「映画検閲」(2021)
作品解説
- 監督:プラノ・ベイリー=ボンド
- 製作:ヘレン・ジョーンズ
- 製作総指揮:アンディ・スターク、アント・ティンプソン、キム・ニューマン、ナオミ・ライト、ローレン・ダーク、オリー・マッデン、ダニエル・バトセック、メアリー・バーク、キンバリー・ワーナー
- 脚本:プラノ・ベイリー=ボンド、アンソニー・フレッチャー
- 撮影:アニカ・サマーソン
- 美術:ポリーナ・ジェゾフスカ
- 衣装:サフラン・カレイン
- 編集:マーク・タウンズ
- 音楽:エミリー・レビネイズ=ファルーシュ
- 出演:ニアフ・アルガー、マイケル・スマイリー、ニコラス・バーンズ 他
1980年代のイギリスを舞台に、「ビデオ・ナスティ」と呼ばれる低俗で暴力的とされた作品に対する検閲をテーマにした心理ホラー作品。主人公が過激な映像を見続けるうちに、現実と妄想の境界が曖昧になり、精神的に追い詰められていく姿が描かれています。
サンダンス映画祭やシッチェス・カタロニア国際映画祭など、各国の映画祭で上映され、大きな注目を集めました。主人公イーニッドを演じたのは、「聖なる証」や「キャッシュトラック」などで知られるニアフ・アルガー。
監督・脚本を務めたのは、これまで短編映画を数多く手掛け、長編映画としては本作が初監督となるプラノ・ベイリー=ボンド。
日本では以前に、「カリコレ2024/カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2024」で、「映画検閲官」というタイトルで上映されました。
全然前情報もなく知らなかった作品だったのですが、予告編を見て、今時珍しい感じのスラッシャーゴアホラーの感じ、また映画の検閲をする人のホラーという題材に惹かれて、公開週末に観に行ってきました。
なかなか小さな作品ですので、そこまで混んでいなかったですね。
〜あらすじ〜
1980年代、ビデオ・ナスティを巡る議論が激しくなるイギリスで、映画検閲官として働くイーニッドは、暴力的なシーンを厳しくカットすることが正義だと信じ、日々職務を全うしていた。
その厳格な姿勢から、同僚たちから「完璧主義者」と称されている彼女。
ある日、彼女はベテラン監督の古いホラー映画を観て、ヒロインの女性が幼少期に行方不明となり、死亡宣告を受けた自分の妹ニーナに酷似していることに気付く。
感想レビュー/考察
恐怖と暴力を規制する砦の崩壊する様
監督として初めての作品が、往年のホラー映画に敬意を評したものでありながら、かなりメタ的にジャンルを捉えてサイコスリラーと融合させた素晴らしい映画になったプラノ・ベイリー=ボンド監督。
今作を鑑賞したきっかけでもあるのが、この設定です。ゴア表現や性的表現の多い作品を取り締まる映画検閲。
実際に作中でも説明はされますが、イギリスサッチャー政権下においてあったこのような検閲行為。ここで働く女性を主人公に、現実と幻想が交差するサイコスリラーというのは、とても興味深い題材です。
検閲行為の目的は、暴力的なコンテンツに刺激され実際に暴力的な行為が起きてしまうことを防ぐこと。
なので検閲官には絶対の基準と規範が求められるのです。検閲官に揺れ動きがあったりしてしまっては、判断なんてできないからです。最後の砦なんですね。
完璧主義なイーニッドもやはり人間
そんなかっちりとまじめで仕事においてはプロの中のプロである主人公のイーニッドは、様々な残虐映像を毎日繰り返してみている。それでも鋭い目線から削除すべきシーンや注意点をメモし、次の仕事をこなしていくのです。
それが、自分自身の過去のトラウマともいえる森での妹の失踪に触れてしまう。いなくなった妹にそっくりな女優、自分の過去の恐怖を再現したかのような映像に大きく揺らいでしまう。
ここにはドラマは置いておくとしても、まず人間が表現を鑑別する限界が描かれています。イーニッド自身がくるってしまえば、基準は乱れ誰も検閲をできなくなる。
イーニッドにかかわらず、どの国でもコミュニティでも規制というモノはありますが、人間が行っている以上、そこは機械のような画一性も保証はされないのです。
強い衝撃的な映像が、本性をむき出しにし始める
そしてイーニッドが検閲の仕事をする中で、現実の幻想の区別がつかなくなる点が巧く絡み合います。
この現実とフィクションの混同こそが、検閲官がいる理由。混同して犯罪行為を行ってしまうことを防ぐわけですから。
暴力的な映像を見て、暴力性が増すとか。性暴行的な映像、ポルノを見て実際にレイプなど性加害に走ってしまうのではないかーーー?
現実とフィクションの線引きを行うものとしての検閲官自身が、現実とフィクションの区別を失っていくのだからおもしろい。
そしてそこに起因するのは、イーニッドの個人的な背景です。触れること自体がタブーのような、妹の失踪。
途中で両親と食事するシーンでは、両親はある意味ですごく現実を見ていて、妹は死んだことにしようと法手続きを踏むという。しかしイーニッドは、そんなことは受け入れられないのです。
彼女は異常行動に出て行く。現実にあるホラー映画と、自分の過去にある恐怖が混ざってしまうから。
有害な映像が残虐な行為を引き起こすのではない
これが答えだとして示している。
映像作品自体が人に影響するのではなくて、何かその人自身に問題がありそれが普段は隠れている。
ただ、映像や設定、物語により刺激されることで、強い衝撃が襲うことで、その人の現実と本質として持っていた残虐性の境界線を破壊し、そして行動に移してしまうということのなのです。
監督自身も今作を作るうえで、この”有害とされる映像”が本当に残虐行為を助長するのかを調査し、見解としては人自身に問題があると語っています。
そうなると、イーニッドには妹を取り戻すこと、守ることが狂気的にインプットされている。
失ってしまったと感じているからこそ、彼女は狂気に囚われるように妹を取り戻すことに執着する。結果として生まれるのが、物語に囚われ幻想のために殺人を犯す狂人なのです。
イーニッドは自分自身を検閲し勝手に隠すところを決めて生きてきた。自分にとって有害だからと規制をかけて。
それがホラー映画がトリガーとなり、何もかもわからなくなってしまったということですね。
80年代の画面やVHSの手触りが物語にエッジをくれる
テーマと物語も好きなんですが、監督がもたらしたスタイルもすごくいいものでした。
全体に80年代を再現したぼやけ感とかが感じられる映像はもちろんですが、音響に関しても興味深かったです。イーニッドの働く検閲施設が迷路的に見え始めたり。
さらにそれぞれの視聴室から聞こえてくるホラー映画の音声が、そのうちイーニッドの頭の中で絶えず鳴り響く悲鳴のようにオーバーラップしていく、悪夢的な映像と音響効果とか。
VHSの手触り、つまり物理的なフィルムが剥げていって生まれたかすれ感を、あえてデジタルフィルムに再現しているのも良いですね。ダリオ・アルジェントの「サスペリア」のようなコントラスト強めの映像も。
あと、イーニッドの精神をアスペクト比でしめしたのも巧い。森の中で完全にフィクションに飲まれてしまった彼女。映し出す画面のアス比がゆっくりと変化していくんです。
そして監督が「カット!」というと、画角が戻る。精神の消耗が画面で伝わる。
最終のラストカット。イーニッドの狂気がぶつりと切れて、「CENSOR」と今作のタイトルが書かれたVHSがデッキから出てきます。
そう、このホラー作品を、観客が検閲していたような感覚。ここで終わらせるキレもすきでした。
ジュリア・デュクルノー監督が「チタン/TITANE」を生んだり、ハンナ・ベルイホルム監督が「ハッチング―孵化―」を生んだり。ホラー界にも女性監督がぐっと出てきてほんとにおもしろい作品が出てきています。
プラノ監督も今作が初の長編で、今後が楽しみな監督の一人になりました。
今作の感想は以上。ではまた。
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