「ハー・スメル」(2018)
- 監督:アレックス・ロス・ペリー
- 脚本:アレックス・ロス・ペリー
- 製作:アレックス・ロス・ペリー、エリザベス・モス、アダム・ピオットローウィッチュ、マイケル・シャーマン、マシュー・パーニシャロ
- 音楽:キーガン・デウィット
- 撮影:シーン・プライス・ウィリアムズ
- 編集:ロバート・グリーン
- 出演:エリザベス・モス、カーラ・デルヴィーニュ、ダン・スティーヴンス、アンバー・ハード、アシュレイ・ベンソン、アギネス・ディーン、ガイル・ランキン 他
「彼女のいた日々」などのアレックス・ロス・ペリー監督が描く、かつてロックスターだったシンガーの崩壊と再生の物語。
主演は「アス」(2019)などのエリザベス・モス。
共演は「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」などのカーラ・デルヴィーニュ、「美女と野獣」のダン・スティーヴンスなど。
作品自体は海外評の、2019年の上半期ベストでチラホラ見かけていて気になっていたものです。あと個人的にエリザベス・モスは好きな俳優なので、彼女主演というのも魅力でした。
海外版ブルーレイを購入しての鑑賞となります。
ガールズパンクロックバンド、サムシング・シーはかつて絶大な人気を誇っていたが、今はブームも過ぎ始めていた。
問題なのはメインボーカルのベッキーの荒れ具合だ。彼女はクスリを常用し、妙な霊媒師を楽屋に招き、周囲の人間には手当たり次第かみついていく。
新しいアルバムの製作は進むはずもなく、プロデューサーは再起をかけて若手のガールズバンドを招いての製作を目指すのだが、ベッキーはただ場の空気を悪くし、暴走を続けてしまうのだった。
アレックス・ロス・ペリー監督の作品って実は今回初めて観賞しました。
どうやら居心地悪く胸くそ悪いような映画を上手に作り上げるのが監督の有名なスタイルとのことで。
個人的にもこの作品を無垢な羊状態で観たわけですが、主人公のベッキーには心底驚くくらいに不快になります。
彼女が纏う危険かつ攻撃的な姿勢に言動。
笑っていたと思えば、割れた酒瓶を喉元に突きつけてくる不安定なヤバさ。
とりわけ撮影監督シーン・プライス・ウィリアムズ(「グッド・タイム」の方)の生み出すロングカット、空間の窮屈さや地獄的な色彩感覚の不穏さが際立ちます。
またキーガン・デウィットの音楽、そして音響の巧みさも素晴らしい。
スコアでありながらも、外部からの絶え間ない働き掛け、消えない悲鳴。
実際に観客が騒いでいる背景音などが、焦燥や不安を煽ります。
現実の音か、いわゆる音楽として後付けなのか曖昧な感じがまた居心地悪くしてきますね。
そして主演のエリザベス・モス。
彼女はずっと好きな俳優ですが、今回の変貌ぶりも見事だったと思います。
波のありすぎる感情や危険さ、崩れていくメイクや涙にも見えるマスカラなどを纏いきって、それでも観ている側を放さない力がありました。
もう攻撃対象を常に探し続けている感じで、長年の連れ添いももちろん、まだ何も知らない無垢な新人ガールズバンド(カーラ・デルヴィーニュたち)までガッツリかみついていく。
母親の言うとおり”I don’t wanna see what happens next.”ではあるんですが、どこかでこのベッキーを見届けようとか思ってしまう。
そういう意味では、彼女との縁を切れない周囲の皆と同じような感情と状況に置かれました。
周りを囲む中ではオールドメイトであるアギネス・ディーン、ガイル・ランキンの二人はすごく良かったですね。とんでもない仕打ちで完全に見限ったようで、それでもやはりベッキーを気にかけ愛している。
娘との一時の幸福なシーンだけが、今作を構成する5つに別れるシーンのうち、唯一の安堵かもしれません。
ベッキーがどうしてここまでエゴイズムを剥き出し攻撃するのか。
なんとなくですが、度重なる古いビデオ、まだ3人がこれから伸びていくときを観ていって分かった気もします。
ベッキーは自分自身から自分を守っているのだと。
いつのまにか本当の自分を超えて肥大化したベッキー・サムシングが完全に自分を飲み込み食いつぶすような気がして、周りへの攻撃によって代替しているのかな。
とにもかくにも大変な映画です。見てて辛い。
怪物がうろつきまわる様を絶妙な撮影や音楽、音響などで見せつける作品で、人によってはただ不快ということもあると思う作品。
しかし突出したスタイル、エリザベス・モスの好演によってこれは完成度が高く、作家性として見どころにまで昇華されていると感じます。
現段階では日本公開は決まっていないようですが、劇場という逃げ場のない環境で放り込まれる方がより楽しめる?と思います。
今回は感想は以上になります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた次の記事で。
コメント