「ファースト・マン」(2018)

  • 監督:デミアン・チャゼル
  • 脚本:ジョシュ・シンガー
  • 原作:ジェームズ・R・ハンセン 『ファースト・マン:ニール・アームストロングの人生』
  • 製作:ウィック・ゴッドフリー、マーティ・ボーウェン、アイザック・クラウスナー、デミアン・チャゼル
  • 製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ、アダム・メリムズ、ジョシュ・シンガー
  • 音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
  • 撮影:リヌス・サンドグレン
  • 編集:トム・クロス
  • プロダクションデザイン:ネイサン・クローリー
  • 舞台:ケイシー・ルーカス
  • 衣装:メアリー・ゾフレス
  • 出演:ライアン・ゴズリング、クレア・フォイ、カイル・チャンドラー、ジェイソン・クラーク、コリー・ストール 他

「ラ・ラ・ランド」(2016)のデミアン・チャゼルが、再びライアン・ゴズリングとタッグを組んで送る、月面着陸の偉業を成し遂げたニール・アームストロングの伝記映画。こちらはジェームズ・R・ハンセンの小説を原作としています。

ニールの妻役として「蜘蛛の巣を払う女」のクレア・フォイ、またバズ・オルドリン役には「アントマン」のコリー・ストールも出演。そのほかカイル・チャンドラー、ジェイソンクラークも共演しています。

注目の監督ですから、映画製作開始ごろからずっと話題になっていましたね。海外では2018年公開で、もちろん賞レースに合わせて公開されましたが、事前の話題よりはあまりノミネートがない気がします。それでも、ゴールデン・グローブ賞では作曲賞を受賞。

今回も公開週に観に行くことができました。入りは結構良かったですが、チャゼル監督といえど、題材ゆえか若い観客があまりいなかったですね。

飛行実験中のトラブルから辛くも生還したニール・アームストロングだったが、運転技術に問題ありという結果で宇宙開発の計画からは外されることになった。

同じころに、ニールの娘の病が悪化し亡くなってしまう。悲しみの中に落ちる彼であったが、アメリカの月面着陸計画に強く執着するようになり、過酷な訓練や学習に没頭するようになる。

ニールが月に目を向けていく中、彼の寡黙さや時に冷淡な姿勢が、妻のジャネットには耐え難いものとなっていった。

この作品を見る上でおそらく大事なのは、これがアメリカの月面着陸という歴史的な偉業をそのまま主として描くものではないということです。

少なくとも、私は今作が宇宙開発メインの作品には思えませんでした。

そしてそれこそが、この作品が自分の中に強く響いてくる理由でもあります。

これはニール・アームストロングの伝記映画です。一人の男の物語です。自分の直面した問題から、偉業を成すことにあるいみ固執していく男のお話。それは非常に切ないものでした。

もちろん、今回チャゼル監督はクルーと一緒に、フィジカルな実感のある宇宙開発やロケット打ち上げを見せています。とにもかくにも常にニールにくっつきまくるカメラで、閉塞感や緊張、孤独そしてめまいや体にかかってくる重力やGすら観客に感じさせてしまう圧倒的なビジュアルと体験映画になっています。

実際技術的にも素晴らしいですね。カメラワークとか、そもそもどうやってカメラ入れた?どうやってこれ撮ってる?という視点の置き方に感心です。それと、「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」に続いて、リヌス・サンドグレンの切り取る一昔前のざらついた空気や光の感じとかの雰囲気も素晴らしいです。

カメラは映画が始まってすぐから、コックピットのニールにくっついていて圧倒されました。

この作品は、引いた観客という視点から宇宙への旅を見せるんじゃなくて、一緒に宇宙に打ち上げようとするんだと初めから示すようです。

ではなぜ宇宙へ飛ぶのか?

私は先にも言ったように、今作ではアメリカの冷戦下の競争だの未知への探求だの、そういったところに主題が置かれているとは思いません。

宇宙へ行くのはある意味逃避にすら思えました。

今回ニールを演じるライアン・ゴズリングですが、今までのキャリアでいうところのロボット感がぴったりハマっています。「ドライヴ」(2011)のドライバー、「ブレードランナー2049」(2017)のK。無表情で考えの読めない、しかしここぞというところで何でしょうね、温度を変えてくるというか。そういった内側を静かに爆発させてくるタイプの演技でした。

ずっと抱え込むことになっているのは、喪失とそれに対するやり場のない悲しみかと思います。失ってしまったものに無いする埋められない気持ちが、何かに執着することで少しでも薄らぎ、一時でも心を離れるなら。それだけを求めているようにすら感じました。

ちなみに、そんな心で涙が止まらないロボットを演じるライアンも素敵なんですが、「蜘蛛の巣を払う女」でも素晴らしかったクレア・フォイが、今作でもとても輝いていると思います。

ただただ待つだけで、心配しながらもしかし子供のため気丈に振る舞う。既に月に行っているかのように遠く感じる夫と未亡人になるパトリシアをみて最悪を想像してしまう。彼女も同じく失ったわけですが、しかし彼女の場合は逃げ場すらないですからね。没頭する事もなく、ただ夫まで失うかもしれない恐怖と戦い続ける。

クレア・フォイでなければ、地上に残る側の恐怖をこんなにも感じることはできなかったでしょう。

チャゼル監督は「セッション」でも「ラ・ラ・ランド」でも、”偉大になること”と”愛の犠牲”を描いてきたと思っています。

今作では耐え難い喪失から月に逃げようとし、結果としてそれが偉業の達成になるわけですが。やはりそこで愛の犠牲がありますね。月へのミッションを第一に考え続けることで、夫婦が壊れていく。

ニールにとっては娘の死から離れたつもりが、やはり過去と同じく仲間が死んでいく。何度葬儀に出ればいいのか。

自分だけが残される。だからニールは自分が行く側に回ることにしたのかな。それでも奥さんはずっと残される側なのが切ないですけれど、ニールは限界なんでしょうね。

月は別世界で、もしかすると地上での苦しみも悲しみもないのかもしれないですが、ニールは月に行って心に抱え続けた悲嘆を手放すことができました。

今回の偉業は、成し遂げることだけではないのです。月に行くだけでなく帰ってくることが必要です。チャゼル監督は帰還を通して彼の物語を一歩進めたように思います。偉大なところへと到達するための犠牲、それに執着する理由の悲しさ。でも、最後にはきっと大切に思う人のもとへ戻れるはず。

悲劇と喪失が再生に変わるラスト。ガラス越しでも以前より彼らはずっと近くにいる。偉大なことを成し遂げたニール・アームストロングがなぜ月へのミッションを必要としたのか、ひとりの男が悲しみを処理する切ないお話としてとても良かったです。

チャゼル監督もどんどん自分のレガシーを進化させてますね。今後もやはり大注目の監督。そして個人的には、今年1、2月だけでクレア・フォイのありがたみが染みまくっています。すごい女優ですよ。

技術面や撮影、編集、音響などもちろん映画館向きなので、是非劇場でやってるうちに観たほうが良い作品。おススメです。

感想は以上です。それではまた。

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