「ウェンディ&ルーシー」(2008)
作品解説
- 監督:ケリー・ライカート
- 製作:ニール・コップ、アニシュ・サビアーニ、ラリー・フェセンデン
- 製作総指揮:トッド・ヘインズ、フィル・モリソン、ジョシュア・ブラム
- 原案:ジョン・レイモンド
- 脚本:ジョン・レイモンド、ケリー・ライカート
- 撮影:サム・レビ
- 美術:ライアン・スミス
- 衣装:アマンダ・ニーダム
- 編集:ケリー・ライカート
- 出演:ミシェル・ウィリアムズ、ウィル・パットン、ウォルター・ダルトン 他
人の心情や人間関係を繊細かつ深い視点で描き出してきたケリー・ライカート監督による作品。アラスカを目指して愛犬と旅をしている若い女性が、こんなに直面する様を描きます。
主演は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、「ブロークバック・マウンテン」などのミシェル・ウィリアムズ。
カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映され、高い評価を得ている作品ではありますが日本では一般公開はされませんでした。
現在はAmazonプライムビデオにて配信公開もされていたりと見やすくはなっています。ちょうど年明けには「ファースト・カウ」を観ていてライカート監督の作品を一気に見直そうかなと思っていたので、ちょうどいいタイミングで配信を見つけました。
もうこの辺の作品も15、6年前のモノと思うとなかなかです。
~あらすじ~
ウェンディは仕事を求め、愛犬ルーシーを連れて車でアラスカを目指していた。
しかし、途中のオレゴンで車が故障し、足止めされてしまう。ルーシーのドッグフードも底をつき、旅費を節約しようと考えたウェンディは、スーパーマーケットで万引きをする。
しかし、店員に見つかって警察に連行されたウェンディは、長時間の勾留の末にようやく釈放されるものの、店の外に繋いでおいたルーシーの姿は消えていた。
野宿をしながら必死にルーシーを探すウェンディだったが、頼れる存在もいない彼女は追い詰められていく。
感想レビュー/考察
いつも社会の底辺に、そこにいる人を描きこんでいくライカート監督。
今作はその一貫した眼差しをやはり感じることのできる作品でした。静かでドキュメンタリーのように密着して写実的で。
全てが示唆されているOP
冒頭からぎゅっと、今作で起こることが詰め込まれています。
少し遠くからの撮影で小さな存在として描かれるウェンディは、今作で何度も登場する鼻歌を歌いながら、ルーシーと歩く。
棒切れを投げてルーシーはそれを取り咥えますがなかなか離さない。そしてルーシーを見失うウェンディ。「ルーシー!」と呼ぶ声がこだまする。
これが一体何を示しているのか。
ウェンディの歩く道の全てであることと、想い出。ウェンディはこのシーンと同じくルーシーを失いつつも、鼻歌を歌いながら決断して去っていく。
結構過酷なロードムービー、というか立ち寄りムービー。
ライカート監督はアメリカ社会において見捨てられてしまった人に対して、甘さはなくとも優しいまなざしを送っています。
ウェンディは仕事探しという目的をもって旅をする。アラスカを目指す彼女は移動手段である車が壊れてしまい、そこで守衛から移動を命じられた。
守衛は自分の仕事をしただけですが、どことなくウェンディを案じていました。ここに、次に出てくる仕事を全うするある青年との対比が生まれる。
それはウェンディの万引きを見つけて彼女を捕まえたスーパーのバイトの青年です。
正しさが人を傷つける
共感があるのかということがここでの議題だと感じました。ライカート監督は社会的な正しさが時に非常に厳しい現実を生んでしまうことを描いたように感じます。
守衛のおじさんは仕事を全うしつつも、ウェンディの車を押してあげていますしそのあとで修理工場のことも教えています。また今作ではウェンディの厳しい状況の中で、ささやかではあっても力添えをしてくれる。
一方でバイトの青年は確かにルール通りに万引きした人を捕まえていて仕事を全うしていますが、そこにはウェンディへの優しさも境遇への共感もありません。
あの少年がバイト終わりに母親に迎えに来てもらっているシーンがありますが、恵まれていますね。
持ってる人ほど、持っていない人に全くの正論をぶつけてしまうものです。悪意はない。ただ推し量ることができないのです。
「お金がない人に、犬を飼う資格はないでしょう。」
日本でも聞くような自己責任論。これは公助の議論を個人にすり替えるものです。
ウェンディのようなポジションには、誰だって一歩足を踏み外せば落ちかねないのですが、持てる者にはそういうことすら分からないのでしょう。
魂を込めたミシェル・ウィリアムズ
実在するかのような人物に、ドキュメンタリーのような撮影などが合わさり、社会の縮図が見えてきます。
今作で主演を務めたミシェル・ウィリアムズ。この役のために車中泊を繰り返し、髪を洗わずにみすぼらしい格好で過ごしたとか。
あまりに入り込みすぎて薄汚れていたため、一部のスタッフは彼女に気づくこともなかったそうですね。すごい力の入れようです。
ミシェルはライカート監督の「オールド・ジョイ」を見て惚れこみ、ライカート監督に売り込んで今作の主演を務めているとあって、本当に組みたい監督の作品に出れたので、全力投球なんですね。
18日ほどの短い撮影期間でリハもあまりできない中で、交通規制もなく本当にその場の街中で撮影した作品。
そこで状況に適応してウェンディを演じきり、孤独も恐怖も、そしてほんのりと感じられる希望や生きる力を演じたミシェル・ウィリアムズ。本当にすさまじい俳優です。
厳しい状況のアメリカで、どんな助けがあったのか
ウェンディが出会う人々には、ほかにもウィル・パットンが演じている修理工のおっさん、夜に彼女のもとへきて悪態をついていった男などがいます。
アメリカが詰まっている。みんな自分のこと、ビジネスをするのに精いっぱいで、存在すらも消されそうなものが闇に叫ぶ。
ウェンディの心を代弁するかのような男に、もちろん加害の恐怖も感じたでしょうけれど、心の奥底を見透かされたようで怖くもあったのでしょう。
2008年。ライカート監督はアメリカを襲った台風カトリーナの被害や、そこですべてを失った人たちの様子、彼らがどんな助けを得ているかに触発されて今作を作ったそうです。
この年はいまや忘れられていそうなリーマン・ショックもあり、多くのアメリカ人がマイホームを失いホームレスになったり困窮に追いやられました。
だからもっともっと、ウェンディのように20代前半でストリートに放り出される怖さが生々しかったでしょう。
「家や仕事を得るのに、家や仕事がいる。」
どん詰まりです。ウェンディは最後に持っていたルーシーすら手放すことになってしまう。そして世界にぽつんと放り出されて終わる。
ライカート監督はこんな状況にいる人たちにカメラを向けて、くしゃくしゃの数ドルに人の暖かさを込めています。
ミシェル・ウィリアムズの素晴らしさも相まって、80分くらいの小さな作品ながら非常に胸を打つ映画になっています。おすすめです。
今回の感想は以上。
ではまた。
コメント