「コレクティブ 国家の嘘」”Colectiv”(2019)

「コレクティブ 国家の嘘」(2019)

  • 監督:アレクサンダー・ナナウ
  • 脚本:アレクサンダー・ナナウ、アントアネタ・オプリス
  • 製作:アレクサンダー・ナナウ、ベルナール・ミショー、ハンカ・カステリコーヴァ、ビアンカ・オアナ、アリナ・デヴィッド
  • 音楽:キャン・バヤニ
  • 撮影:アレクサンダー・ナナウ
  • 編集:アレクサンダー・ナナウ、ゲオルグ・クラッグ、ダナ・ブネスク

作品概要

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2015年にルーマニアで起きたクラブハウスでの火災から、それを発端にして明らかになった医療汚職、国家のウソを、当時の報道取材班や新しく任命された保健相の大臣に密着して描くドキュメンタリー映画。

監督は「トトとふたりの姉妹」などのドイツ系ルーマニア人アレクサンダー・ナナウ。

ナナウ監督はこれまでずっとドキュメンタリー映画を撮ってきた方で、撮影なども自身で行うようですね。今作でも撮影、編集などは監督自身でこなしています。

私自身はこのコレクティヴの事件もルーマニアにおける医療汚職なども全く認知していない無知なものでしたので、なんでもかんでも初めての状態で観に行きました。

少しでも世界のことを知れるといいなと思いますが、正直評価が高いから映画自体の存在に気付いたようなものです。

今作はアカデミー賞でドキュメンタリー賞にノミネートしただけでなく、劇映画ではないですが、外国語映画賞にもノミネートしました。

またその他ヴェネチアでの上映や、ヨーロッパ映画賞や全米映画批評家協会賞の受賞などもしていて、とにかく批評家の強化が高いんですよね。

後悔は007と同じころで、その時連続ではしごしてみてきました。

緊急事態宣言の解除もあったのですが、まあ地味なところだったので、そんなに劇場は混んでいませんでした。

「コレクティブ 国家の嘘」公式サイトはこちら

~あらすじ~

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2015年の10月。ルーマニアのブカレスト。「コレクティヴ」というクラブハウスでのライブ中に火災が発生した。

非常口がなく出入口がたった一つしかない問題を持った構造もあり、そこで火災によって27人が亡くなってしまう。しかし悲劇はそこで終わらなかった。

重度のやけどなどを負った患者がルーマニアの病院に入院していたのだが、なぜか火災後数週間のうちに病院で次々に亡くなり、犠牲者の数は64人にまで膨れ上がったのだ。

事件に関して疑いを持つスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」は独自に取材を始める。そこでドキュメンタリー映画監督であるアレクサンダー・ナナウもこの取材動向を願い出、信頼の上で同行を許された。

そこで明らかになってきたのは、ルーマニアにおける医療の実態。汚職と不正にまみれた現場で、人災的に死者が出ていることであった。

内部告発をする医師が現れ、大きなスキャンダルになった事件の対応のため、ルーマニア政府は保健相の担当大臣を交代する。

新任となったのは外国で銀行副社長をしていたヴラド・ヴォイクレスク。彼は内部に入り込むほどに腐りきった世界に絶望するも、ナナウ監督になんと保健相のオフィスへの自由な立ち入りを許してこの件についてのドキュメンタリー映画撮影に協力したのだ。

感想/レビュー

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ドキュメンタリーの手法

ドキュメンタリー映画というのはこれは特殊に思えるもので、一つその事実性ゆえの観客との乖離の危険性があると思います。

普通の劇画であれば、まあすべては嘘であり脚本、脚色であり、想像上の人物であるがゆえに自由が利く。

かなり象徴的なキャラクターにしておいてどんな国の人、どんな世代の人が見ても繋がれるようなゆとりが許されます。

逆に言えば、嘘っぽくなく実在感のあるような造形を求められるわけですが、ドキュメンタリーは真逆だと思います。

すべてが実在であり自由はききません。

ともすれば、非常に限定的な案件と視点になってしまい、あくまでその題材はその題材として存在する。

観ている観客側からすればまさに他人事になりそうな危険性が強いと思うのです。

そこでドキュメンタリーは、インタビューをしたり、巧みな構成をしたり、一部にアニメーションや時間操作などの工夫を凝らすのかと。

撮影者を意識させない、アクションしない作り

しかし、アレクサンダー・ナナウ監督の手法は、一切アクションをしないことでした。

対象に密着しながらも、インタビューも質疑もない。こちら側からの接触というものが排除され、徹底的に目の前で展開される事実にだけ注視させる作りになっています。

あまりに凄まじい臨場感。あえて距離や停止を感じさせないこの完全な密着は、観客を現場に送り込む効果がありました。

起きてしまった事実などに対しての後調査、語り、回想ではない。

今まさに目の前で進行していき明るみになる大いなる闇を、リアルタイムにのぞき込んでいくような感覚です。

自分でも思っても見なかったのですが、ナレーションも入らないこんなドキュメンタリー手法があったのかと新鮮ですし、語り手がしっかりと当事者になっていたり、また受け取りても自然と”自分自身”になっているのは本当に巧みだと思いました。

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題材に対して持つ複数の視点

さらにナナウ監督は、題材としては同一のものを追いかけるドキュメンタリーではありますが、その視点を前半と後半で切り替えています。

前半部分は外側の視点。このコレクティヴでの火災をきっかけに、保健相や医療機関、医療体制、国家のあり方に疑念をいただいたスポーツ記者側の視点に寄り添って進行します。

そこでは不可解な事実、明らかな隠ぺい工作や不正などが出てくるために非常に腹が立ちますし、また恐ろしく感じます。

まさに一市民としてこの事実へ憤りを覚えていくわけですが、ここまでで止まっていれば、スキャンダルを外から見るだけにとどまったでしょう。もしくは、勇敢な報道者をたたえる映画で終わっていたのかもしれません。

しかし後半部分において、ナナウ監督は新たに保健相担当大臣になった(最低にお粗末な火消し処理ですが)ヴラド・ヴォイクレスク氏を追いかけます。

これは初めに見ていた時、何が起きているのか分かりませんでした。正直理解するのに時間がかかったのです。

普通こうした政治とかの汚職、スキャンダルのドキュメンタリーって、政府関係者は取材拒否しましたとか、一部資料映像で代替したりがほとんどだと思うんです。

もし当人に取材できても、数年~数十年後の本人に当時のことを振り返ってもらうとか。

それが今作ではナナウ監督の熱意と、柔軟かつ国家の危機に対して真摯に向き合うヴラド氏の協力で、保健相のオフィスにまで入り込んで、いろいろな電話のやりとりや会議まで除くことができている。

こんな視点をもった報道、ドキュメンタリーは自分は観たことが無かったのです。

内部に堂々と入り込んですべて見せていく、そしてそれらはリアルタイムに目の前で起きている。

しかも、問題を外から追及する側と、中から解き明かしていく側と、両面をもっているなんて。

一方的なものでなく双方的に問題に取り組み、視点を切り替えるこのドキュメンタリーの報道の神髄、公平さ独立性がものすごい衝撃でした。

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まるで今の日本をみているようだ

もちろん、見えてくる腐りきったシステムには憤りが絶えず絶望してしまいます。

それにより犠牲となった若者たち、救いたい命を救えず悔しい思いを抱える医療従事者たち。

真実の追求のため奔走する記者と、根本から国を変えたいと全力を尽くす大臣。あまりに心が痛みます。

吐き気をもよおすような凄惨な腐敗物たちですが、なによりも怖かったのはこのルーマニアの事件を通して、なぜか自分のこと、自分の国のことを見ているように思えたことでしょう。

利権、癒着に忖度。隠蔽工作に改ざん。

何より、暴露されてもなお平然と存在し、脅迫をもって国民を縛り、すべてを黙殺しようとする。

この恥知らずさがどうしても今の日本と重なります。

問題があることはこれまでもそうです。しかし、せめて辞任したり政権を変えたりした。

それが今や倫理感すら崩壊し、どんな批判も事実も捻じ曲げて居座り続ける。何を国民が言おうと構わないのだという感覚が恐ろしいのです。

保健相の大臣になっても見えてくるのは腐った根っこばかり。

シニシズムが招く民主主義の崩壊

そこでヴラド大臣の父との電話が印象深い。「何をしても無駄。帰ってこい。ルーマニアに希望はない。」

ただし、ヴラド大臣はそこで何も言わない。これが少しの抵抗に、警鐘に思います。

こうした、何もかもを冷淡に笑う姿勢は、政治に関して多く見えます。

「どうせ変わらないのだ。一票を入れても何もならない。」

しかしシニシズムの行きつく先を、今まさに日本は体感していると思います。このルーマニアの実情が2016年。世界が変わった年です。

アメリカにおけるトランプ新大統領の誕生や、イギリスのEU離脱決断。思っても見なかったことが現実になった年。

未熟な国家など関係ないのです。世界のすべておける民主主義は試され、その脆さを露呈した。

ただそれは、冷笑し続けた私たち一人一人の責任でもあるのかもしれません。

様々な視点からの監視、メディアの独立。そして何より国民が意志を持ち主張すること。

こんなにも民主主義は脆いのですから。

最後に視点は内部でも外部でもなく、被害者に戻されます。すべてのしわ寄せにより、若い息子を失った父に向けられる。

「いつか・・・」ぶつ切りに終わるこの作品を観て、個人があり方を考え直さなくてはいけないのです。

ルーマニアの危機から報道の在り方を追求し、1つの故郷を想う人々の熱意を描く。それでいて、視点は公平であり事実はすべての世界の観客に向けられるものになっています。

素晴らしいドキュメンタリーに脱帽ですが、やはり事実は重くのしかかるものです。

それでも目をそらすことはしてはいけないですね。

是非とも見てほしいドキュメンタリー映画でした。

今回は少し長くなりましたが、感想はこのくらいになります。最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。

それではまた次の記事で。

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