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「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」”Fantastic Beasts and Where to Find Them”(2016)

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映画レビュー
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「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」(2016)

  • 監督:デヴィッド・イェーツ
  • 脚本:J・K・ローリング
  • 原作:J・K・ローリング 「幻の動物とその生息地」
  • 製作:デビッド・ハイマン、J・K・ローリング、スティーブ・クローブス、ライオネル・ヴィグラム
  • 製作総指揮:ティム・ルイス、ニール・ブレア、リック・セナト
  • 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
  • 撮影:フィリップ・ルースロ
  • 編集:マーク・デイ
  • 衣装:コリーン・アトウッド
  • 美術:スチュアート・グレイグ
  • 出演:エディ・レッドメイン、キャサリン・ウォーターストン、コリン・ファレル、ダン・フォグラー、アリスン・スドル、エズラ・ミラー 他

J・K・ローリングによる原作小説を映画化した「ハリー・ポッター」シリーズ。映画は全8作をもって完結しましたが、今回はそのスピンオフとして新シリーズが始まります。

位置としてはメインより過去、前日譚になるようですが。

監督にはシリーズの5作目「不死鳥の騎士団」から最終作「死の秘宝Part2」までを監督したデビッド・イェーツ。シリーズを長らく支えてきた彼が、新たな物語を始めるわけですね。

そしてメインキャストも大きく変わり、主演には「リリーのすべて」(2015)のエディ・レッドメイン。助演に「インヒアレント・ヴァイス」(2014)のキャサリン・ウォーターストンなど。

私自身ハリポタは不死鳥までは劇場鑑賞したものの、原作は未読ですしその後の作品はTVで鑑賞ってくらいのハリポタ弱者。今回の新シリーズに対する熱意も人並みほどです。

劇場はかなり混雑していて、子供含め多くの層が来ていましたし、その中でもやはりハリポタファンの方が多めでしたね。

時代は狂乱の1920年代、ニューヨークでは人間界と魔法界の関係が危機に陥っていた。魔法によるものと思われる破壊行為が頻発していたのだ。

そんなときにこの都市にやってきたのが、魔法動物を求めて旅するニュート・スキャマンダー。彼は手持ちのトランクにたくさんの魔法動物を詰めているのだが、手違いからその魔法動物たちが逃げ出してしまう。

魔法議会の職員ティナ、そしてただの人間であるジェイコブを巻き込み、ニュートは魔法動物たちの回収に奔走する。

そんな時、魔法を悪とし根絶しようという組織の暗躍もはじまった。

今作ではJ・K・ローリング本人が脚本を務めています。世界を築いた本人が、スピンオフの始まりを担当するわけで、一新されたように思える世界でも、ハリーポッターと舞台を共有していることが自然とうかがえます。

それは単に単語や人物名という要素による目配せではなく、やはり魔法というものに対してのワクワクする興奮。

何種類も登場する魔法動物の個性、人間界と並び立つ魔法世界の不思議な存在感。

派手な光や物質空間の変容などはせず、古典的にも思えるのですが逆にその落ち着きこそ観客にとっては良い手触りになっているのかと思います。

食卓の準備シーン、書類管理室の魔法などは不思議そのものを詰め込んだ印象的なものでした。

そこに加えて、今作では魔法動物がこれでもかと登場するものですから、さらに楽しいのです。

光物に目がないトラブルメーカーのニフラー、さびしがり屋のグルート(違う)など、サイズ造形色合い共に不可思議なものがたくさん。

そしてデザイン上にしっかりと人間界にあるものの要素が基にされているのがまた良いところかと。全く異質な存在ではないのですね。

ある例外は、今作のカギとなるものとして、例外である必然性があります。それでも個人的には実はそこは少し残念でした。真っ黒な風という事ですけど、派手になるほど逆につまらないかと。あの存在すら、落ち着いた動物的ななにかでも良かったかも。

さてそうした魔法動物の友達は、彼自身がファンタスティックな生き物に感じる、エディ・レッドメイン演じるニュートです。

見た目がかわいい感じとかは置いておくとしても、他人と真正面を向いて話ができず、どこか顔をそむけつつも斜めに目を向けて恥ずかしそうに話す彼は、魔法動物と同じく周りから勘違いをされてしまうタイプですね。

今作はハリーのように運命を背負ったり、何か特別な存在、物語の中心となるような人物がいません。むしろその他、普通なら変わり者とされる人が中心に。ティナは組織になじめず追い出される人ですし。

そして最も大きな部分としては、ノーマジ(マグル)がチームに加わっていることでしょう。ジェイコブを演じる、ダン・フォグラーさんは大きな役割を持っています。

彼は観客の代弁者。当たり前に繰り出される魔法を前に、あっと驚き、カッコよさにニヤリとし、とんでもなさに悲鳴を上げる。この視点こそより魔法を驚くべきものにしてくれると思うのです。

変わりもの、いわば変人だらけですが、その誰もが印象的です。作品自体が不思議な生き物のショーケース。

あ、色々言ってなんですが、一番好きなのは実はグレイブスです。コリン・ファレルが色気を振りまいてますからねw 「ロブスター」(2015)とはすっかり変わったものです。

魔法動物も好きです。ただしいて言うと後はあのゴブリン?ロン・パールマンの声が好きだし、ほぼ本人の顔してるCGも好きw

運命の子の物語から外れて、世界のカギとなる存在の成長期ではなく、今回は中心から外れたもののお話です。

それ故に、人に対しての同情の心や寄り添う気持ちが強いんですね。ニュートの魔法動物に対する思いは、同じく傷付いたクリーデンスにも向けられます。

「役立たずか。」という言葉に対するニュートの反応こそ、彼の本質を示すところ。彼は他者理解と共和を目指しているだけ。

この根底にあるテーマこそ、人間と魔法族、組織とはぐれもの、そして魔法動物まですべてを共通して描こうとしたものかと思いますね。相手を理解し、共に生きていく。

協力関係になれないと思っていた人間と魔法族と魔法動物が、見事に事件を解決に導くのは観ていて気持ちのいいものです。

J・K・ローリングは切り離した世界ではなくやはり共存に夢を託しているんでしょう。そしてあのニューヨーク生まれで父が金持ちで選挙に出た某国の次期大統領っぽい男。ああいうのが心底嫌いなのでしょうね。

魔法を絶対に別世界にしないこと。

私はとにかくそこが好き。

やっとのことでできた友達との別れは切ないものですが、あの終わり方というのは私たちが生きる現実にすら働きかけるものがありました。

忘れてもなかったことにはならない。

雨が降ったとき、そこには思い出せないだけで魔法があったのかもしれない。風邪が強く吹き抜けるとき、それは不思議な生き物が駆け抜けた印なのかも。そしてふと何かを思いつく時は、それは忘れている素敵な思い出の欠片なのかもしれません。

なんだか映画を通し、最後には自分自身の世界にも魔法がかけられたような気がします。

J・K・ローリングとその世界をよく理解したイェーツ監督は、ハリーポッターの勇気の物語以上に、人が昔から憧れ魅せられてきた魔法というものを見せてくれました。

今後シリーズが続くという事ですが、十分に期待できるかと。とりあえず感想はこんなところです。不満点が一つ。コリン・ファレルもうでないのかよ~ってこと。ジョニデがどれだけ頑張るかな。

そんなところで、それでは、また。

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