「燃ゆる女の肖像」(2019)
作品概要
- 監督:セリーヌ・シアマ
- 脚本:セリーヌ・シアマ
- 製作:ベネディクト・クーヴルー
- 撮影:クレール・マトン
- 編集:ジュリアン・ラチェリー
- 衣装:ドロシー・ギロー
- 出演:アデル・エネル、ノエミ・メルラン、ルアナ・バイラミ 他
「水の中のつぼみ」のセリーヌ・シアマ監督が、ある若き女性と彼女の肖像画を描くためにやってきた画家の数日間の愛を描くドラマ映画。
結婚が決まっている女性エロイーズをシアマ監督と久しぶりに組むアデル・エネルが演じています。
そして画家マリアンヌの役には「不実な女と官能詩人」などのノエミ・メルラン。
作品は2019年のカンヌで上映されその圧倒的な絶賛が瞬く間に広がりました。北米では2020年に入ってから公開、日本でも12月に公開が決定しています。
ゴールデングローブ賞にノミネート、アカデミー賞ではフランス代表としての選出がありましたが、「レ・ミゼラブル」が代表となりました。
今回は少し先に観る機会がありましたので鑑賞。初めに言っておきますと、噂にたがわぬ傑作です。
~あらすじ~
18世紀末のフランス。画家のマリアンヌがはるばる島へとやってくる。
彼女はお屋敷にいる若い女性エロイーズの肖像画を描くために来たのだが、エロイーズは決められた結婚に不本意で、マリアンヌの前に肖像画を描きに来た画家にはつらく当たり追い出してしまっていた。
エロイーズの母から話を聞いたマリアンヌは、画家であることや目的を隠し、エロイーズの散歩に同行する者として一緒に過ごし、その中で彼女の特徴を観察しながら肖像画を完成させることにした。
しかし一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、マリアンヌはエロイーズの不遇や痛みを共有し、目的を隠し接することに罪悪感を覚えていった。
感想/レビュー
完全なるシスターフッド(姉妹愛)の世界
観終わって割とすぐに感想を残しているのですが、自分の時間、生にも響きわたったまま、余韻の残る作品です。
作品のことを考えるたび、なにか流れや空気が変わる気がします。
愛の物語として非常に美しく、また間違いなくこの作品は今の時代にこそ大きな力を持って叫ぶのだと確信します。
作品はレズビアンロマンスと思いますが、それだけではないです。LGBTの要素はすごく自然に、別にフォーカスして描かれるものではありません。
究極に突き詰めて女性映画であり、フェミニズム、女性の視点の映画なのだと感じます。
舞台設定は18世紀末フランス。欧州のフェミニズム起源ともいわれる時代になります。
そして作品は序盤と終盤を除いて、隔絶された島にて、3人の女性だけをメインに映しながら展開していきます。
つまり男性を取り除いた、完全なるシスターフッド(姉妹愛)の世界が展開され、その中では階級も社会的な要素も取り払われているのです。
もちろん、ソフィーはメイドですから、一応エロイーズとの上下関係があるはずですが、ここでは3人のそれぞれが作用しあい、姉妹として接しあいます。
完全に女性だけの中での生理、妊娠、中絶。
ここまで描かれた映画を観たことがなかったので、その点だけでも女性視点を見ることのできる素晴らしさがあります。
男性たちのいる世界でのことは言及、また終盤に見て取ることができますが、その裏で、女性たちが共有し生きた人生を体感することができるのです。
呼吸や足音、リズムをもって息づく映画
そしてもちろん、エロイーズとマリアンヌの愛の物語として、非常に美しい作品です。
今作にはまったく音楽がないのですが、それは同時にこの二人の関係性を表していく非常に繊細な要素を際立たせることになっています。
アデル・エネルもノエミ・メルランもすごく芸達者で、シアマ監督の演出も確かです。
アデル・エネルは最初むすっとしてて怒りを持っていますが、だんだんと柔らかくかわいらしい笑顔に。
ノエミ・メルランはその力強い眼差しが時に真っ直ぐ、時に揺れています。
それぞれの息づかいや歩く音などの細やかな音が、感情や緊張、関係性を伝えていますし、所作それぞれは後にお互いが言及するように、それぞれの感情を表現しているわけです。
リズムがあり生き生きしています。
こっちへ来てという時に、聞こえる足音の感覚。ためらいの後に「あと一歩こっちへ」で踏み出す音。そこには受容に対する喜びも感じられます。
走って追いかけるという行為が繰り返されるとき、相手にどこまで近づくのか。これの違いが生む感動。
またハグのシーン。エロイーズを抱きしめたくて、その違和感を消すため、一度間をおいて母にハグしてるのと、いざエロイーズにハグした時の首筋へのキスと二人の息の荒さ。
このあたり、是非とも映画館で音響なども堪能してほしいです。
もちろん画も良いですよ。
今回はあえてなのか古い感じを出すフィルム感はなく、デジタルで結構綺麗な画面になっていますが、赤と緑のドレスのカラーだったり海の色だったり、炎の灯りなど一つ一つが非常に豊かです。
お互いを心に刻んだ二人
映画は2時間ほど。だからこそその中で起きたことって覚えてます。
もうわかっている別れへの最後の夜に、二人が語る想い出。全てが鮮明によみがえってきますね。
自分の中の想い出にすらなってしまっているんです。
重なるオルフェウスの神話。それは普通は悲劇として知ってきたものでした。
ただここでは、3人の夜の議論の中から真実の愛による別れという解釈が展開されます。
本当に心の底から愛しているから、別れも受け入れる。ただ、最後までその姿を目に焼き付けたい。
肖像画を描く過程でそれ以上にお互いを心に刻んだ二人。
持ち続ける肖像とあの数字。そして一度も聴いたことの無いオーケストラを聞き涙するエロイーズのロングカット。
すべてが痛々しく美しい。
露骨なセックス描写なしにその後の会話を映したり、また脇のアレとか、独自の視点や表現も新鮮に感じます。
見る見られるという関係性の平等さ
相手を見ているとき、相手は何を見ているのか。対象を観察し知っていくとき、対象は何を知り何を観察しているのか。
これは本や演劇、そして映画とそれぞれの受け手の関係性にも見えます。
反射があるのかも。対象を見る際には、自分を見ているということもありそうです。
マリアンヌははじめ一方的にみていた。
それは隠れて肖像を描くためで、それによってできた肖像はエロイーズに否定される。そして今度はしっかりとモデルになった時、マリアンヌはエロイーズに観られる側にもなる。
これこそ対等で平等な関係。
肖像画は、そこに描かれる女性を所有するために存在していましたが、一度エロイーズが拒絶し、自らモデルとなることで初めて、”自分の”肖像画になります。
自分の身体と心の所有が、この肖像画の作成を通して実現していくのです。
そしてその過程で二人はお互いの観察を通して愛を見つけ、さらに避けがたい真実も観てしまいます。
今作は慰めのように二人を結ぶこともなく(それはOPから明確に示されます)、当時の女性二人の現実的帰結をもたらします。
実は途中の女性たちが焚火を囲み歌うシーン、ラテン語?で”They cannot escape”「彼らは逃げられない」と言っているらしいです。すごく示唆的。
言葉で言いますと、ずっと敬語的な「あなた”vous”」を使っていたのが、最後の最後にエロイーズがマリアンヌに呼びかけるときだけ親しい相手に使う「あなたtu”」になっているのも細やか。
自分は愛の物語としてトッド・ヘインズの「キャロル」が最高に好きですが、シアマ監督の今作もおそらく一生抱えていく愛の物語になると思います。
とにかく痛く美しく愛しい。本当に素晴らしい作品でした。
日本での劇場公開は12月4日。これは是非劇場で観てほしい傑作です。
ちょっと興奮気味で感想がうまくまとまっていませんが、以上になります。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
それではまた次の記事で。
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