「オマールの父」(2020)
- 監督:ロイ・クリスペル
- 出演:カイス・ナーシェフ、シャニー・ヴェルシク 他
パレスチナ・イスラエル問題を、亡くなった子どもの遺体を運ぶパレスチナ人の父、彼が出会うイスラエル人の妊婦の旅を通して描くドラマ。
監督はロイ・クリスペル。主演は「テルアビブ・オン・ファイア」などのカイス・ナシェフ。
また出会う女性を演じているのは監督の妻で俳優のシャニー・ヴェルシク。
今作は第33回東京国際映画祭にてプレミア上映となりました。
基本的には背景となるパレスチナ・イスラエル問題を見る新しい視点として興味があり鑑賞。
あらすじ
イスラエルの病院で手術を行ったものの、残念にも亡くなってしまった幼い男の子。
病院はチェックポイントを越えての移送ができないことから、父はパレスチナの家へその亡骸を運ぶことになる。
しかし、街ではPLOとハマスが緊張状態にあり、戒厳令がしかれチェックポイントが通れなくなってしまった。
男は仕方なくショッピングモールで待つが、そこでイスラエル人の妊婦と出会い、事情を知った彼女が助けてくれることになった。
イスラエル、パレスチナ問題と、そこにある隔たりを描く作品としては、2018年の東京国際映画祭にて上映された「テルアビブ・オン・ファイア」に通じる部分がありますね。
ちょうど主演も同じくカイス・ナシェフです。
ただ、もちろん題材から分かるように、今作はあちらのような軽快なユーモアではなく、シリアスなトーンで進みます。
中心に置かれる要素はイスラエルとパレスチナの分断ですが、それを人の尊厳の最後のラインである死、その亡骸の扱いを通して見ていきます。
国境というか境界線を越えることと遺体運びでは、同じく第33回東京国際映画祭上映の「私は決して泣かない」との繋がりも感じます。
故人の扱いを誤ることは、すなわち人間の尊厳を完全に捨てることです。
PLOとハマスの衝突が背景にあろうと、譲ってはいけない人道的措置があるはずなのに、それがなされない。
オマールをなんとか運ぼうとするサラーですが、カイス・ナシェフは今回本当に無口。
それはもちろん、幼い我が子の喪失にうちひしがれた結果ともとれますが、同時に観客に徹底して察することを促します。
彼の表情を、所作を、眼差しを見て、繋がるように設計されています。
対するミリは常にむすっとした表情で、割りと強気に攻めていきます。
二人の関係性の変化や遺体運びにはややコミカルな要素も見てとれますが、言葉によらない描写が個人的には秀逸です。
バルコニーで話すときに、ミリはオープンなのに、サラーにはカーテンがかかっている分断があります。
でも後に車を運転した先で、ミリがサラーを見失ったかと思われた次、ミリはサラーにぶつかる。
身体的接触があり、そのまま二人の固い友情が見えたように思います。
この二人はイスラエルの町をさ迷いなんとか向こう側へ行こうとしますが、それはすごく日常に則したものになっています。
ショッピングモール、アパート、バーに行ったりホテルへ行ったり。
だからこそ、このパレスチナ・イスラエル問題が実際に日常レベルで人々に与えている影響が感じとりやすくなっていますね。
ある意味、日本での普通を考えたとき、サラーとミリのぶつかる障害の異常さが際立つわけです。
オマールの遺体は腐敗が進む関係上異臭を放ちます。
その”臭い”はそのまま差別の象徴となってサラーに降りかかります。
行く先で彼を異物とし、怪しみ忌み嫌う。
追いたてられながらも、二人は歩みを進めます。
静かな語りとか拠り所をお互いとして奇妙な友情を見せるサラーとミリは好きですが、気になったことも。
作品だけを追っても、ミリの動機が薄く感じるのです。どうしてここまでサラーを助けるのか。
仕事そして過去の人間関係に立ち入ることまでする強い理由が感じとれませんでした。
パレスチナ・イスラエル問題を人道的措置最後の砦を舞台に、日常ベースで静かに語っていく力はある作品。
というところで感想は以上です。
東京国際映画祭関連もあまり今年は感想をかけていないのですね。
それではまた次の映画の感想で。
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