「リアル・ペイン 心の旅」(2024)
作品解説
- 監督:ジェシー・アイゼンバーグ
- 製作:エバ・プシュチンスカ、ジェニファー・セムラー、ジェシー・アイゼンバーグ、エマ・ストーン、アリ・ハーティング、デイブ・マッカリー
- 製作総指揮:ケビン・ケリー、マイケル・ブルーム、ジェニファー・ウェスティン、ライアン・ヘラー
- 脚本:ジェシー・アイゼンバーグ
- 撮影:ミハウ・ディメク
- 美術:メラ・メラク
- 衣装:マウゴジャータ・フダラ
- 編集:ロバート・ナッソー
- 出演:ジェシー・アイゼンバーグ、キーラン・カルキン、ウィル・シャープ 他
「僕らの世界が交わるまで」で監督デビューを果たした俳優ジェシー・アイゼンバーグが、監督・脚本・製作・主演を務めたロードムービー。第97回アカデミー賞で脚本賞と助演男優賞にノミネートされています。
アイゼンバーグがデヴィッド役、「メディア王 華麗なる一族」のキーラン・カルキンが従兄弟ベンジーを演じ、キーランは第82回ゴールデングローブ賞の助演男優賞を受賞し、アカデミー賞でも同賞にノミネートされました。
共演には、「エマニュエル」で謎の日本人を演じ、「ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ」の監督としても知られる俳優ウィル・シャープ、「フェリスはある朝突然に」のジェニファー・グレイ。「僕らの世界が交わるまで」に続き、俳優のエマ・ストーンが製作に参加しています。
非常に評価も高く、期待していた作品。ジェシー・アイゼンバーグの監督としてのキャリアも気になりますし、早速公開週末に観に行ってきました。
朝一の回で結構早かったですが、ちょうど1/31(金)公開、週末は2/1(土)とファーストデーでしたのでその時間でもかなり混雑していました。
〜あらすじ〜
ニューヨークに暮らすユダヤ人のデヴィッドと、幼い頃から兄弟のように育った従兄弟のベンジー。
現在は疎遠になっていた2人だったが、最愛の祖母の遺言により、数年ぶりに再会し、ポーランドへのツアー旅行に参加することになる。様々な歴史をめぐりながら、最後の一日は祖母の実家を訪れようという計画だ。
対照的な性格のデヴィッドとベンジーは、旅の途中で時に衝突しながらも、個性豊かなツアー仲間との交流を深め、家族のルーツを巡る旅を通じて、40代を迎えた自分たちの生きづらさと向き合う術を見出していく。
感想レビュー/考察
2作品目にして傑作を生みだすアイゼンバーグ監督
「僕らの世界が交わるまで」で監督デビューを果たしたジェシー・アイゼンバーグ。ユーモアの中に温かさを交えて、人と人の関係性を、みんなが感じたことのある面倒さも含め描き出す。
前作も大成功というわけではなくとも、一定の評価と彼の作家性が示されていたと思います。
そして第2の監督作品となった今作は、ジェシー・アイゼンバーグが監督としても素晴らしいセンスを持っていることを証明したと思います。
2作目でこれなら、すぐ偉大な素晴らしいアクターディレクターの仲間入りじゃないでしょうか。
今回は自身も主演の一人になり、ある従兄弟たちのポーランドツアーの様子を描く。それは昔なじみの2人の男が、並んで会話したり、食事したり、列車にタダ乗りしようと車掌を避けて車両を動き回ったり。
何気なくて滑稽で軽い。本当に軽やかで気取らないテイストなのですが、痛みというものに個人から人類レベルまで向き合って心を揺り動かす。
こんなにもいい意味でライトに、心の奥深くに触れてくるなんてシンプルにスゴイ。
シリアスじゃないし説教臭くもなくて、飛び抜けて優しいハグのような映画です。
Real Pain=本物の痛み/鬱陶しく迷惑な奴
2人の主人公が空港で待ち合わせするオープニング。
今作で輝くベンジー役のキーラン・カルキンは空港のロビーの席にじっと座り、周囲の人間を観察している。
彼の横に”A Real Pain”のタイトルがでてきますが、意味合いがかかっていておもしろい。
このベンジーはなかなかの問題児というか、良くも悪くも率直で気を使わないキャラなんです。
そしてタイトルの”Pain”ですが、もちろん痛みという意味はあります。その一方で人に対して使うと「鬱陶しい人、迷惑な人」というような意味になる。
ちょっと意地悪で遊び心あるOPショットから、アイゼンバーグ監督のセンスが見えます。
そして、タイトルには当然痛みの意味も込められている。
本物の痛みという意味のタイトルで、人間の痛みに深く潜り込んでいくのです。
ベンジーを憎んで愛して振り回されるデイヴィッド
主人公のデイヴィッドはNYCで勤務している家族持ち。責任と役目の中にいて、慎重だし人と溶け合うのは苦手。ちょこちょこ、精神安定剤なのか、薬を常用していることもみせられています。
ジェシー・アイゼンバーグが持ち前?のキョドりで不安を抱える姿を演じます。冒頭の電話。何度も何度もベンジーに確認の電話を入れ、かなり神経質であるとうかがえます。
ここはその時点では、デイヴィッドの性格を示す役割がありますが、後半に明かされる彼の悩みから、ベンジーに対してなぜあそこまで心配するのかが分かる。巧妙な脚本で描かれたシーンだと分かります。
ベンジーに振り回されてばかりですし、嫌ってるような素振りもありますが、本当に嫌そうな奥底に、愛情が見えるのが素敵ですね。
説教臭くなく、デイヴィッドの心情とベンジーへの思いを吐露するシーン
デイヴィッドのハイライトが、その後半の事実を明かすシーン。
ベンジーが睡眠薬の過剰摂取で自殺未遂をしたこと。その光景が頭から離れない。
だからつい過剰に心配してしまうし、空港での待ち合わせだけであんなにも電話をかけ続けた。
心底心配しつつ、祖母の世代の苦難を考えるとベンジーの身勝手さが許せなくもある。仕事をせず実家にいてマリファナを吸う。それで自殺を図る。
でも同時にベンジーの最大の理解者で味方でもある。
自分勝手だし反りが合わないけど、魅力的で正直で、誰とでも本音で語り合うから打ち解ける。社交辞令じゃなく。
そんな存在が身近にいたら、惹きつけられるし嫉妬もする。こんなふうになって、こんなふうに生きれたら。
すごく率直な痛みの吐露でしたし、デイヴィッドが初めてツアーの仲間たちに自分のことを話すシーンにもなっています。キャラクターの展開とともに過去を明かし、これまでのやりとりにも深みを与えるすごいシーンです。
すべてを飲み込むキーラン・カルキン
そしてそんなアイゼンバーグを、いやこの映画全体をさらっていくキーラン・カルキン。
誰もが魅了されてしまうベンジーを、時にとっても嫌で面倒なやつに、時にものすごく繊細で人を見ている愛しい人として見事に演じています。
アイゼンバーグ自身が彼以外にはこのベンジーを演じられる人はいないというのも納得です。
実際には家族を大事にしていたキーランは、家族と離れて海外に行くことになるために出演を渋っていたそうです。それを、今作の製作を行うエマ・ストーンが推薦したようです。彼の意見を尊重しつつ、彼しか演じられる人はいないと思っていたそうです。
観客も振り回され、嫌いになり大好きになる。そして、このベンジーがこの映画の時間だけ生きているのではなく、ここまでもこれからも生きているんだという実感を持てるんです。
それだけの解像度を持ってる。本当に素晴らしいです。
ホロコーストも、ルワンダの虐殺も。搾取的に全く感じない取り上げ方をしている。悲劇だね、辛いねって涙を誘うことはせず、もっと現実的な距離感。
だから、そんな大きな人類の痛みと、キャラクターたちが抱える痛みに差異がなく感じてきます。どれも辛いことだから。
そして全体をまとめ上げているのは、アイゼンバーグ監督の作り出すライトな感覚。
軽い。それは軽んじているのではありません。ただ軽快に、ユーモアを交えて優しく触れやすくやわらかに痛みを描き見つめようとしているのです。
過去への思いと今を生きる意味を持つ石
最終幕、祖母の実家の玄関先に石を置こうとします。でも、地元の隣人から今はその家に老婦人が住んでいて意志で転ぶと危ないからどけろと言われる。
この石をめぐるやり取りはすごく好き。
この石を置く行為は、このツアー全体を象徴します。過去とのつながり、その渇望です。
大好きだった祖母と繋がり続けたい。自分たちのルーツを、楽しかった過去をとどめておきたい。
でもそれが(ユーモア溢れる演出で)できなくなる。ずっと過去にはしがみつけない。痛みを抱えてでも、やはり今を生きなくてはいけないのです。
デイヴィッドは石をNYCに持ち帰り、自分の家の玄関先に置きます。ここが彼の今、ここが彼の家。
呼応し、寂しさも感じるラスト
そして最終カットはさらにすこし切なさも感じます。OPに対比するように、ベンジーがまた空港のラウンジで座っている。今度は彼の左側に”A Real Pain”と表示される。
でも、OPでもEDでもベンジーは空港の席に座って人を見ている。
彼が石を玄関先に置くことはない。まるで、彼自身が永遠の旅人のようで、まだ帰る家を持っていないかのように感じます。とても寂しい。
とにかく心の琴線に触れつつ、誰しもが抱えている辛さとか痛みを、本当に軽いテイストで包んでいくれてみやすい。素晴らしい脚本に演技もあり、アカデミー賞などの賞レースでの躍進も納得です。
こちら非常におすすめの作品でした。
ジェシー・アイゼンバーグ監督には今後も監督としてさらに作品を観たいので、どんどん撮ってほしいです。
今回の感想はここまで。ではまた。
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