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「ゲティ家の身代金」”All the money in the world”(2017)

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映画レビュー
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「ゲティ家の身代金」(2017)

  • 監督:リドリー・スコット
  • 脚本:デヴィッド・スカルパ
  • 原作:ジョン・ピアースン「ゲティ家の身代金」
  • 製作:リドリー・スコット、クリス・クラーク、クエンティン・カーティス、ダン・フリードキン、ブラッドリー・トーマス、マーク・ハッファム、ケヴィン・J・ウォルシュ
  • 音楽:ダニエル・ペンバートン
  • 撮影:ダリウス・ウォルスキー
  • 編集:クレア・シンプソン
  • 衣装:ジャンティ・イェーツ
  • 美術:アーサー・マックス
  • 出演:ミシェル・ウィリアムズ、クリストファー・プラマー、マーク・ウォールバーグ、チャーリー・プラマー、ティモシー・ハットン 他

1973年に起きた大富豪ジャン・ポール・ゲティの孫誘拐事件。それをもとにジョン・ピアースンが書いた小説をもとに映画化したのが本作です。

監督は「オデッセイ」(2015)「エイリアン:コヴェナント」(2017)のリドリー・スコット。

主演は「グレイテスト・ショーマン」(2017)のミシェル・ウィリアムズ、「トランスフォーマー最後の騎士王」(2017)のマーク・ウォールバーグ、そしてゲティを名優クリストファー・プラマーが演じています。

プラマーは今作の演技で最年長でアカデミー賞にノミネート。ゴールデングローブ賞では敢闘賞と主演女優賞のノミネートも。

まあこの作品が話題なのは、もともとゲティを演じたケビン・スペイシーが、未成年の俳優に対する性的暴行で降ろされた件。

公開一か月前にそんなことが起き、お蔵入りかと思われたら、リドリー・スコット監督がプラマーをリキャストし、短期間で俳優たちを集めて完成させたというのがなにより騒がれたものです。

公開の週末に観に行きましたけど、思ったほど人が入っていませんでした。まあ私の回だけですかね、朝一だったので。

1973年のローマ。夜中に街を歩いていたジョン・ポール・ゲティが誘拐される。

犯人グループの要求は、1700万ドル。

ジョンの祖父は大富豪ジャン・ポール・ゲティであり、彼の資産なら十分に払える額であったが、ゲティ卿はテレビの前でこう言い放った「無駄遣いする金はない」。

義理の父ゲティが身代金を払うだろうと、テレビを観ていた、ジョンの母ゲイルは落胆し、なんとかゲティが身代金を払うようにと奔走する。

余裕の態度のゲティ、ジョンの身を案じるゲイル。マスコミがこの騒動に熱を上げていた時、新聞社にある小包が送られてくる。

リドリー・スコット監督による一応は有名誘拐事件を扱った作品ですが、何から観ていけばいいのやら。

作品外部で起きたことが作品に影響して生み出したもの、なんて特異な状態になっていて、それを素晴らしいと評価すべきか微妙と言ったところです。

ケビン・スペイシーの降板によって、非常に短い期間での再撮影をすると決めたリドリー・スコットと、1週間もないままに再キャスティングされたクリストファー・プラマー、この2人がとんでもないプロフェッショナルさを見せつけて完成させた、その点は本当に驚異的だと思います。

スペイシー版を観てないので何とも言えませんが、クリストファー・プラマーも準備期間がほぼない中でよくぞここまで怪物ジャン・ポール・ゲティになりきったと思いますね。改心しないスクルージーみたいな。

初めに登場する場面から何か、この世界空間における異物のような、どこか論点とか話すスケールがずれている感じがあり、ゲティというモンスターとして、出てくるシーンをガッツリ支配し、また出ていない場面でも彼を意識せざるを得ない存在感です。

そして、彼の会話すべてがとにもかくにもバーゲン、つまりは交渉なのです。

人と心を通わせるとかではなくて、いかに自己利益を最大化しつつ話を進め交渉権と支配権を握るか。

彼はミシェル・ウィリアムズ演じるゲイルとのやり取りで、金額とか権利とか以上に、自身がその交渉においてもっとも強い力を持っているかを気にしていました。

彼の理論は狂気に満ちつつもそれでいて核心的にも思えます。

市場価値や物質への固執というのは、抗いがたい価値観です。人の心だ精神だいったところで、住む家に金、生きていくための物が必要です。

そして物は人を裏切らないというのも鋭いかもしれません。

この世の中で最も人間が価値=お金を見出すのは、決まって物であり、そして物はその価値を人なんかよりもずっと長い時間保持しますからね。

彼を見ているだけでもおもしろく、テンポの良い流れも含めて、リドリーとプラマーは確かに称賛されるべきでしょう。

その二人を誉めておきつつ、私が推したいのが、今作で誘拐された青年の母ゲイルを演じたミシェル・ウィリアムズの素晴らしさです。

彼女も今作で見事にゲイルを演じていました。

太く低い声において、しかし不安なときの震えはしっかりとあり、ゲティとンドラゲダ、2つの怪物と戦う母を表現しています。

金と暴力と権力(交渉における力)という世界で戦った女性。

誘拐事件よりもずっと前、夫との離婚の際には「何か言いましたか?」とないがしろにされ、誘拐事件直後には「母親なら泣くだろう!」と枠に押し込められる。

大きな事件でなくとも、こういった描写は今も見られる光景であり、それに屈しなかったゲイルをスクリーンで見ることはその行為の残酷さと不当さを訴えますね。

そう考えるとゲイルは、一方的に事を始め、進め、その中で女性を抑圧する男性社会そのものと戦ったとも思えました。

限界まで追い込まれ疲れながらも、そして唇を怒りと恐怖で震わせながらも、ゲイルは諦めません。

しかし、ミシェル・ウィリアムズがその恐怖に耐えつつ進むしかない中に、ひとつ別の要素も入れ込んでいるように思えました。

彼女が怯えているのは、単に息子が誘拐犯に殺されてしまうかも知れないという恐怖だけではなかったと思うのです。

それに加えて、彼女が嫌っていた存在であるゲティに似ていく自分に恐れを抱いているのだと感じました。

打開するために、強い交渉をしていく。

息子を取り戻そうとすればするほど、ゲティのようになっていってしまうのです。

同化していく。

それは誘拐犯でありただのチンピラであったチンクアンタもそうだったと思います。

彼もただ貧しい環境の打開策と思い事件を起こしたように思えましたが、最終的にはンドラゲダに深く関わることになり、逃げ場は完全に無くなってしまいましたね。

そう考えると、

ゲイルとチンクアンタは二人とも、巨大な資本と暴力のシステムからなんとかジョンを解放しようとしている点で似ているように思えました。

リドリー・スコット監督は誘拐ビジネスの始まり犯罪劇としてスリリングに描きながら、同時に抗いがたいシステムに対抗する人の姿、男性社会において奮闘した女性を見せています。

終着点は一見穏やかに見えるものの、怪物や社会への同化と迎合は、今をいきる人たちみんなが経験または恐れていたことであると示したように感じます。

確かに、この内容としては、特に男のセクハラ問題が原因でお蔵入りだけはさせてはいけなかったのかもしれないです。

リドリーがどんな思いで公開させたかは定かではないですが、「エイリアン」をとった監督ですから、こうやって男性社会に抑圧されつつ奮闘した女性の物語を、セクハラと言う男のクソみたいな都合で潰されるのは許せなかったのかと、個人的に思ってしまうのです。

驚異的な再撮影や、クリストファー・プラマーの短い準備期間からの圧倒的存在感などはもちろん、特にミシェル・ウィリアムズが輝いていた作品でした。

オススメの一本でした。

レビューとしてはこんな感じですね。できるのか分かりませんけども、ソフト販売時にはケビン・スペイシー版も入れてくれたら面白そうです。それではこの辺で。

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