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「家族を想う時」”Sorry We Missed You”(2019)

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sorry we missed you-movie-2019-ken-loach 映画レビュー
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「家族を想う時」(2019)

  • 監督:ケン・ローチ
  • 脚本:ポール・ラヴァーティ
  • 製作:レベッカ・オブライエン
  • 音楽:ジョージ・フェントン
  • 撮影:ロビー・ライアン
  • 編集:ジョナサン・モリス
  • 出演:クリス・ヒッチェンズ、デビー・ハニーウッド、リス・ストーン、ケイティ・プロクター 他

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「私はダニエル・ブレイク」のケン・ローチ監督が、イギリスのゼロ時間契約での労働とそれによって疲弊し崩壊していく中産階級の家族を描くドラマ映画。

2019年のカンヌ国際映画祭にてはパルムドールを争った作品です。

演者としてはTVシリーズメインで活躍するクリス・ヒッチェンズや、まだ女優としては今作が2作目のデビー・ハニーウッドなど、大御所は使わない点は前作と同じ。

今回は日本での宣伝が控えめにも思えましたが、ケン・ローチ監督の新作ということで楽しみにしていました。年内に一般公開まで来てくれたのは嬉しいですね。

公開週末、金曜夜の回に日比谷に行ってきましたが、ほぼ満員レベルで混んでましたね。

ちなみに原題”Sorry We Missed You”は配送業者の不在届けに書かれる「ご不在でしたので失礼しました」の文言です。

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家族のためにゼロ時間契約により個人事業主となったリッキー。

これからは自分で配達した分郵送料として金が入る仕組みになる。

リッキーが妻のアビーの車を、この配達業に必要なバンの手付金のために売り払ったため、アビーは自分の介護士の仕事をバスを使って訪問介護することになった。

これもすべては、いずれ利益を上げて借金を返済し、自分たちの家を手に入れるため。

しかし、働くほどに辛くなる現実は厳しく、忙しさと疲れで家族とのつながりが薄くなっていく。

そして、問題行動を起こしがちな息子の非行が続き、家族の崩壊が進んでいく。

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ケン・ローチ監督が描くのは、前作の「私はダニエル・ブレイク」以上に普遍的かつその親密さも増している私たちの物語でした。

前作では失業手当、行政の実態、移民などを描きそれはそれで胸を裂くような物語でしたが、やや劇的な部分もありました。

しかし今作はそうした映画の物語みたいな見せ場などすら廃し、ただひたむきにこの中産階級、私のような人間の生をスクリーンに吐き出しているのです。

題材になるのがダニエル・ブレイクより若い世代(リッキーはおそらく40代?)になり、セブとライザという子供世代も出てきますが、その描き方含めて、エネルギッシュ。

監督はもう82歳?だというのに、年を追うほどにより強くストレートで明確で、若い世代の叫びまで纏っていく。

中心となる家族それぞれにドラマが用意され、相互に作用していくのも見事です。

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大まかな舞台としては、やはりゼロ時間契約によるサスペンス性が置かれていて、意外にスリリングに全編を観ていました。

それは働かなければ所得0、そして制裁金というシステムが序盤にがっちり説明されることから来ます。

なかなかサインをくれない、IDを見せずとにかく荷物を受け取ろうとする。

そうした面倒な客がでるたびに、時間が過ぎるのではないか、回収できなかったことで罰則があるのではないかとヒヤヒヤしてしまう。

普通に社員としていればあるはずのバックアップ、保険体制のないリッキーの焦燥や怖さをそのまま体験していくような、実にスリルある設定です。

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その大本に置かれているのが、あのスキャナー。

それこそが一番大切な経営資源であり、それがドライバーのすべてを管理する。もはやドライバーの生をがっしり掴んでいる時点で、のちに言及されるように”銃”なのです。

常にドライバー一人一人に突きつけられていて、いつトリガーを引き残酷な結末を招くかわからない。

本当は人間を助け豊かにするはずのテクノロジーは、いつの間に私たちを”より効率よく”するために、忙しくまた過酷な環境へ追いやるようになってしまったのか。

電話は絶えずかかってきて、逆に仕事を増やしているし、そのくせ別に公共機関は完全ではない。

介護士のアビーがとぼとぼと歩きながらクライアントの家を回る。各方面からのなにかの言いつけ電話には心底うんざりですが、実際これは現実。

社用携帯、会社の持ち出しPC、クラウドツール。業務効率化は達成できているのかもしれませんが、私たちはそれに縛り付けられ監視され労働時間は増えています。

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いつの間にか私たちは、目的と手段を入れ替えた社会に暮らしている。

家族との幸せ、一緒に過ごす時間を得ようと、全くの逆へ導く砂地獄へ沈んでいく。

「昔の父さんに戻ってほしい。ただ昔のように戻りたいだけなんだ。」

労働者だけでなく、その家族、特に子どもがどう影響を受けていくのかまでも描いていく。こんな労働環境に置かれた両親のもとで、セブは未来に希望を抱けるのか。

そして娘のライザは、精神的に追い詰められそれが夜尿症として出ています。

自分の人生を豊かにするために働き、尊厳を持って健やかに暮らす。

それがこんなにも難しい世の中になっている。

ただ救済もなければ情けもない姿勢で、胸が裂けそうになるラスト。

泣いたり、立ち止まったりする暇がなく、区切りもないこの終わり方は、まさに現実です。

この映画に終わりはないのです。リッキーたちは常に、明日を、この先を考えて生きていかなければならないから。

しかしケン・ローチ監督はリッキーたちをかわいそうな人とか、弱者とかとして観る視点はないと思います。

哀れみではないのは、OPすぐに「生活保護はいらない。俺にもプライドがある。」という言葉に込められていると感じました。

救済を求めているのではなく、もっと根幹からこの社会がおかしいだろうという叫びなのです。

人をバカにしたシステムに、アビーは叫びます。「私の家族をナメないで!」

感想はこのくらいになります。日本は労働環境に関しては世界でも最悪の国。

そういう意味でも他人ごとではなく、また共感する機会がない方にも見てほしいし、辛いですが子どもたちにも観てほしい作品でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それではまた次の記事で。

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