「ナチス第三の男」(2017)
- 監督:セドリック・ヒメネス
- 脚本:デヴィッド・ファー、オードリー・ディワン、セドリック・ヒメネス
- 原作:ローレン・ビネ 「HHhH プラハ 1942年」
- 製作:ベンジャミン・ドローイン、アライン・ゴールドマン、サイモン・イストレイネン
- 音楽:ギヨーム・ルッセル
- 撮影:ローレント・タンジー
- 編集:クリス・ディケンズ
- 出演:ジェイソン・クラーク、ロザムンド・パイク、ジャック・レイナー、ジャック・オコンネル、ミア・ワシコウスカ 他
ローラン・ビネの小説「HHhH プラハ、1942年」の実写映画化作品。
ナチスドイツSSのナンバー2であったラインハルト・ハイドリヒを描く本作は、フランスのセドリック・ヒメネスが監督を務め、ハイドリヒを演じるのは「猿の惑星:新世紀」などのジェイソン・クラークです。
またハイドリヒの暗殺のため潜伏するチェコ軍の兵士として、「シングス・トリート 未来へのうた」のジャック・レイナー、「名もなき塀の中の王」のジャック・オコンネルも出演しております。
私は知識不足であり、ハイドリヒはユダヤ人の効率的な虐殺発案した人とかそのくらいの知識しかなく、また原作となる小説も未読です。
公開初日に行ったんですが、シャンテ、あんまり混んでは無かったです。
婚約していた身でありながら、女性とのスキャンダルが原因で海軍を不名誉除隊されたラインハルト・ハイドリヒ。全てを失った彼は、妻の伝手から、彼女が信奉するナチス党への参加を決める。
そしてそのリーダーであるヒムラーと会い、このナチス親衛隊の諜報部門を任せられることになった。
ハイドリヒは無慈悲かつ残虐なやり方で頭角を現し、ドイツ突撃隊すら反逆罪をでっちあげて排除し、ナチス親衛隊は勢力を増していく。遂には純粋なるドイツ人こそ人類に必要であり、劣った人種を滅し、世界を洗浄するという理念を実行に移し始めた。
しかし、ハイドリヒの躍進に危機を覚えたイギリス政府により、二人のチェコ群兵士がハイドリヒの暗殺のためドイツに潜り込んだのんだった。
ハッキリ言いますが、つまらなかったです。
というのも、この作品、何が描きたかったのかよくわからなかったのです。個人的には、二つのお話を無理やり一つにくっつけた感じです。そのせいで、一つのお話として何を語ろうとしているのか不明瞭で、かつ話の転換自体も強引すぎて、人物に寄り添うこともできず興味を失っていきました。
映画を2部構成とするならば、第1部はハイドリヒがナチ党に入り、そして突撃隊を排除してSSナンバー2として躍進していくドラマ、そして第2部は、そんなハイドリヒを暗殺すべく適地にて奮闘する二人の若き兵士のドラマ。
しかし、1部のハイドリヒのお話は、肝心のハイドリヒになんのドラマもないというか。淡々と話が進んでいくだけなんですよね。初めこそ若干情けない男として描かれていたので、その狂気的な変貌、つまり、何でもない男が大虐殺者になるという、人間の残酷さに関する本質とかを描くのかと思ってみていたら、そうでもない。
ハイドリヒの素顔の部分というか、ナチ党で活躍する前にその人物をハッキリと描き切れていないので、変容もなにもわかりません。それではハイドリヒという男がいかに残虐なクソ野郎だったかを描くのかといえば、その描写は普通です。
そうこうしている間に映画は急に第2部の、チェコ軍の若き兵士のお話へ。
そちらはよりドラマチックな戦争ロマコメの王道みたいな話で、スリラーとアクションを織り交ぜたお話。将来のことや恋愛模様などこの暗殺計画を土台にしてけっこう青春映画です。
それぞれ完成度がどうこうとかではなく、どちらのお話にも特徴がない。完全に相対する、しかも直接なんの因縁もない両サイドを時間軸を交差させることもなく流すだけの作品でした。
どちらにも死が待っていますけれども、それに対して特段感情はなかったです。ハイドリヒのナチ党以前に感情移入していれば、最後の彼を何か違った目線で見れたでしょうけれど、悪魔が最後にとんでもないものを残していっただけで終了。
ショットには何かこだわりがあるのか、並ぶ銃を見上げていたり、集会シーンなどの配列フェチみたいなショット、あとは最後の2人の血が水の中に漂うのがちょっと幻想的ではありましたけど、それくらいでしょうか。
うーん、一つの作品として、どんな映画なの?と聞かれて困るタイプの作品でした。2人のジャックガッコよくて、ミアもかわいいので興味あればどうぞ。
小説は評価すごく高いですし、そっちを呼んでみようかなとは思いました。
今回は短めの感想です。それでは~
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