「猿の惑星」(1968)
作品概要
- 監督:フランクリン・J・シャフナー
- 脚本:マイケル・ウィルソン、ロッド・サーリング
- 原作:ピエール・ブール
- 製作:アーサー・P・ジェイコブス
-
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
-
撮影:レオン・シャムロイ
-
編集:ヒュー・S・ファウラー
- 出演:チャールトン・ヘストン、ロディ・マクドウォール、キム・ハンター、モーリス・エヴァンス、ジェームズ・ホイットモア、ジェームズ・デイリー、リンダ・ハリソン 他
フランスの作家ピエール・ブールが1963年に発表した同名の小説を原作とした映画。
フランクリン・J・シャフナーが監督し、チャールトン・ヘストン、ロダ・マクダウォール、キム・ハンターなどが出演。
哲学的な内容をSFに込めている映画の先駆者でもあり、批評面でも高い評価を得ました。
また、特にメイクアップと特殊効果の分野で高い評価を受け、アカデミー賞では衣装賞と作曲賞にノミネート、メイクに関しては当時枠がなかったので担当のジョン・チェンバースは名誉賞を与えられています。
今作はシリーズ化し、「続・猿の惑星」などが生まれたほか、2011年にはリブートでありつつ、前日譚を示す「猿の惑星:創世記」が始まり、「猿の惑星:新世紀」、「猿の惑星:聖戦紀」まで3作の傑作シリーズが生まれました。
初めて見たのは5、6歳の頃だったと思います。猿が怖くてすこしトラウマでした。テーマ上重要であるからですが、結構残酷な人間の扱いがありますからね。
~あらすじ~
宇宙飛行士のジョージ・テイラーは宇宙船で冷凍睡眠をしている間に、未知の惑星に不時着する。
テイラーと仲間のクルーはこの惑星が地球のようであることに驚くが、より驚いたのはこの惑星を高度に進化した猿たちが支配していることだった。
テイラーと仲間たちは猿たちに捕まり、人間は言葉を話さずない獣として扱われ檻に入れられる。
テイラーは知恵を使って猿たちに立ち向かい、言語能力を示すことで異なる存在であることを示していく。
一部の猿と友情を築き、一緒に逃走を試みることに。
また、彼はノバという言葉を話す人間の女性と出会い、彼女も彼の逃走劇に加わる。
闘争の中でテイラーはこの猿の惑星の秘密に迫っていく。
感想/レビュー
今やネタバレがDVDのパッケージでされてしまうような、ガバガバ具合ではあるものの、初めて子どもの頃に観た際にはあまりの衝撃と絶望で、一生忘れられない結末であった作品。
いろいろと子どもの頃のトラウマ映画はありますが、今作はラストでの驚きが死ぬまで忘れられない1本でしょう。
せっかくなので、今回の感想でもその結末のネタバレはしないようにします。
とはいえ、あまりに有名すぎて知っている人も多いでしょう。ただもしも観ていないという方は、この感想も読まずに今すぐ作品を見ましょう。
凄まじいメイクアップと特殊効果
映画の最も印象的な要素の一つは、猿たちのメイクアップと特殊効果です。
猿のキャラクターは非常にリアルで驚くほど説得力があり、正直びっくりします。
いわゆる普通の猿たちの特徴はもっているので変にキャラ感はないのですが、でも獣感をうまく取り払っていて知的に見える。
特にジョン・チェンバースが手掛けた特殊メイクは当時革命的であり、映画史に残るものとなりました。
手足などは猿らしい大きさとか形状をもっていて、プロステティックス(義手など作り物の手足)を使ってその身体全体の特徴や動きを再現しているのです。
猿たちの文明の発達具合も、その容姿同様にいいデザインのコントロールをされていると思います。
馬に乗るシーンとかもあったりしますが、猿の着ぐるみを着ていて笑ってしまうような感覚は全くないです。それってすごいことだと思います。
ほんのわずかでもデザインやメイク、プロダクションデザインが違えば、きっと学芸会のように”おかしさ”が出てきてしまいますからね。
人種差別へのメタ的批判構造
人間狩りのシーンなどは恐ろしさもあって、当時怖かったです。
というか、多くの作品で人間同士での殺し合いはあっても、動物(少なくとも現実では)によって人間たちが遊び半分に殺され捕獲されている様はまさに地獄絵図なんですよ。
でも、子どもの頃にはあまり気付けなかったですが、人間社会の投影ですよね。
この光景で猿をなんと野蛮で残酷な生き物かと思いますが、人間も全く同じなのです。
ネイティブ・アメリカンに対する虐殺、南米の侵略、十字軍だって異教徒たちを殺戮しています。
奴隷たちをまさに家畜のように、人間ではないとしてとらえて檻に入れ、働かせたり面白半分に痛めつけ殺す。
時代が進んでも何も変わらない暴力性を見せているのは人間。
今作はその構造をメタ的に利用し、主人公を猿たちに痛めつけさせることによってその差別と偏見、暴力を体験させる。
人間の運命
首の傷で言葉を発することを制限し、やきもきさせつつ。
都合の悪い真実に蓋をして、支配統制を強いていく。
テイラーにある程度傍観者の位置を与えることで、猿たちのイデオロギー模様を見せていくと、それはまんま人間側のモノ。
兄弟であるはずの同じ人間たちを、その肌の色や宗教の違いなどから迫害していく。
そんな人間の変わらなさが、きっと文明の崩壊を招いていくのでしょう。
いつか私たちの社会すらも、より優れた種族が登場した時に、下劣な種族として服従せられることでしょう。
私たちがこのまま変わらないのであればそれが人間の運命ということです。
やはり言葉とは知性であり、それこそが文明的なもの。会話をしなくてはいけないのですね。
ただ傲慢に同胞を傷つけていればこの作品と同じ運命になることでしょう。
今作は映画史において、SF映画ジャンルの革新と社会的・哲学的な洞察をもたらした作品の一つであり、その影響は計り知れません。
未見の方はぜひ鑑賞を。
ちなみにリブートシリーズである「猿の惑星:創世記」シリーズも面白いのでそちらも。
今回はクラシック作品レビューでした。
ではまた。
コメント