「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」(2019)
- 監督:J・J・エイブラムス
- 脚本:J・J・エイブラムス、クリス・テリオ
- 製作:J・J・エイブラムス、キャスリーン・ケネディ、ミッチェル・レジャン
- 音楽:ジョン・ウィリアムズ
- 撮影:ダン・ミンデル
- 編集:メリアン・ブランドン、ステファン・グルーブ
- 出演:デイジー・リドリー、アダム・ドライバー、オスカー・アイザック、ジョン・ボイエガ、イアン・マクダーミド、キャリー・フィッシャー、アンソニー・ダニエルズ、ケリー・マリー・トラン、ケリー・ラッセル、ビリー・ディー・ウィリアムズ 他
2015年の「スター・ウォーズ:フォースの覚醒」から始まった、シークエルシリーズの最終作にして、1977年「スター・ウォーズ 新たなる希望」から続くシリーズの完結作となる作品。
通算すると9作目となり、長い歴史に幕を下ろすわけですね。
監督はフォースの覚醒から再びのJ・J・エイブラムスとなり、メインキャストはデイジー・リドリーやアダム・ドライバーらが続投。
前作のライアン・ジョンソンによる「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」(2017)から続いての物語ですが、何にしても前作は非常に大きな論争を生み、一部ファンは作品の抹消を求めるほどでした。
個人的には前作「最後のジェダイ」は真の意味であのエピソード6の後の話が進んだと思い、また新しい領域へスター・ウォーズサーガが踏み込んだ傑作であると思っています。
さて、今作は期待というのも実はなく、と言うのもスター・ウォーズ自体への想いが冷めてしまったのです。
ですので公開日に観に行くわけでもなくテンションも普通。
さすがにネタバレをしながらの感想になりますので、気になる人はまず映画をご覧になってください。
クレイトの戦い以後、レイはレイア将軍のもとでジェダイになるために修行をしているが、銀河に凶悪な声が響く。
なんとかつてルークと彼により光へと戻ったアナキン親子に倒された皇帝パルパティーンが、シスの艦隊を率いて復活したという。
新たなファースト・オーダー最高指導者となったカイロ・レンは、自身の邪魔になりえるパルパティーンの抹殺のため、シスの道標を頼りに未知の領域へ赴きパルパティーンに接触。
そこでシスの艦隊ファイナル・オーダーを引き渡す代わりに、レイを殺すように取引を持ち掛けられるのだった。
そしてレイたちも、パルパティーンの艦隊を探すべく、シスの道標を探すため銀河を駆け巡ることに。
私自身の人生において、スター・ウォーズというのはとても大きな存在です。
5、6歳の頃に1作目をテレビの録画で観てのめりこみ、エピソード1以降はずっと劇場に通い、そして映画というものが大好きになるきっかけでもあるシリーズです。
ここに来てついに終幕ということでしたが、結果としては非常に残念な気持ちです。
結局は予定調和であり、過程を描いていくプリクエル、そして「ローグ・ワン」、「ハン・ソロ」などのスピンオフ。
しかし前作の「最後のジェダイ」でついに、結末を世界のだれも予想していない、リアルタイムでスター・ウォーズの歴史が進んでいった瞬間をついに目撃したのです。
それにもかかわらず今作はライアン・ジョンソンの大胆な飛躍と切り拓いた未知の可能性に恐れをなしたように逃げます。
保守に走り安全圏へと籠り、再び偉大な遺産たるオリジナルへ寄生するような作品でした。それが残念で仕方ない。
しかもその遺産とのノスタルジーへの傾倒のために、無理やりな話の設定を行うばかりか、結局は非常に委縮した領域に帰結します。
世界は狭い。
結局はジェダイとシス。そして光の勝利を繰り返すことで、まるでもう一度「ジェダイの帰還」を作り直したように(もちろんそちらの感動はないですが)思えます。
その挑戦のなさにはエイブラムス監督の想いがあるのか、だとすれば彼はあくまで映画を撮れる旧3部作ファンでしかなかったのかと思います。
ただ一方で、ここまでフランチャイズ化し、もはやB級映画でも、ルーカスのビジョンを突き詰める作家性のある独自シリーズでもなくなったことも大きな背景かと思います。
今回のシークエル、続3部作においての一貫したビジョンは感じません。
とりあえずファンに迎合した「フォースの覚醒」に次いで、新時代を始めようとした「最後のジェダイ」において、あまりに肥大化し私有化された”スター・ウォーズらしさ”に恐れをなしたのでしょう。
付焼刃的にファンを怒らせないような気遣いが周り、それによる資金回収を狙う。
正直に言うと、私は商品を観たいのではなく芸術を観たいのです。
たとえ怖くても挑戦し作家性を爆発させる、大舞台スター・ウォーズシリーズの上で自分の手でスター・ウォーズを作るような芸術が。
作品自体としては微妙すぎますが、やはりコアにあるデイジー・リドリーとアダム・ドライバーは素晴らしいと思います。
彼らを生み出したことは少なくともシークエルの遺産となるでしょう。
プロット上はまたアイデンティティー探しになってしまったものの、レイを強く凛々しくそれでいて寂しげに演じるデイジー。
また複雑な表情に少年っぽさを含ませるアダム・ドライバーはいつスクリーンに出ても輝いています。意味ないならマスク取ってほしかった。アダムの表情を出せ。
お互いに宇宙の中で最後の依り代であり理解者であるこの二人の関係性は一番エモーショナル。
最後に見せるアダムの笑顔は素敵でした。ずっと怒りや葛藤のあった顔からすれがすっきり抜け落ちて、本当に優しい笑顔を見せてくれます。
その外のキャラクター、ポー、フィンに関しての薄さ、また論争になったからここも逃げに走るローズのあまりに薄い扱い。
全体にゲームみたいですね。アイテム探しのために各キャラがいてゴールを目指す。彼らはサイドにいるだけが仕事で特段ドラマ性もない。
ファンの心を揺さぶってドラマ性を出そうとしたのか、フォースの覚醒からの呼応を入れたり(早すぎる)、オリジナルからのキャラの死からの実は無事でしたを2回も繰り返す。
安易すぎないでしょうか。
そしてフォースのバトルの描写はもはやスーパーヒーロー映画のようなパワー推し。芸当も神秘性もない。
最後の宇宙でのドッグファイトの酷さはもう呆れます。何してるのか分からないし興味もない。
特徴もなく保守的で逃げ腰、自分で蒔いた種も回収できず、良い点は実はライアン・ジョンソンが切り拓いた部分。仕事をしろよと思う作品でした。
一番がっかりしてしまったのは、誰でもないレイを、誰かだったことにしてしまったこと。
これを観る現代の若者に対して、出自でなく何を信じ何をするかだという大事なメッセージになると思いましたが、結局は生まれですか。
もうここまでスター・ウォーズ熱が冷めるのも悲しいです。自分の人生だったのに。
結果、2015年から続編を作って何がしたかったのでしょうか。触れなくてよかったのかもしれませんね。
今となってはコリン・トレボローのエピソード9とか、そもそもルーカスの作る続3部作を観たいと思います。
酷評でしたが、個人的な意見です。このコンテンツを熱い思いで愛してくれる人が居続けると嬉しい。
今回はこのくらいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の映画の記事で。
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