「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」(2015)
- 監督:ジャン=マルク・ヴァレ
- 脚本:ブライアン・サイプ
- 製作:リアン・ハーフォン、シドニー・キンメル、トレント・ラッキンビル、モリー・スミス、ジャン=マルク・ヴァレ
- 製作総指揮:ヘレン・エスタブルック、カーラ・ハッケン、ジョン・マルコビッチ、ジェイソン・レイトマン、ネイサン・ロス、ブルース・トール
- 撮影:イヴ・ベラン
- 編集:ジェイ・M・グレン
- プロダクションデザイン:ジョン・パイノ
- 出演:ジェイク・ギレンホール、ナオミ・ワッツ、クリス・クーパー、ジュダ・ルイス、ヘザー・リンド 他
「ダラス・バイヤーズクラブ」(2013)のジャン=マルク・ヴァレ監督が、ジェイク・ギレンホールを主演に迎えた作品。
ジェイクは「サウスポー」(2015)に「ナイトクローラー」(2014)と肉体変化がとんでもなかったんですが、今作では普通の男。
また彼の演じる人物と親しくなるヒロインポジションにはナオミ・ワッツ。そして義理の父にクリス・クーパーが出演。
原題の”Demolition”とは破壊、解体を表していますね。
なるほど映画でもぶっ壊し祭りが開催されておりますよ。いやーしかしジェイク・ギレンホールはやはりちょっと壊れてる役がすさまじくハマってきている感じです。
投資銀行で働くデヴィッド。上司フィルの娘であるジュリアと結婚し、仕事も私生活もまさに成功者のものだった。
しかしある時、交通事故でジュリアが他界してしまう。悲しみに暮れる義理の父フィルを見ながら、デヴィッドは自分の中に何の感情もないことに苦悩する。
泣けない、悲しみを感じない。そもそも何かを感じたことなんてあったのだろうか。
物思いにふけるデヴィッドだが、病院の自動販売機が故障したことで、そのカスタマーサービスに手紙を書くことに。そしてそこに自分の人生やその中での感情の欠落を綴っていく。
結論から言えば、ジェイクと共に歩む感情を探す旅にはかなりの説得力と楽しさが感じられます。ただし、最後の着地点に関しては個人的には良いとは思えませんでした。
演者の方から行きましょう。
ここはジェイク、ワッツ、クーパーそれぞれ良い演技をしています。特にデヴィッドを演じたジェイク・ギレンホールはやはり今作の見どころですね。
表情がないというよりも、いろいろと表情は作る。しかし作っているだけで心を映しているのではないのです。
この本心の無さを巧く演じていると感じました。また個人的にこのデヴィッドに与えられた設定が共感できるものでした。
映画や物語を通して、感動することは多々あります。もちろん人生の中で心揺さぶられることは多くあるでしょう。
ただ、その感動するとか心に響くとかっていったい何なのでしょう?
それは決して本能のままになるわけではないでしょうし、感覚を論理的に判断し表現することでもないはずです。その中間かまたはまったく別の領域なのか。
ヴァレ監督はデヴィッドを通し、私たち人間がもつこの「感情」というものを模索していると思いました。
今作が目指した方向も私はすごく好きなんです。
プロットは、感じることが欠如していた人間が他者交流を通して自分の中に感覚を取り戻していくということです。
このやりたいことに関しては好印象です。
ただしある場面からどうにもノイズが走ってしまった印象。そして最後の展開、今作が落ち着く先がどうも拍子抜けに感じてしまいました。
ノイズの原因はデヴィッドの台詞「全てがメタファーにみえる。」ですね。たしかにデモリッション行為、解体というぶっ壊しをデヴィッドはしていきます。
そしてそれは明らかに、彼が自分の人生を分解してそれぞれの要素を研究しまた組み直していくことのメタファーです。
ただこれが本人の台詞として聞こえてしまうことで、それ以降に観客の自由な考察空間を与えず、何が画面で展開されようとそれはデヴィッドの心象がらみのメタファーに見えてしまいます。
非常に興味をそがれてしまいました。
感情の欠落を抱えてきた男はすごく共感しえるもので、演技もとても良いものです。
潜在意識の中に常にある理性が、その人間を完全な感覚に浸る状態から乖離しているなら、人は真に感じることはできないのかもしれません。
それでも社会的な感情を持とうともがく様は楽しめますが、今作が落ち着く先には、斬新さも興味深さも感じられない”良い人”になる結果しか用意されていません。
外側から求められているものを内側に持っていないという人物をながめるのは良いのですが、着地に難ありな印象でしたね。そんなところで感想おしまいです。それでは、また~
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