「キャプテン・マーベル」(2019)
- 監督:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック
- 脚本:メグ・レフォーヴ、ニコール・パールマン、リズ・フラハイヴ、カーリー・メンチ、アンナ・ボーデン、ライアン・フレック
- 原作:ロイ・トーマス、ジーン・コラン 『キャロル・ダンヴァース』
- 製作:ケヴィン・ファイギ
- 音楽:パイナー・トプラク
- 撮影:ベン・デイヴィス
- 編集:エリオット・グレアム、デビー・バーマン
- 出演:ブリー・ラーソン、サミュエル・L・ジャクソン、ラシャーナ・リーチ、ジュード・ロウ、アネット・ベニング、ベン・メンデルソン、クラーク・グレッグ、リー・ペイス 他
マーベルヒーローのキャプテン・マーベルを実写映画化した、マーベルシネマティックユニバース(MCU)シリーズ第21作品目。
主人公キャプテン・マーベルは「ルーム」などのブリー・ラーソンが演じます。また今作にはシリーズおなじみのサミュエル・L・ジャクソンも登場し、アネット・べニング、ジュード・ロウ、ベン・メンデルソンなども出演しています。
監督はアンナ・ボーデンとライアン・フレックのコンビ。彼らはライアン・ゴズリング主演の「ハーフ・ネルソン」、また今作にも出演しているベン・メンデルソンとも組んでいた「ワイルド・ギャンブル」などを手掛けた方たちです。
私はキャプテン・マーベルに関しては全然知識もない人間で、ただ単純にブリー・ラーソンがアメコミヒーローになるとか、そのほかキャストにひかれていたのと、やはりMCUを追いかける意味で観なくてはということで鑑賞。
さすがにもうMCUもだいぶ浸透しているのか、公開週は劇場がかなり混雑していました。若い客層多めでしたね。
クリー帝国の惑星ハラにて、銀河における特殊部隊スターフォースに所属するヴァース。
彼女は特別な力を備えているが、感情の高ぶりを抑制しきれず、上官のヨンに叱責されつつも、いつか偉大な戦士になると期待されていた。
彼女を悩ませていたのは、断片的な記憶。知らない女性、銃を向ける異星人、そしてどこか別の場所での、現実なのかも自分のものなのかも分からない過去。
彼女は星々にその生命体に擬態して潜入するスクラルを追う任務にて、地球へとやってくるが、来たこともないこの星で自分の痕跡を見つけることになる。
マーベルヒーローとして、「ブラックパンサー」では初の黒人ヒーローが主人公でしたが、今作は女性ヒーローが主人公となりました。いままでにもマーベルではカッコいいヒロインは多く登場していましたが、タイトルを飾るのは初めてです。
またMCUにおいては女性が監督を務める(今回は共同監督で2人で撮ってますが)のも初めてのことです。
作品を囲む状況なんかは、まさに今の現状映画界を映していると思い、このタイミングで、しかもMCUとしてはかなりダウンフォールな状態にてキャプテン・マーベルが登場するのはとても意味ある事になっているのかなと感じます。
まずこの作品、全体にテンポが良く語り口がとてもスマートだと感じました。
今作は真っすぐとしたストーリーではありながら、ミステリー要素やスリラーにも前半は特に比重を置いており、互いにぶつかりそうなところを巧い語り方でクリアしていっていると思いました。
基本的にはキャロルと観客が感情導線を共にする点がとても見事だったと思います。
画面から与えられる情報に関して、キャロルもしくは観客どちらかだけに与えられるということはほとんどなく、記憶をめぐる発見や真実とそれを受けて感じる自らに対する罪悪感そして開放など、どこまでもキャロルと一緒に驚き悲しみ歩んでいくように設計されています。
ですので、こちらからすればもう解決しているのでどうでもいいという興味喪失の状態や、真実に振り回されすぎてあきれ返るということもありません。
この仕組みは小さなことのように感じますが、個人的にはとても大事にしているところですので、この作品が好きになる要因になりました。
キャロルをめぐる記憶に関しては、スクラルによるメモリーチェックの中でキャロルと同じように断片的に与えられ、彼女の過去を見せながらもはっきりと理解させません。
この間に、メインストーリーは一切止まらず、情報制限もかけつつ、キャロルの過去を少し説明してしまうんですよね。私としてはとてもスマートだと思いました。
ただ若干ですが、その手法を取ることによってキャロルの過去はあくまで断片で、一連の流れとして厚みを持たせるまでには至りきっていない気もしていますが。
正義と信じてきた行為の真実、自分はこうであろうという本質の真実。
圧政に加担していたことに気づき、拠り所を失い、叩きのめされるキャロルですが、彼女はそれによってついに自分を解放します。
自分が思う正しいことを、命令や許可も必要とせず自分の意思で行うわけです。
映画が始まってすぐから、やたらとヨンに力を抑えろと言われていた分、彼女がフルパワー開放しての活躍シーンには爽快感があります。
「与えてやったんだ。」という力も、キャロルがもともと持っていたものです。彼女の力の解放、飛翔が、どれだけの意味を持っているか。
彼女は、権利を”与えてやる”、力を”授けてやる”と何度も言われます。
少女のころから空軍訓練生時代、スターフォースに入ってもなお、ずっと権利を審査され渋られていた側。
飛ぶ能力はあるのに、それを許されなかった。力を、感情を思いのままに表に出して良いはずなのに、それを抑えつけられた。
何かと男性と同じ権利を女性に”与えよう”というスローガンに対し、キャロルの飛翔とフォトンブラストが示すのは、許可も付与もいらないということです。なぜなら、そんなもの元々持っているから。
そして誰かに光を当ててもらう必要もないんです。だってキャロルは文字通り、自分で光輝くことができるのです。
スクラルを通して移民や難民、また人をイメージやバイアスをかけて判断するその過ちを描き、そしてキャプテン・マーベルは男によらず、またセクシュアリティも使わず女性としてパワーの爆発と飛翔を見せてくれる。
まさに今、シリーズ内でも、そして現実でも必要とされているヒーローの登場がまばゆい痛快な作品でした。
感想はこのくらいで。いよいよエンド・ゲームが楽しみになりましたね。是非劇場で鑑賞してください。それでは。
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