「ブルージャスミン」(2013)
- 監督:ウディ・アレン
- 脚本:ウディ・アレン
- 製作:レッティ・アロンソン、スティーヴン・テネンバウム、エドワード・ウォルソン
- 製作総指揮:レロイ・シェクター、アダム・B・スターン
- 撮影:ハビエル・アギーレサロベ
- 編集:アリサ・レプセルター
- 衣装:スージー・ベイジンガー
- 美術:サント・ロカスト
- 出演:ケイト・ブランシェット、サリー・ホーキンス、アレック・ボールドウィン、ピーター・サースガード、ボビー・カナベイル 他
映画館で観つつも感想書いてない作品もなんだかんだで多いです。というか、せっかくなら新鮮な感想を残すべきなんですが、いろいろ見ていると自分の推しに力を入れたりしがちです。
今回はBDで再鑑賞もしたので、ケイト・ブランシェットがかわいそうだけど、一緒にいてあげられるかというとそれはご遠慮な作品です。
プロット観てすぐに「欲望という名の電車」(1951)を思い、やはりかなり似た作品ではあります。ブランシェットとボールドウィンは舞台の方でそれに出てるらしいです。
ヴィヴィアン・リーよろしくケイト・ブランシェットが今作でアカデミー賞主演女優賞を獲りましたね。
ニューヨークの富裕層で贅沢な生活を送っていたジャスミン。しかし夫ハルの詐欺事件が暴かれ逮捕されると、全財産を失ってしまう。
何もしてこなかった故にすぐに社会復帰ができないジャスミンは、異母姉妹であるジンジャーの元へ身を寄せることとなる。
ジンジャーはハルの詐欺事件が原因で元夫オーギーと離婚、今は新たなパートナーであるチリと暮らす計画中だった。
ジャスミンが自立するまでチリには待ってもらうことになり、ジャスミンは厄介者になりつつキャリアを築こうとする。
ウディ・アレン映画というのは、どうもオシャレなかつ綺麗な物だと思っていましたが、今作はむしろかなりの残酷映画。スプラッタということではなく、現実的な具合が観ていて辛いのです。
もちろんブランシェットの演技がそれを非常に強いものにしているというのもあります。
もともとは高級ブランドを着こなし、自分で言うようにスタイルやデザインに関しては高いセンスを持っています。ジャスミンはその場に合わない、しかしかすかな抵抗のように綺麗な格好をし続けます。
あの(彼女にとっては)屈辱的な歯科医院の仕事中にも、自分の落ちたランクを覆い隠すかのように、ブランドのカーディガンを羽織っていました。
ジャスミンに限ったことでは無いにしても、この「人が自分について嘘をつく、些細なことであっても自分をそっくり開けだすことができない」あたりが全編にあふれていて、リアルな私たちのことでもあるのがつらい部分。
ジャスミンは壊れかけ、それでもなんとか理想に近づくことができました。
しかしここでも、過去も今も偽ったことが地盤を崩すように響いてきます。さかのぼれば夫ハルの不正を見過ごし自分もその利益を得ていたこと。
その犠牲になったオーギーが最終的な終止符を打ち、ジャスミンの再起は消えてしまう。そうなってなお「中身で見て」というあたり非常に苦しい。
建前、本音。見栄と真実。
人間ついつい自分を良く見せようとして話を持ったり、都合よく言い換えたりしてしまうものです。出てくる人物のほとんどがそういったものを纏っています。鏡のような映画ですね。
大量の薬を酒で流し込んで、相手もなく話しているジャスミン。壊れてしまった哀れな感じと、また怖い感じがブランシェットの演技で際立ちます。
ゴージャスでありながら、どこかダークさも持ち合わせた彼女が素敵ですね。
ジャスミンはこれ以上ない残酷な切り離され方をしますが、彼女はこの映画のタイトル時点から自分を偽っていました。ジャネットなんて嫌、ジャスミンが良い。気品があってセンスもある。
これまた素晴らしいサリー・ホーキンスのジンジャーは、立ち直りの早いこと。チリもなんだかんだでわきまえとかマトモさを持っていました。
ジャスミンはどこまで行っても飾ることに徹してしまったのでしょうか。
ふらつき、また独り言をもらしながらどこを見ているのかわからない姿に、こんな終わり方あるかい!とウディ・アレンの切り捨てっぷりに唖然として映画は終わりました。
エンディング曲が慰めだと思ってしんみりしましょう。
ということで、賞も納得の、ヴィヴィアン・リーも納得の?ケイト・ブランシェット崩壊映画。落ちぶれた富裕層というのは私には関係なくとも、その人間のしょうもない意地とか見栄は自分を指しているようで痛々しい物でした。
それでは終わりです。また~
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