「デュアル」(2022)
作品概要
- 監督:ライリー・スターンズ
- 脚本:ライリー・スターンズ
- 製作:ネイト・ボロティン、アラム・ターツァキアン、リー・キム 、ニック・スパイサー、マキシム・コットレイ
- 音楽:エマ・ルース・ランドル
- 撮影:マイケル・ラーゲン
- 編集:サラ・ベス・シャピロ
- 出演:カレン・ギラン、アーロン・ポール、テオ・ジェームズ、ビューラ・コアレ 他
「恐怖のセンセイ」のライリー・スターンズ監督が贈るSFスリラーコメディ。
余命宣告を受けた女性が自らのクローンを作るも、死の可能性が消えてしまったことからそのクローンとどちらが自分の人生を生きるのかをかけて殺し合いの決闘をすることになるという話。
主演は「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズや「ガンパウダー・ミルクシェイク」などのカレン・ギラン。
また彼女をトレーニングするコーチの役には「ニード・フォー・スピード」などのアーロン・ポール。
はじめはジェシー・アイゼンバーグの起用も予定されていたようですが、なくなったようですね。作品はサンダンス映画祭で公開されています。
そんなに間を空けずに世界公開されていき、(といっても世界的には最後の方ですが、)日本でも年内に公開されました。
正直監督作品も観たことはなく、単純にカレン・ギランの主演作ということで鑑賞してきました。
公開週末で連休中でしたがあまり混んではいませんでした。
~あらすじ~
サラは出張中の恋人ピーターと離れ一人暮らしている。ある日朝目覚めると、枕元に大量の血痕があった。
病院で検査をしたところ、彼女は非常に珍しい病気にかかっており余命は僅かだという。医師はサラに家族への贈り物を検討するように話す。
それは彼女のクローンを生成し、死後サラに代わるようにプログラムだ。悩んだ末にサラはプログラムを受けることにし、”サラのダブル”が誕生する。
二人は共に過ごしてダブルがサラの趣味趣向や傾向を学んでいくようにした。そして10ヶ月の時が流れたが、ダブルはすっかりサラに代わり彼女の人生を生きている。
何よりも問題になったのが、サラが完全寛解し死ななくなったこと。
自分の人生を取り戻そうとするサラと、自我を持って自分の人生を生きようとするダブル。こうなった場合の解決策は生死をかけた決闘だった。
感想/レビュー
シュールな実験的映画
かなり風変わりな近未来映画というか実験映画というか。
なんとなく宣伝の段階またはポスターなどを見ていると、生き残りをかけたクローンとの死闘。
アクションものなのかと思っていましたが、スターンズ監督が描き出しているのは生きることではないかと思います。
そしてその生に向けられた眼差しというのはどこかそれを”重荷”として捉えているように感じました。
カレン・ギランは非常に感情的な演技ができますし、アクションもこなせますが、彼女にここで求められた役割はそれらではありません。
スターンズ監督が広げるシュールなブラックコメディにおいて、感情が抜け落ちたようなロボットのような演技が見せられます。
色々と期待をして観に行くと拍子抜けを喰らうかもしれませんね。
決闘から意識される生きること
OPすぐに始まるTV中継された殺し合い。
この時点で笑っていいのか何なのか不思議な空気を持っています。
その後も医療的な手続きとしてのクローン生成でローンの支払いと死後の債務引き継ぎの話が出てきたりと、ズレがユーモアとして残りながら進んでいきます。
初めて家にダブルを連れてきたときの質問の突飛さというか攻め具合。好みを聞く中で急に体位の話になったり。
コメディですね。
クローンの生成が唾液のみ1時間で終わるあまりの手軽さに対し、今作が時間を要するのは命を奪うこと。
どちらかしか存在できなくなったサラとダブルの、決闘に向けての時間のほうがよっぽど長いというわけです。
それはしかし殺し合いに時間をかけているというよりもその準備=生き残ること。
死にたくないけど生きるのは辛い
サバイバルなのです。
ここにきてサラが強く意識するのは生きることになっていきます。
ただ今作でスターンズ監督が置いているのは、その必死のサバイバル、共存不可な世界で掴み取ろうとしている”生”そのものの辛さなのかと思いました。
サラは彼氏のピーターが家に帰らず寂しい日々を過ごします。
その埋め合わせのための私的な行為すら、母に干渉されてしまう。
電話の次はボイスメールで絶えず触れてくる母に悪夢すら見るサラ。ピーターとの関係性も良くはない。
仕事で手一杯ですし、サラの病気のことに対する処理もちょっと酷いですよね。
確かに生きてはいたいものです。それは生きたいというよりも死にたくないという方が正しい言い回しでしょう。
死なないための”もがき”がくれる人生というのが(少なくともサラにとっては)とても輝かしいとは思えないものなのです。
自分や自分の人生を心底愛せるのか?
この根底にあるような絶望。虚無感。
生き残りをかけているのに、それは死ぬことへの恐怖に対するリアクションでしかなく、サラもダブルも実際に自分の生を愛しているのかというと疑問が付きまとう。
決闘を経験した生き残りたちのセラピーで、オリジナルとわずかな時間しか過ごせなかった人が言います。
「知らない連中ばかりだ。そしてろくでもない。でももう自分はそこで生きるしかないんだ。」
人生行き詰った人って結構いると思います。
現実では身代わりを残せないし、しかも選択肢が死というのはあまりに酷です。
作品タイトルはDuelではなくDual。決闘がメインでなく、二つの存在。
否応なしに生き残ることを意識させられながらも、生とはそれだけの価値があるのかに、疲弊と絶望を見出す。
終着点としてダブルが生き残った。(車の運転がまったくできないため事故にあった説明が支離滅裂ですし、EDの車の有様をみれば分かります。)
でもそのサラもまたロータリーでぐるぐる回っているのが示すように、行き詰ってしまったのです。
たまにこうしたローテンションな人生絶望タイプの作品がありますね。
今作も独特の静かさと気迫のなさがあります。
やや分かりにくいテーマ性だったり、せっかくカレン・ギランがいてもあまり度維持登場した部分がないのが残念というかもったいないというか。
合う合わないが割と分かれる作品と思います。
個人的にはテーマ性は理解しましたし、テイストも嫌いではないものの、すごくのめりこむ力というのは弱く感じた作品でした。
興味のある方はハマる可能性もあるのでご鑑賞を。
今回の感想はここまでです。
最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。
ではまた。
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