作品解説
イタリア文学の名作を現代に映画化
イタリア文学の巨匠チェーザレ・パヴェーゼの同名小説が、ラウラ・ルケッティ監督の手によって現代的な感性でスクリーンに甦りました。
戦争の影が静かに迫る時代を背景に、対照的な二人の少女の交流が描かれます。その関わりを通して、ひとりの少女が少しずつ大人へと歩み出す過程が、丁寧に映し出されていきます。
青春の輝きと残酷さを繊細に描き出し、第77回ロカルノ国際映画祭や「イタリア映画祭2024」でも上映され、観客から高い評価を得ています。
注目のキャスト
主人公ジーニアを演じるのは、「墓泥棒と失われた女神」(2023)などアリーチェ・ロルヴァケル作品でも活躍する実力派女優イーレ・ヴィアネッロ。
一方、アメーリア役には、モニカ・ベルッチとヴァンサン・カッセルを両親に持ち、ディオールのアンバサダーも務める新星ディーヴァ・カッセルが抜擢されました。本作でスクリーンデビューを飾ることでも大きな注目を集めています。
もともとあまり知らない作品でした。公開予定表を眺めていて見つけてから気になりつつ、あまり公開規模が大きくなくて。仕事もパツパツでチャンスを逃し続けたのですが、恵比寿でまだやっていたので助かった。
休日に観に行ってきましたが、公開からはしばらく経っていたためかあまり人は入っていなくて空いていました。
〜あらすじ〜
1938年、トリノ。お針子として洋裁店で働く16歳の少女ジーニアは、画家のモデルをしながら自由に生きる3歳年上の美しい女性、アメーリアと出会う。
アメーリアとの出会いは、芸術家たちが集う新たな世界への扉を開き、ジーニアを大人への階段へと導く。
思春期の揺れ動くジーニアと、自立した女性として力強く生きるアメーリア。二人はそれぞれに相手の姿に自らの未来や過去を重ね合わせながら、やがて深く惹かれ合っていく。
感想レビュー/考察
南イタリアの空気と、レトロな時代設定など。少し昔っていう時間の距離に、イタリアの夏と青春。
今作にはクィアな空気もあるので、「シチリア・サマー」とか「君の名前で僕を呼んで」なんて作品を思い起こさせる物語であります。
しかし、こちらは個人的にはほんのりと違う空気が吹き込められている部分もあると思いmした。それは時代性というか、この1938年の南イタリアが抱えていた政治的な事情。
原作者であるチェーザレ・パヴェーゼが体験をしていたことによる、ほんのりとしたファシズムへの嫌悪や恐怖です。もちろん、それがこの作品の中核とは言えませんが、奇妙で変わった風合いになっているのは確実だと感じました。
作者チェーザレ・パヴェーゼと彼の人生の投影
チェーザレ・パヴェーゼ(1908–1950)は、20世紀イタリア文学を代表する作家であり詩人です。
代表作のひとつで今作の原作になっている「美しい夏」は、ファシズム体制下の1940年に執筆され、1949年に刊行されました。戦時下の影を背景に描かれながらも、青春のきらめきと儚さをとらえた作品として高い評価を受けています。
「美しい夏」は刊行翌年、イタリア文学界で最も権威あるストレーガ賞を受賞しました。しかしその栄誉からわずか2か月後、パヴェーゼは41歳の若さで自ら命を絶ってしまいました。
彼は1935年に反ファシズムの容疑から流刑にされていて、そのためにイタリア半島南部の村で過ごしたようです。後に恩赦を受けていますが、その時の経験は大きく作品に影響を与えたようです。

抑えつけられる感覚、表に出せない想像力、それがジーニアに映される
ジーニアの真面目な日常と、アメーリアがもたらす波紋

ディーヴァ・カッセルの圧倒的な存在感
奔放ではなく主体的――アメーリアが体現する女性の自由

「見る/見られる」が紡ぐ二人の関係

青虫から蛾へ――成長と違和感のメタファー
しっかりと交わらない視線。アメーリアに惹かれながら、男たちに見られる彼女にもどかしさも感じるジーニア。
作中でたびたびジーニアの空想と思えるシーンが挟まります。
緑豊かな地で、芝生の上で寝そべるジーニアはふと自分の手の中の青虫をみます。まるでまだ幼い自分を現すかのような。
その後、ジーニアが(明らかに本位ってわけではない)セックスを経験する。セックスのあと今度見るのは、蛾なのか?成長したけど、何か違うって感じの虫でした。
出てくる男がまた軽薄でね。。。セックス目的ばかりですし、それ以外のシーンでは女性を召使か何かとしてしか見ていないでしょう。
アトリエでジーニアをお茶くみのように扱うの、めっちゃ腹立ちました。
夏の終わり、すれ違いと淡い再会の予兆
そんな男たちとの関係性よりも、アメーリアとジーニアは二人で並んで歩き、話している方がもっと充実して幸せ。
もう周囲のことなんて関係ないってくらいに、密着して二人だけの世界みたいになるダンスシーンの素晴らしいこと。もう行ってしまえって思うんですけどで、そこはドキドキといじらしさ。
その先、不安定な足場になる、横たえた気の上で、じゃれあう延長のように初めてのキスをする。
結局はアメーリアとはちゃんとは向き合い切れなくて、夏は切なく終わってしまう。それでも季節は巡ってまた夏が来る、その時には、赤と青闇歩取りだった二人の服装が変わり、近しいトーンの淡いピンクとベージュホワイトになっていたり。
いろいろとと描いていることとかは、ファシズムの中での芸術家、抑制される女性たち、クィアの関係性など豊富ですし、主演の二人が素敵でとてもいい。
でも、この映画に期待してしまうのは、ラストの先の爆発ですよ。アメーリアとジーニアが再開して、二人幸せに素直にお互いを受け入れて花開くその瞬間まで見たいのに、ちょうどそこで終わってしまうのはなんだかもったいないなって思いました。
空気感とかも好きですし、素敵な作品なので惜しいなって感じはします。おすすめの1本ではあります。
今回の感想は以上。ではまた。
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