「オールド・ジョイ」(2006)
作品解説
- 監督:ケリー・ライカート
- 製作:ジュリー・フィッシャー、ラース・クヌードセン、ニール・コップ、アニシュ・サビアーニ、ジェイ・バン・ホイ
- 製作総指揮:ジョシュア・ブルーム、トッド・ヘインズ、マイク・S・ライアン、ラジェン・サビアーニ
- 脚本:ケリー・ライカート、ジョナサン・レイモンド
- 撮影:ピーター・シレン
- 編集:ケリー・ライカート
- 音楽:ヨ・ラ・テンゴ、グレゴリー・“スモーキー”・ホーメル
- 出演:ウィル・オールダム、ダニエル・ロンドン 他
「リバー・オブ・グラス」で高い評価を受けデビューしたケリー・ライカート監督の長編第二作品目。この映画はジョナサン・レイモンドによる短編小説を基にしています。
主演はシンガーソングライターとしても活躍するウィル・オールダム、「パッチアダムス」などのダニエル・ロンドン。
ライカート監督は1作目から実に12年も空けて2作品目を発表。今回はライカート監督作品がアマプラでたくさん配信していたので初めての鑑賞になります。
~あらすじ~
妊娠中の妻と故郷で暮らすマークのもとに、街に戻って来た旧友カートから電話が掛かってきくる。カートから二人で久しぶりに遊びに行こうと言われるのだった。
久々に再会した2人は、旧交を温めるために山奥へキャンプ旅行に行くことに。必要な道具をそろえて犬を連れ、車に乗り込み走り出す二人。
互いの昔話や今のことを共有しながら、森へ入っていく二人は戻れない時間を感じ取っていく。
感想レビュー/考察
ケリー・ライカート監督の作品はなんだかんだで逆順って感じでさかのぼって観ている私。
作家性の根源への旅のように作品を追っていくと、お別れとか喪失とかはひとつ根底のテーマにあるのかなと思います。
「ウェンディ&ルーシー」では主人公ウェンディが唯一持っていたものである愛犬ルーシーを最終的には失ってしまいます。というよりも、自分から手放していきそのまま広い世界に孤独に歩みを進めていくのです。
今作も一つ、失うとかお別れの物語なんだと思います。もちろん中心には後の「ファースト・カウ」で描かれるような友情があるのですが、この行って帰ってくるだけの旅で、二人の友情は決定的な何かを迎えて、もう戻れないお別れのようなものを体験することになります。
ただそれは悲しいだけではなくて、どこか切なくて言葉にうまく形容できない宝物のような感情です。
誰しもが昔持っていた気がするもの、ノスタルジー。そこに重なってくる永遠の別れのような悲しさ。静かで大きなことは起きない、二人の男が山でキャンプするだけの映像。70分くらいのなかで確実に言えるのはすさまじい作品であること。
何気ない男二人の旅模様なのに、なぜかすごく心に染み入ってきます。
それぞれの道を進み不安を抱える二人の男
マークは地元に残っている。彼は世界への冒険はしてこないままに結婚して夫になった。そして今度は子どもが生まれることによって父になる。
そんな彼が今回カートの誘いによって、一時的ではありますが、ただの一人の男に戻ることになります。
冒頭の妻との会話が特徴的です。カートからの誘いに関して一応妻の許可を取ろうとするけれど、妻は私の許可なんかとって何か変わるの?と冷たい。夫婦間には緊張感を感じる。
だからこそ、旅にはほんの少しある解放感がある。しかし同時に、ライカート監督はマークに時間制限を感じさせ、さらにこの旅が終わればもうこの状態に戻れることは無くなるという概念も与えています。
マークには常に、自分が責任ある存在であり自由はないことのリマインドのように妻から電話がかかってくるのです。電話を受け取る彼の指にある結婚指輪がたびたび映るのも印象的なショットです。
マークへ向けられるカートの眼差し、そこにはマークへの哀れみもありますが、決定的な断絶をも感じます。
カートは自由人にも見えるのですが、実際には彼が語る哲学というか論理にも感じられるように、ある意味安定のない底なしの不安の中に生きているのでしょう。
手とそれを離すこと、触れること
旧友との親交を温める旅というよりも、これは生涯の別れの話に思えます。めぐっていくオレゴンの街並みに森についてからの景色、二人で露天風呂につかるシーンまで。ドキュメンタリックというかそのままの美しさに満ちていました。
露天風呂でのシーン。カートがマークに触れる。その時風呂の縁を掴んでいた手、結婚指輪の映る手があります。つまり彼が何かにある意味縛られていることを示す手が、ふと縁から離れる。
同時にカートには肩を触れられていて、まるでマークが自分自身を解放し友にゆだねる瞬間であると取れました。セクシュアルな面があるのかと思う曖昧さで描かれますが、その答えは含まれていません。
緑の中を抜けて行って、誰しもがかつては自由に持っていたような友情や自由に立ち戻る旅を終える。
ライカート監督はそこで二人を現実に引き戻してしまう。マークは役目がある家庭へ。そしてカートは混乱と貧困の見える街へ。彼自身にもなにか当てがあるのかすら分からない。少し引いて距離を取って映されることで、放り出されている感覚が強い。
このあたりは「ウェンディ&ルーシー」のラストにも近い感覚です。
”悲しみとは使い古された喜び”。二人は親友だったのでしょう。そしてずっとそうであり続けたい。しかし対極の道に進んだ彼らは、歩み寄ろうとしたことでお互いの絶対的な距離と壁を知ってしまい、すべてが終わっていく。
静謐な中で大切な何かにさよなら。を伝える、心が澄み渡るようで乱されるとてつもない映画体験でした。
この作品を映画館で観てみたかったと思いつつ。配信で観れますのでぜひ。
今回はここまでです。ではまた。
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