を担うことになる。
始まりはナレーションが入るのですが、それがこの物語を記録のように伝えます。
ハワードの奇行はストレスからのもので、テレビの裏を暴露する姿は皮肉です。実際にルメット監督はテレビ業界での経験があり、そこで観たものを描いているようです。
しかも精神的に疲弊したハワードを、視聴率が取れるからと新番組まで作ってアイドル化するあたり、倫理的な欠如が見えます。そんなハワードを唯一心配するのは、長年の友であるマックス。
フェイ・ダナウェイが演じたエンターテイメント部門のプロデューサー、クリステンセン。彼女はテレビそのものを人間の姿に投影したような存在で、頭にあるのは視聴率や人気、継続性ばかり。
彼女にとって取り扱うニュースはただの素材。
戦争であろうが殺人であろうが、言葉は感傷的に同情を誘おうとしても、結局受けるか受けないかしか考えていません。セックスのときも企画のことをしゃべり続けるくらいに狂ってます。
このクリステンセンとマックスはハワードを巡って話すうち、恋に落ちるわけですが、最後の別れは真っ当です。マックスのように心をもった人間にはクリステンセンは辛すぎる惨めな存在なのです。
人気も視聴率もなくても、マックスは人間らしい愛や喜びを持つ人生を選んだということですね。
この映画でテレビ以上に描かれるのは金の崇拝主義。この作品でベアトリスと同じく短い出演ながらオスカーノミネートしたネッド・ビーティ。
彼はテレビ局の会長なのですが、彼の話は素晴らしくまた痛いほどに当時、そして現在にも通じる理論を皮肉に話します。
「金が出て入って、その金など何でもいい、ドルでもマルクでも電子資本でも良い。その流れ、各企業の取引、個人との売買。
その金の流れこそこの地球の原理なのだ。国も人民もいない。あるのは世界をまたにかける大企業と世界中の顧客。アメリカなど無い。
あるのはIBM、ITT、デュポン、ダウ、それこそが国。その集まりが世界、つまり世界とはビジネスなんだ。」
すばらしく的確な指摘ですね。現在議論されるグローバル化(悪い意味での)をすでに予見しています。
ラストにハワードは殺されます。そしてそのナレーションは「これが視聴率が悪くて殺された”最初の”キャスター。」というのです。いかにテレビが倫理的に崩壊しているかを言及してますね。
痛烈なメディア批判。そして付帯的に世界のあり方を予見した皮肉。
メディアを扱う映画としてこれ以上ないレベルの素晴らしい作品です。演技ももちろん圧巻ですし、脚本も良いですよ。おススメです。
そんなわけで今のテレビも世界も40年近く前に予想されそのまんま個人が死んでしまったという話でした。ではまた。
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