「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」(2022)
作品概要
- 監督:デヴィッド・イェーツ
- 脚本:スティーヴ・クローヴス、J・K・ローリング
- 原案 J・K・ローリング
- 製作:デヴィッド・ハイマン、J・K・ローリング、スティーヴ・クローヴス、ライオネル・ウィグラム、ティム・ルイス
- 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
- 撮影:ジョージ・リッチモンド
- 編集:マーク・デイ
- 出演:エディ・レッドメイン、ジュード・ロウ、マッツ・ミケルセン、ダン・フォグラー、アリソン・スドル、エズラ・ミラー、ジェシカ・ウィリアムズ、ウィリアム・ナディラム、カラム・ターナー 他
「ハリー・ポッター」シリーズのスピンオフシリーズ「ファンタスティック・ビースト」の第3作品目。
前作である「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」に続いて、悪の魔法使いグリンデルバルドと、彼の元親友ダンブルドアと魔法動物学者ニュート・スキャマンダーらの闘いを描きます。
主人公は変わらずエディ・レッドメイン。そのほかダン・フォグラーやアリソン・スドル、ジュード・ロウも続投しています。
前作まではジョニー・デップが演じていた悪役グリンデルバルドは交代して「ライダーズ・オブ・ジャスティス」などのマッツ・ミケルセンが演じています。
この点はいろいろと大人の事情ではありますが、結果として、コリン・ファレル、ジョニー・デップ、そしてマッツ・ミケルセンと毎回違う俳優がグリンデルバルドを演じるということになっていますね。
私は今までもこの魔法使いの世界について原作も読んだことなく、ただただ実写映画の中での知識しかないのですが、スピンオフシリーズとしてももう3作品目ということでだいぶ長くなってきたなと感じます。
熱狂的なファンではないのであまり期待してもないし楽しみに待っていたわけでもないですが、俳優マッツ・ミケルセンは好きなのでその点は楽しみでした。
公開週末に通常字幕版での鑑賞。やはりファンタビシリーズ、若い人達がかなり多かったですね。
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~あらすじ~
グリンデルバルドが魔法界を分断し、追従するものを従えて姿を消して以来混乱が続いている。
血の誓いゆえに戦うことができないダンブルドアはグリンデルバルドへの説得を試みるも、彼は劣った種族である人間を根絶やしにするという決意を胸にしていた。
ダンブルドアは戦争が始まることを恐れ、事前にグリンデルバルドを食い止めるためにチームを集める。
これまでにも闘いにて活躍してきたニュートとテセウス兄弟に、マグルのジェイコブ、教員であるラリーや古の血筋を引くカーマ。
一方のグリンデルバルドはニュートが保護しようとしていた珍しい魔法動物キリンの子どもを強奪していた。
神聖なる魔法動物を何に使う気なのか。
グリンデルバルドの策略が何であれ、魔法使いたちを先導して人間界へ攻め込もうという動きをニュートたちは急いで食い止めねばならない。
感想/レビュー
根底に置かれている想いや狙い、テーマというものはまったく正しく良い方向を向ていると思います。
しかし成し遂げようという試みが善であることと、その実行というのはまた別の話であるのです。
意図に対して実行が伴わない
時代のながれというものを受けて、この魔法使いの世界はもろに現実の世界と特にアメリカ社会を色濃く示唆するものに変わっています。
人種差別と白人至上主義。ホモフォビアや人びとの分断。信用できない制度。資格なき指導者と嘘。
そのすべてが込められているという点で、こころみを否定することはできません。
言えるのは(いろいろとあってせいでもありますが)描き出す時期が遅いなと感じることでしょうか。
グリンデルバルドのドラマ部分はおいておいて、プロットからするにトランプ元大統領と彼の選挙に関する陰謀論については色濃くトレースされています。
純潔とマグルに関して他、分断というのが分かりやすく人が左右に分かれてまで再現され、露骨だなとすら思えます。
支離滅裂な脚本
別にそのテーマは良いでしょう。
ただ問題はこの魔法界という世界での展開の仕方、脚本、そしてすでに紹介されているまた今回から登場するキャラクターたちのドラマの構築でしょう。
はっきり言って意味不明でした。
脚本の機能を疑います。
何がしたいのか分からなかったです。初めの時点から今作はチームものであるとわざわざ宣言していますが、その感じも薄いです。
スプリットしてからの再合流の流れも必要だったのかすら曖昧。
乗り越えていくための障害という点についても、特にテセウスの件とかお粗末すぎる気がしました。
良くわからない形でわきによけて、救出作戦の展開ってそこにドラマが生まれてないですし進行を遅らせているだけでは?
ドラマ部分についてはダンブルドアの血族ということが明かされたクリーデンス、またダンブルドアの弟についてがあります。
これは前作からの宿題であり今作のタイトルにも結び付いている要素です。
ただその真相の語りについてもあまりにあっさりしています。
すべてに共通することですが、描かれること自体に重みがあるはずなのにそれが感じられないのです。
感動すべきところでもなぜかそれが入ってこない。それは観客ではなくてコンテンツに形があっても魂がないからではないでしょうか。
安直なノスタルジー
空虚さを感じるのはまさにコンテンツに関して。
今作はこれでもかとファンサービスを入れてきます。
ホグワーツはもちろんのこと、クィディッチ関連のあれやこれなど、ファンが喜ぶのは分かるんですけれど、それだけ過ぎないでしょうかね。
この点は以前に「ゴーストバスターズ アフター・ライフ」でも感じたところなんですが、すでにみんなが好きなものを並べて立ててノスタルジーを煽る手法はあまりに安直すぎると思うのです。
そんなことはせずとも素材はこれでもかとそろっていて、それに応えてくれる俳優陣も揃っている。
今作で登場したジェシカ・ウィリアムズについて、彼女のドラマって何だったんですかね。そしてウィリアム・ナディラムも予想できる範囲での動きをするだけで出てくる時間すら短い。
そうした人物のドラマ()はそれぞれ独立してしまっているのでのりきれない。
人間臭くて素敵なマッツ・ミケルセン
各人の”いるだけ”具合に対して、新入りになったマッツ・ミケルセンの溶け込みは良いですね。
また彼自身以前のジョニー・デップのようなパンクなカリスマ性はないものの、それならば涙目で勝負といった気概もあります。
特に彼に感じるのは優しい瞳です。
ダンブルドアへの愛情というところがあるゆえに、くやしさと愛を失う恐れと自分から離れる憎しみとが渦巻いた表情を見せる。
良くも悪くも人間臭い感じが入ってきていて、”悪の魔法使いです。怪物です。”ではない深みが出ています。
わりと穏やかで笑顔すら見せるOPのレストランシーン。
しかしすぐ後には、グリンデルバルドの紅茶を持ってきた店員(マグル)に対する侮蔑と汚物を見るような眼。
この交じり合う複雑さが覗けたことは一番のドラマになっていたかもしれません。
魔法動物がシリーズの売りであるので、キーとなるのは当然ですが、実際に魔法動物と連携するのはやはりニュートだけ。
ピケットとニフラーの二人の活躍など見れたりするものの、もっともっと魔法動物だらけな感じでも良いかなと思います。
結局このフランチャイズは、ハリー・ポッターの物語に向けて光と闇の魔法使いの闘いを描く方向に流れていく以外にないのかもしれません。
テセウスを途中でわきにそらせて助けに行く理由、血の契約の破れ方、君たちどこ行って何してたの?感が強すぎることに、肝心のバトルについても何がどうだから勝つというような理合もわからずグダグダです。
それを隠すためなのか分からないですが、否定しずらいファンサービスを流し込んでごまかされた気分です。
私としては目当ての魔法ワールドでのマッツ・ミケルセンが見れて、彼なりに良い仕事してたのでそこは良いですが、それが以外は本当に1作目からどんどん劣化している気がするシリーズ。
ファンは観るのは間違いないですが、そこまで興味がないなら配信待ちで良いと思っています。
というところで厳しめですがこんな感想になります。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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