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「リリーのすべて」”The Danish Girl”(2015)

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映画レビュー
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「リリーのすべて」(2015)

  • 監督:トム・フーパー
  • 脚本:ルシンダ・コクソン
  • 原作:デヴィッド・エバーショフ 「世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語」
  • 制作:トム・フーパー、ゲイル・マトラックス、アン・ハリソン、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー
  • 音楽:アレクサンドル・デスプラ
  • 撮影:ダニー・コーエン
  • 編集:メラニー・オリヴァー
  • 衣装:パコ・デルガド
  • 美術:イブ・スチュアート
  • 出演:エディ・レッドマイン、アリシア・ヴィキャンデル、アンバー・ハード、マティアス・スーナールツ、ベン・ウィショー 他

アカデミー賞受賞作品もどんどんと公開された3月。その中でもけっこう楽しみに待っていたのが、トム・フーパー監督の「リリーのすべて」。

昨年「博士と彼女のセオリー」にてアカデミー賞を獲得のエディ・レッドメインが主演を務めていまして、監督とは「レ・ミゼラブル」でも一緒でしたね。

今人気の高い彼が役柄含めて注目されていますが、私の興味はアリシア・ヴィキャンデルのほうにありました。”Ex Machina”の彼女ですよ。ア

カデミーも獲りましたが、納得の演技。言ってしまえば、彼女の演技による支えあってこそ、レッドメインが光っていたといってもいいかも。

そんなわけで見に行ったらもう満員。90%女性客って感じでしたね。女性に限っては若い人も来ていました。

1920年代のデンマーク、コペンハーゲン。

そこには有名な画家であるエイナーが妻のゲルダと暮らしていた。既に著名な夫に対し、ゲルダはいまひとつ題材に恵まれず、自身の画家活動は行き詰っていた。

あるときゲルダは女性の肖像画を描こうとするが、モデルがおらず、エイナーに代わりを頼む。その瞬間から、エイナーの中にもう一つの自分、リリーが表れ始めることに。

性同一性障害?とにかくこの映画はアイデンティティーの確立を描くものでした。

リリーが生まれたのではなく、どちらかといえばもともと存在していた本質を刺激するきっかけにより、リリーが封印から解かれるような、本当の自分が表れてくるのです。

エディ・レッドメインの演技の確かなことはあえて言わなくてもいいでしょう。格好と所作の変わり方やズレなどが、一人の

人間の外面と内面を絶妙に表していて、彼の綺麗な顔立ちも初めはもろに女装感があるものから本当に美しい女性に変わるのに、説得力を増していますね。

基本的には内面と外面というところに注目してみていました。

やはり初めて眠っていたリリーを刺激した、絵のモデルになるシーンも良いんですが、個人的にはその後のパーティへの潜入とゲルダの個展でのシーンが印象的。あそこは絶妙なエイナーとリリーの関係が出ているかと思います。

序盤で言っていたように、女装して初めて女性が受ける男性のまなざしをエイナーは体験し、そこでは自分が女性であると、すくなくとも女性の視点での感覚を覚えています。

また個展では「画のモデルは来てないの?会いたいわ。」という声を聞き、エイナーが嬉しそうにはにかむ姿がありました。

こちらもやはり、上手いこと人をだましているいたずら的なおかしさもありますが、リリー=自分であることを自然に感じ、女性になっている感覚があります。

脚本においてとてもうまくリリーとして”感じる”瞬間が設けられていて、移り変わっていくアイデンティティーが見事に伝わってきます。

初めての性転換手術。男性主権的で、女性の権利だって弱かったこの時代に、勇気ある行動です。

この行動は自己の同一性、アイデンティティーを求めるもの。

誰しも自分が自分らしくありたいと願っていますね。まったく同じことを求めていただけなんですが、エイナーまたはリリーにとってとても難しいことになります。

そして同時に、それはゲルダにとっても大変なこと。

よりリリーになり始め、アイデンティティーを確立しようとしていくエイナー。

彼、彼女は「神がリリーを作った。間違った入れ物に入っているのをお医者様が直してくれる。」というように、初めからリリーだったんでしょう。

しかしゲルダにとってはリリーとしてエイナーがアイデンティティーを得ていくことは、彼女が愛したエイナーというアイデンティティーを失っていくことでもあります。

その喪失をアリシアがとても良く演じていると感じます。

彼女の複雑な、しかし愛ゆえの行動がより感情を揺さぶってきました。愛する夫が永遠に消えてしまう、そのことに手を貸してしまうけど、リリーという本当の自分にさせてあげることが一番愛する人にとって良いことなんです。

徐々にエイナーが消えていき、ベッドでの距離は離れ仕切りができてしまう。

触れ合いも減っていき、「それぞれの道を歩もう」という別れの言葉も出てくる始末。正直ゲルダに心を寄り添えていたので、リリーがかなり身勝手に思えました。

巧みに自分の本質が遊びに絡む脚本、絵画のような屋内や建物の壁を映す撮影。特に撮影に関しては絵的な感じがしますし、対象を観るうえで何かピントの合わないものを画面内に置いていました。

それがなくなるとよりすっきりと、正しい状態になっていく感覚があります。

絵画の中にリリーであることを出してきたエイナー、自分がリリーになるにつれ、そういった本質のはけ口は必要なくなります。そしてそうなっていく夫を支えるゲルダがなんとも切ないです。

ホモセクシャルではなく、心と体が合わなかったという悲劇。正しい自分になろうとすることが、こんなにも大変だとは。

自分らしさ、自分のありのままの姿。さらけ出しづらいのは今もですが、押し殺して生きる必要はありません。エイナーの決断は今生きる人たちにも勇気をくれます。そしてもうひとつ大切な、しかし意外と示されていないのが、ゲルダのような周りの人間の在り方です。

自己実現と共に失われていくそれまでの自分。喪失すると知っても、愛を持ってそれを支えるというのもまた、現在生きる私たちに必要な姿勢だと思いました。

アリシアの見事な演技に感服。素晴らしい、とっても素敵な演技でした。

ちょっとリリーという人物で好きになれないところもありますが、なりたい自分になるということを真正面から伝えてくる良い作品でした。

そんな感じで感想おわり。それでは、また。

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