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「私はダニエル・ブレイク」”I, Daniel Blake”(2016)

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映画レビュー
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「私はダニエル・ブレイク」(2016)

  • 監督:ケン・ローチ
  • 脚本:ポール・ラヴァーティ
  • 製作:レベッカ・オブライエン
  • 製作総指揮:パスカル・コシュトゥー、バンサン・マラバル、グレゴリー・ソーラ
  • 音楽:ジョージ・フェントン
  • 撮影:ロビー・ライアン
  • 編集:ジョナサン・モリス
  • 出演:デイヴ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズ、ブリアナ・シャン、ディラン・マキアナン 他

巨匠ケン・ローチ監督の新作ですね。今作品は2016の第69回カンヌでパルム・ドールを獲っています。また英国のアカデミー賞BAFTAでも助演女優、監督賞と脚本賞にノミネートし、作品賞を獲得しています。

タイトルにも出ているダニエル・ブレイクを演じるのは、スタンドアップコメディアンとして活躍するデイヴ・ジョーンズ。また、助演にはヘイリー・スクワイアーズ。

公開初日、そしてケン・ローチ新作という事もあってか、満員状態で鑑賞しました。笑いもありますが、なにしろ最後には静まり返る映画でした。うーん、あとを引くものです。

イギリスに暮らすダニエル・ブレイクは、心臓病で倒れたことが原因で、医師から仕事を続けられないと宣告される。ダニエルは求職者手当への申し込みをするのだが、役所は形式的で何も進まない、時間ばかりがかかるプロセスと審査しかしてくれない。

そんなとき、同じく役所で困っていた若い母親ケイティと、その二人の子供と出会う。彼女も支援の申し込みをしているのだが、まったく期待できないという。

ダニエルはケイティの働く時間に、子供の相手をしていくのだが、二人とも生活が苦しくなっていくばかりだった。

元気をもらいつつ、心温まりつつ、世界を呪いたくなる作品。この観ていて辛いというのは、描かれていることそのものがやたらと残酷であるからではなくて、今作の世界それ自体が、私たちの生きる世界そのものの姿であるかと思いました。

ケン・ローチ監督の手法はネオレアリズモと言うべき、ドキュメンタリックで現実的な、誇張の取り払われたものです。それだからか、描かれている人間模様がより身近というか、温かいものは本当に心にダイレクトにくるし、辛いときはこの人物たちに心から寄り添い悲しむことができました。

心があるかないか。対比的に描かれていたのは、顔のないシステムと、貧者、弱者のシステムです。

画面に何も映らない頃から笑いをとるオープニング。面白さと共に、この人のいなさが後から怖くなりますね。ダニエルはたびたび役所を訪れますが、そこで「デジタル化」を言われます。

書類の記入から送付まで、オンラインで人はいない。そして認定人ですら、電話口の声だけで、画面には一切登場しません。人がいなければ、そこには心は無いのです。

それに対して、ダニエルはじめ、ケイティや隣人青年らのコミュニティは、常に困ったときは駆けつけ、ものを与え合っています。弱いもの同士、自分だって辛いのに、他者を思いやる。

この対比的構図がより一層、本来はそういった弱者を救う立場の行政の機能不全を際立たせていましたね。

その行政の手続きの面倒さや時間のかかりすぎるプロセス。イギリスでは非効率性というよりは、官僚的戦略というから、もう嫌になります。あえて時間をかけ、面倒にし、そこから振り落とす形でドロップアウトを出す。そうすれば、手当など行政が支給するお金が減るわけです。

その間税金も、そしてプロセスに必要な電話代や申請費などはしっかり収入となるわけですから、なんともひどい。助けが欲しい人からさらに搾り取るとは・・・

それは単に貧困をもたらしているだけではなく、恥辱でありました。

だれしも施しを受けるのは抵抗がありますよね。この作品では、ダニエルに隣人である青年に、度合いは違えど苦しい状況で頑張る人が出ています。その中でも個人的に心が引き裂かれそうになったのが、ヘイリー・スクワイアーズが演じたケイティ。

まずスクワイアーズの演技の素晴らしさは言わなくては!感情の吐露もなく、母として抱え込み耐えながらも、その顔やまとう空気からはどうしても抱えきれない苦痛と悲しみが見えます。

フードバンクでのシーンは、目を背けたくなるほど。そして駆け寄って手を差し伸べたいと思いました。私もフードバンクでボランティアをしたことがありまして、どうしてここまで人が辱められねばならないのか、このシーンだけは絶対的なものとなりました。

弱い者たちの声を代表し、さながらスパルタカスのように、そしてアッティカ!アッティカ!のように、民衆の英雄となるダニエル・ブレイク。

彼は隣人を愛し、女子供を守ろうとし、どれだけ自分のものを手放そうとも、決して愛する妻の思い出や、ケイティたちとの思い出のものだけは手放さない男。

そんな彼ですら飲まれてしまう、大きすぎるこのシステム。本来はこのシステムこそが、ダニエル・ブレイクであるべきなのに・・・

ケン・ローチ監督の人、人間を愛する心がダニエル・ブレイクたちに映され、代弁するように人の欠けてしまった社会の根幹を批判する。絶妙な距離感でその孤立を捕えつつ、それでも十分に彼らに集中する撮影、現実的な撮り方に、どうしても映画世界と現実世界をつなげてしまう。

尊厳だけは守っていたい。そうして私もダニエル・ブレイクでありたいと思う作品。

派手なことは無くとも、叫んでいるその熱さがすさまじいものです。是非映画館で観てほしいですね。ダニエル・ブレイクは私の中ではそれこそ、ジョン・フォード監督の「怒りの葡萄」(1940)のトム・ジョードのようになっていきそうです。

というところで感想はおしまい。あんまり感想かけていないので、時間とって書きたいです。考えることそれ自体が最近あまりできていない・・・

それでは、また~

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